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記憶のそばには、いつも音楽があった



20年来の旧友と数年ぶりに再会した。
もともと出会ったのは札幌で、今は東京で働いている旧友が、音楽仲間のバースデーライブにピアノで参戦するというので、聴きに行ってきた。

旧友の奏でるピアノの音はとても優しく繊細で、耳に心地よく届く。
歌っていたその日の主役の方の声やギターも。
ゲストのパーカッションの方の音も。

私には聴覚過敏があるので、時と場合によっては生活音や環境音、はては音楽でも耳に痛いと思う時があるけど、その日の音は特に旧友のピアノは違った。

そして、旧友が奏でる音色を聴いているうちに、3月に亡くなった父のことを思い出した。

父はジャズを愛していた。

父はヴィブラフォンを弾いていた。
父が奏でるヴィブラフォンは、とても優しい音色だった。
と言っても、私は家で弾く父しか見たことがなかったけど。

あぁ、そうだ。
旧友の奏でるピアノは、父のヴィブラフォンと同じような届き方をする。
優しくて繊細で包み込むような音色。

そして、旧友が音楽仲間やライブを見にきている人たちと仲良く話したり、チューニングをしたりする姿を見て、ジャンルや年齢は違えど、父もこんな時間をいつかどこかで過ごしていたのかもしれない、と思いを馳せた。

旧友も、きっと父も、音楽仲間に愛されて、そして音楽を愛しているんだろう。

なんて、少しセンチメンタルに過ごした夜でした。

旧友の名前が実は父と同じで、かつライブを見にきていた人から呼ばれていた愛称が、まんま父が呼ばれていたそれと一緒だったのは、オチとして使っていいかな。




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