記事一覧
「ちょっと変」を「個性的」と読み違えて生きてきた。
ただ単に、空気が読めず、ズレた言動を繰り返し、場に馴染めないはみ出し者だっただけ。
2023年に観たもの、体験したもの
すやり霞さんのnoteが面白黒興味深かったので、私も真似っこ。
1月
職場を異動して、初めての環境で気を張っていたのか、休みの日はバタンキュー。
いつもシフトで働いていて、二、三日働けば休みというスタイルに慣れていたので、土日祝休みで平日5勤する方を本当に尊敬する!!
2月
◾️映画「エゴイスト」
月末に駆け込みで見に行った映画。
つぶやきにも書いたけど、不思議なタイミングで出会った小説
愚図で鈍間な亀です(比喩)
他人を羨ましく思うことや、人と比べて自分の足りないところばかりに目が行くことも、自分のことを諦めそうになることも、本当に何度も何度もある。
こんなんじゃない、もっとできるはず、悔しい、なんで私ばかり。
言葉に出さないけど、心の中ではそんな呟き がある。
今日もそんな日だった。
月イチのオンラインミーティングで、ネットにうまく繋げられず、多忙な上司の手を煩わせてしまい、「あぁ、きっとイラつかせて
記憶のそばには、いつも音楽があった
20年来の旧友と数年ぶりに再会した。
もともと出会ったのは札幌で、今は東京で働いている旧友が、音楽仲間のバースデーライブにピアノで参戦するというので、聴きに行ってきた。
旧友の奏でるピアノの音はとても優しく繊細で、耳に心地よく届く。
歌っていたその日の主役の方の声やギターも。
ゲストのパーカッションの方の音も。
私には聴覚過敏があるので、時と場合によっては生活音や環境音、はては音楽でも耳に痛い
【推し活】チョコレートドーナツとヒガシ
⚠️少年隊の東山紀之さん主演の舞台「チョコレートドーナツ」の感想です。
ネタバレは無いけど、少年隊ファンの私が書いています。
性加害問題について、論じるつもりはありません。
感想
では、いきますね。
10月28日、舞台「チョコレートドーナツ」を観た。
退場直後のメモがこれ。
「じょうちょがくちゃくちゃです。紙がくちゃくちゃってなってるような。ぐちゃぐちゃとは違う。」
紙がくちゃくちゃっ
自問自答ファッション教室を受講しました。〜あれ?私ってこんな人だったっけ?〜
10月29日(日)、念願の自問自答ファッション教室に行ってきました✨✨
前置き
私はコミュ障で緊張しいです。
初めての人と話す事がとても苦手です。
その割に、目立ちたい欲が大きい。
よく見せたがる(おらがまちの方言で言うと「いいふりこき」)。
なもんで、今回、自問自答ファッション教室を受講するにあたり、自問自答ガールズに「陽子さん、素敵」と言われたい。あきやさんに褒められたい。という生々しい
「嫌われてる筈はない」と相手の些細な言動を必死にプラスにとらえて執着することも、「嫌われたくない」と自分を捨てて相手に気に入られようとすることも、どちらとも不健康だなと思うし、「嫌われる=居場所がない」という呪いのような思い込みにいまだにとらわれている自分もどうかと思う。
会社の研修で同期と会い学びを深め、刺激を受けてきた。
職場に戻り上司から上期のフィードバックで、ベッコベコに凹みモチベーションはダダ下がり。
ごもっともな事実だし自分の課題だし、おっしゃる通りだから何も言えない。
おお、傷ついてるねえ。
こんなに頑張ってるんですアピールは、もうやめる
苦労や薄幸がテーマの演歌を自分のBGMとして流していたのかもしれない。
真冬に荒波の日本海で演歌を歌う自分に酔いしれていたのかもしれない。
苦労して歯を食いしばって死にものぐるいで頑張ってるからこそ良い結果が得られて、認められるのだと思っていた。
良い結果か出なければ認められないし、それは自分の苦労や努力が足りないから更なる苦労が必要だとも思っていた。
苦労が多く努力してる=頑張っている自分を認
文庫の存在を知ったのは母の余命を知らされた昨年夏頃で、映画を見に行ったのは父が亡くなる少し前でした。
今読み返したら、感じ方は違うかな。
昨年夏から時間の流れが猛烈に早い気がしてる。
あっという間にもう2023年も2ヶ月を切ったね。
ひとりが好きで、どこの派閥にも属さない(属せないともいう)はぐれもの、ではある。
ひとりが好き(短文もしくは序章)
基本はひとりが好き。
ひとりで好きなように動くのが好き。
でもSNSで同じ趣味や楽しみを誰かと共有する(出かけている)ような投稿を見ていると、いいなぁと思う。
が、果たしてそのいいなぁが指しているものはなんなのか。
その仲間に入りたいのか。
共有できる仲間が欲しいのか。
仲間がいない自分は寂しいのか。
仲間がいない自分はおかしいと思うのか。
昔読んだ栗本薫先生の本に「汝ら罪なき者、あの女を石持て打て」と言う聖書の言葉が出てきて、当時は意味もよくわからなかったけど、今でも忘れられない言葉のひとつ
自分の中の正義感から誰かや何かを非難したり悪く言いたくなる時は、この言葉を思い出して言う前に自分を振り返るようにしてる。
柄物や派手な服を着たいと思うのは、私の中の子ども部分で、ベーシックでモノトーンを着たいと思うのは私の中にある「大人」のイメージなんじゃないかと言う気もしてきた。
私の中にある「大人」のイメージというのは、なりたい私とイコールなのか?
民度が低く貧しい育ちなので、派手な柄やアニマル柄と親和性が高いのは、当たり前といえば当たり前なのかもしれない(偏見)。
ベーシックなものやモノトーンに憧れて身につけたいと思うのは、昔の貧しい自分から抜け出したいと言う強い思いなのかもしれない。