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母の夢を何度も見る

母が亡くなって一年半が経つ。
亡くなったのは、会社の社内登用試験(二回目の再挑戦)の内定がもらえた直後で、その頃にはもう母の意識はほぼなかったけど面会にいき、正社員になれたこと、もう心配しなくていいよと報告ができたのはよかったと思ってる。

それから約一年半、いまだに何度も母の夢を見る。
夢の中の母は、だいたい私を心配してくれている。
「最近はどう?社員になって忙しそうだけど、大丈夫かい?」そんなことを聞いてくれることもあった。
今の私の状況を母は知らない、だからこれは夢なんだと気づいて夢から覚めて、母がもう居ない事実を思い出して涙が出る。
ほぼ、毎回だ。

涙が乾いてから「私は大丈夫。私より、妹のところに行ってあげて。妹の方が、母がいなくなったことをつらく思っているから」と心の中で何度も母に言う。

なんて書くと、家族仲が良くて妹思いな姉のようだけど、そうじゃない。

5歳下の妹は、幼少期から体調を崩しがちで母にしてみたら手のかかる子どもだった。
妹は大人になっても、どこか不安定なところがあった。
おのずと母の関心は妹に向きがちで、姉の私はルールや言いつけを守り、手のかからないいい子でいるようにした。

さらに言えば、感情のコントロールがうまくなく気分の上下で私や妹を振り回す母が怖くて苦手で、母に意見すらいえずにずっといた。
そして、妹はそんな母と性格がよく似ていた。

家族の中で、たぶん私だけが異質で家族に馴染めなかった。
高卒で家を出て働き出してから、母とも妹とも距離をとっていた。

母に対して、いろんな気持ちが渦巻いていた。
わかりやすい形での愛情を求めていたし、憎かったし、恨んでもいたし、縁を切りたいと思ったこともあった。
母への復讐の意味で、自分はずっと不幸でいようと無意識に思っていたこともあるし、投げやりになっていた時期もあった。

精神的にとても参っていた時期にカウンセリングを受け、カウンセラーの先生といろんな話をし、母との対話を提案されて何度も母と話をして、ようやく自分の意見を母にいえるようになり、少し関係がよくなったのは30代後半だった。

話ができるようになった後も、私が結婚したり離婚したり、一人になり仕事を頑張ろうと思うようになり、仕事が忙しいとか、コロナ禍だったとか色々言い訳をして、何年も帰省すらしていなかった。
母の面倒を見ていてくれていたのは妹夫婦だった。

私はずっと、母の愛情は妹に多く注がれていたんじゃないかと思っていた。
母が亡くなった後も。


ここまで書いてみて、親不幸な私が夢の中とは言え、母の関心をもっと言えば愛情を受け取っていいのか、と困惑している事に気づいた。
受け取っちゃいけないんじゃないか、と。

妹は母との精神的な距離が近くて、喧嘩も多かったけど、母に愛されたいとずっと強く思ってきたんだと思う。直接そんな話をしたことはないけど、言動の端々にそれが感じられた。

それにひきかえ、私は一人で頑張れるし、親孝行もしていないから、母から愛されなくても仕方ないと思い込む事で、諦めようとしていた。
のかもしれない。

夢から覚めたあとの涙は母にもう会えない淋しさと、母の愛情を受け取れた嬉しさもあったのかな。
まだよくわからないけど。

気持ちの整理をするために、書き出してみました。


ちなみに、一年前に亡くなった父は、一度も夢に出てきません。
おかしいなぁ。
私、ファザコンだったはずなのに。




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