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私から親友が消えた日

2023年1月6日、親友が消えた。

親友だと思っていたTが、私のそばからいなくなった。


私たちが出会ったのは、小学校3年生のとき。

私とTは同じクラスだったが、取り立てて仲がよいわけではなかった。それぞれ遊んでいるグループも別だった。きっかけは、当時放送されていたテレビドラマの『アタックNo.1』

ある日、クラスの中で『アタックNo.1』を好んで観ているのが、なんと私とTだけということが判明した。田舎の学校で、大人が見るような番組を禁止されている家が多かったからなのか、みんなアニメやバラエティばかり観ているらしかった。その頃の私は『アタックNo.1』にかなり夢中になっていて、録画したものを何度も何度も見返しては、セリフを覚えるくらいにはハマっていたのだ。

それはTも似たような感じだったようで「中学生になったらバレーボール部に入るんだ」とみんなの前で発表するほどだった。意外な2人に意外な共通点。お互いのテンションが爆発的に上がり、意気投合したのを覚えている。その勢いのまま訪れた昼休み。私たちはクラスに設置されていた玩具箱にあったお手玉を、バレーボールに見立てて遊びはじめたのだ。

お手玉は本物のバレーボールより小さくて軽く、運動音痴の私たちでもすんすんとラリーが続いた。バレーボール界のエースになったような気分で、楽しんでいたのだ。

そんな私たちのひとときを、その日の内に一瞬にして崩したのは、クラスの優等生男子だった。

「おてだまでバレーボールをするのは、よくないと思います。とってもあぶないです」

彼の告げ口により、束の間のアタックNo.1ごっこは幕を閉じた。

私たちのお手玉バレーボールは、予想以上に激しく飛び交っていたようで、みんなの前で先生にこっぴどく怒られた。「あの優等生ボーイめ」と言わんばかりに、私とTは、強めのアイコンタクトをとった。共通の敵を持つと固い結束力が生まれることを、このとき身をもって初めて知ったのだ。

そこから何となく学校の昼休みに遊ぶようになり(お手玉で遊ぶことは1度もなかった)そのうち放課後も、いつものグループの子たちとではなく、Tと遊ぶ日が増えた。

Tの家は「天井にお化けがいるから来ちゃダメ」と言われて入れてもらえなかったので、遊ぶのはいつも私の家だった。私たちは、当時のテレビドラマについて語り合ったり、その主題歌を一緒に歌ったり踊ったりして遊んだ。

頻繁に遊ぶようになってしばらく経った頃、今度はクラスのおちゃらけ男子が、私とTの元にニタニタしながらやってきて、いきなりTの名前をいじりだした。Tの名前はたしかに鳥を連想させる名前だったのだが、その名前につけ込んで「鳥じゃん!とべるの?とべないの?」などと囃し立ててきたのだ。

その瞬間、珍しく私は言いようのない怒りに襲われた。「人の名前をバカにするな!」と柄にもなく怒り、持っていた埃だらけの空雑巾で男子の頭をはたいた。「また先生に何か言われるかもな」と、ペンペンはたきながら思ったのを覚えている。基本大人しくのぼっとしている私が、学校でキレ散らかしたのはこのときが初めてだった。

男子は私の勢いに圧倒されたのか、あっという間に逃げていった。そそくさと去っていく彼の背中をじいっと見送りながら、Tは「ありがとう」と言った。

Tの口から「ありがとう」を聞くのは、レアなことだった。Tのためにプリントを取ってきてあげても、おやつをあげても、傘に入れてあげても、Tは「ありがとう」を言わない。その代わり「ん」と、いつもの声よりトーンの高い、消え入りそうな音を出して、口角をあげる。

「ありがとうと言える大人になりなさい」と親からも先生からも言われてきたが、Tのその音には「ありがとう」という気持ちがこもっているのが何となく分かっていたので、何も言わなかった。思っていないくせに、いつ何時も「ありがとう」を安売りする人よりかは、Tの「ありがとう」の言葉に信頼を感じていたのだ。


私たちは中学生になった。Tはバレーボール部には入らなかったので、毎日一緒に帰った。どちらかに彼氏ができるまでは一緒に帰ろうと、約束をした。

結局、卒業式の日まで2人で帰った。

高校は別々のところに進学したが、定期的に会っては近所の書店のベンチや、スーパーの休憩コーナーであれこれしゃべった。ドラマの話と同じくらい、恋愛の話が増えた。私は同じクラスの数学が得意な男の子に、Tは同じ部活のイケメンの先輩に恋をしていた。高校に入って校則がゆるくなったので、Tは短かった黒髪をストレートにシュッと伸ばして、うんと美人になった。


高校卒業後、たまたま2人共東京の大学に進学が決まった。通っている大学も、住んでる場所も近くはなかったけれど、時間に自由ができた私たちは、東京観光をしたり、地元では演っていない映画や舞台を観に行ったりして”都会”という楽園に溺れていった。

恥ずかしながら私たちは、おしゃべりするためにカフェに入って、1杯500円のコーヒーを頼むなんてできないお財布事情だった。だから私たちは、家から水筒に入ったお茶を各自持ち寄り、無料でおしゃべりができるスポットでいつも話した。ルミネのエレベーター横のソファー、マルイのトイレの脇のベンチ、恵比寿ガーデンプレイスの広場。いろんな場所のいろんな公園にも行った。今考えるとちょっと卑しいけれど。


21歳のとき、私は大失恋をした。翌日にちょうど一緒に会う約束をしていて話を聞いてもらっていたら、別れ際に1人になるのが寂しくなった。帰って家で1人になるのが、心細くなったのだ。「つらいから家に泊めて」と懇願したが「めんどくさいから嫌だ」と断られた。

でも「これから家まで歩いて帰るけど、付いてくるならまだ一緒にいてもいいよ」と、言ってくれた。新宿駅からTの家まで歩いて40分、家に着いてからも外で立ち話をして2時間。Tは、まだまだ泣き喚く私の話を聴きながら、時折思い出したように芸人の話をして私を笑わせてくれた。

23歳の誕生日。Tから珍しく長いメッセージをもらった。

「お誕生日おめでとう!春先、家でご飯食べようってしつこく誘ってきた日があったよね。何食べようって話して、2人で唐揚げと揚げ餃子とじゃがいもだけのポテトサラダ作った日です。実はあの日、すごく悲しいことがあって何もかもに絶望してて、全部が嫌で無理で正直ご飯も食べたくなかったの。一生家から出られないかもって思ってたときに誘われて、全然行きたくなかったけどあまりにもしつこいから行きました。でもあの彩りのない茶色いご飯見たときに、おかしくなっちゃって笑っちゃって、そっからまだいけると思いました。実はずっと感謝してるのね。その悲しかったことは今はまだ言いたくないんだけど。言えるときが来たら言うね。ありがとう!」

Tからの、久しぶりの「ありがとう」だった。


そんな親友が、いなくなってしまった。

最後に会ったのは一昨年の10月。いつものようにご飯を食べて(この頃には仕事をはじめていたので、無料スポットには行かなくなっていた)ドラマや映画についてペラペラ話し、帰り道は運動がてら少し遠い駅まで歩く。散歩道、私は同棲している彼と猫を飼いはじめたことを話した。

Tは「動物嫌いじゃなかった?ペットショップできゃーきゃー騒ぐ人たちのこと嫌って言ってたよね。急にどうしたの?」と怪訝そうに顔を歪めた。

「でも猫、意外と可愛いくて」
「ふうん」
「溺愛してる。写真いっぱい撮っちゃうし」
「そのまま結婚しちゃいそうだね」
「結婚?まだしないよ」
「置いてかないでよ」
「何それ」
「なんか遠くに行っちゃうな」
「だから何それ。行かないってば」

とか何とか言っているうちに、それぞれが使う駅への分かれ道に来てしまった。分かれ道でしばらく話し込むのも私たちの習慣。

立ち話も中盤に差し掛かったとき、Tは世界1周1人旅のお金を貯めるために、ガールズバーの仕事をはじめたと言った。Tにとっては初めての、そういう仕事だった。

「キャバとかパパ活も考えたけど、私にはできそうにないと思って諦めた」
「そうだよやめなよ。てか水商売嫌って言ってたよね。そっちこそ急にどうしたの?」
「1人旅早く行きたいの。家の更新もあるからその前に発ちたくて」
「体売ったりお酒飲み過ぎたり無理しちゃだめだよ。体も壊すしメンタルやられるよ」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないよ、そういうの慣れてないんだから。慣れてないとどこまでが無理でどこまでがギリギリいけるとか分かんないんだよ。無理の限界線超えた後で、あー無理だったって気づいても、もう線超えちゃってるから、限界を通っちゃったわけだから。そっからそれはトラウマになっちゃうんだよ。ケーキ食べてても歯磨きしてても電球切れても思い出すんだよ」
「分かったよ」
「何かあったら言ってよ」
「うん、大丈夫。大丈夫だから」

Tとの立ち話の時間はあっという間で、そろそろトイレに行きたくなると切り上げることが多かった。

「そろそろトイレ行きたい」
「うん、ばいばい」
「またすぐご飯行こ」
「うん」
「返信してね」
「うん」

これが、私がTと会った最後。

この後もしばらく、ドラマの考察や解禁された舞台の話、付き合っていると噂されている俳優の話など、いつものようにメッセージのやり取りをしていたのに、ふと見るとしばらくメッセージが返ってきていないことに気づいた。

マイペースな子だから、1、2週間メッセージが返ってこないこともよくあることだったので、またデジタルデトックス期かと悠長に考えていたが、2ヶ月近く返ってこないと流石に不安になった。電話にも出ないし、既読にもならない。いよいよ心配でTのアパートに行くと、部屋のポストにガムテープが貼られている。急いでTの家の住所を検索すると、そこは賃貸に出されていた。

大怪我か重い病気にかかったのかもしれないと、全身がヒヤッとして胸騒ぎがした。慌ててTの実家へ電話をかけたが電話線は解約されていて、もう番号は使われていなかった。

唯一の共通の知り合いにメッセージを送ったが「1番密なあんたが知らないなら知るわけないじゃん」と突っぱねられて、終わりだった。Tの直近のアルバイト先の天丼屋さんに電話をすると「シフトも入ってるのに、急に辞めるって電話来て辞められたのよ。すごい迷惑だったのよ」と、機嫌悪そうに言われ「今日ワンオペで忙しいから」と、電話は切られてしまった。

Tは”消える”準備をしていたようだ。

「最後に会ったとき、ガールズバーの仕事って言ってたから心配だったの」
「私何かしちゃったかな?」
「少しだけでも話せないかな?」
「体調崩してない?怪我とか?」
「スタンプだけでもいいから何か反応ちょうだい」

私は次々とメッセージを送り、何度も電話をかけたが折り返しの連絡は来なかった。しかし、3ヶ月ほど経った2023年1月6日に「あけましておめでとう」のスタンプが届く。安心したのも束の間で、このスタンプを最後に、Tからは一切連絡が来なくなった。


まず、1番最初に浮かんで1番嫌だと思ったのが、Tが病気になったもしくは何らかのトラブルに巻き込まれたということだった。重症で連絡すらできないのか、それとも自分の意思で連絡をしないのか。もし、病気になっていたとしたら、重ければ重いほど、Tは私に隠したいと思うだろう。

初めは、倒れてしまったんじゃないかとか、死んでしまっていたらどうしようと思ったりしたが、着信は何件も入れているし、年明けには実家に連絡先を書いた手紙も出してみたのだ。流石に家族が連絡してくれるだろう。

となると、他の理由かもしれない。私が原因かもしれない。"私のことを嫌いになった"とか。

私が親友と思っていただけで、Tは私のことをそこまで大事に思っていなかったのかもしれない。歳を取るにつれて、疎遠になっていく友人関係ももちろんあるだろうが、私たちだけは違うと思っていた。しかし、今回で全くもって自信がなくなってしまった。恋人同士だって同じなのだ。私たちだけは違うと思っていても、急な別れが来る。片方が思っていても、もう片方は思っていないことなんてこの世の中日常茶飯事だ。それは恋愛でしっかり学んだはずなのに。自分たちだけ大丈夫なんてことはないはずなのに。Tは私から離れていかないと、油断していた私がたしかにいる。

でも、最後に会った日に冗談混じりで、だけどちょっぴり本当に寂しそうに聞こえた「置いていかないでよ」の言葉も思い出される。考えながらも「自意識過剰なのでは?果たしてTはそんなこと思うのか?」と分析しておいて恥ずかしくなるが、珍しく順調に次のライフステージに進みそうな私とは、居心地が悪くなってしまったのだろうか。

そんな中で、1番これであって欲しいと願う理由がある。それは、夢を叶えて世界1周1人旅に出かけていることだ。実は上京してから、Tは「世界を周る旅に1人で行きたい。自分探しの旅とか何かありきたりで恥ずかしいかもだけど、お金貯めて仕事辞めて誰にも頼らず行ってみたい」と、時折漏らしていたのだ。デジタルデトックスをしながら、兼ねてからの目標だった1人旅をしていたらよいのだけど。

1人旅から帰ってきて、どっかのお土産なんか買ってきてくれて「このお菓子まずいね」とか「こんな置物どこ置くの」とか言って。写真見て「私もここ行きたい」とか言って。そんな風に話せたらどんなによいだろう。


最後にスタンプが送られてきてから1年が経った。久しぶりに電話をかけてみると、いつも最後まで鳴り続けて応答なしになるのに、今回は3コールで切れた。第三者が切っていなければ、Tが切ったんだ。Tは多分大丈夫だ。初めて、涙が出た。

そのとき、Tに無理矢理連絡を取ろうとしていた私は、ふっと冷静になる。Tは、私と連絡を断つことを選んだのだ。Tの事情や気持ちはどうであれ、現時点で私と話さない、会わないことを決断している。

状況も理解していない中で「連絡して。会いたい。話したい」という自分の気持ちをぶつけつづけるのは、私のエゴなのではないか。私の身勝手なのではないか。希望を押し付けているだけなのではないか。Tには時間が必要なのかもしれないし、もう私とは話したくないのかもしれない。

大切なTの決断を、私が無理矢理崩そうとしてはいけない。親友なら、その決断を尊重するべきなのだろう。どんな状況にしろ、どんな理由にしろ、Tは私の前から消えることを決めたのだ。

失恋したときのように、何日もご飯が食べられなくなったり泣き喚いたり、カッターを手首に当ててみたりはしなかった。

そういう突発的な悲しみではなく、親友の不在は私の生活の色を1色消した。それは大事な色だ。たった1色でも、消えればすぐにばれてしまうような色。生きていけなくなるわけじゃないけど、今までどおりは生きていけなくなる色。

一緒にいると似てくると言うけれど、それはあらかた間違っていないようだ。1年以上会っていなくても、長年の間に染みついた癖というのは中々消えてくれないらしい。

Tがご飯を食べるとき。たとえおしゃべりしていなくても、咀嚼する際に左手の親指を内側にしたグーの形にし、口よりも少し上の、むしろ鼻の上あたりに持ってきてもぐもぐする癖。何か突発的に面白いことがあったとき、笑う前に「んー!!」と発声して相手の顔を見て、目を見開く癖。白熱しながら熱弁するとき、後頭部を手のひらでパンパン叩く癖。

全部全部、Tからうつった癖だ。

Tがいなくなった今でも、Tの仕草が私の体で生きている。Tと過ごした時間があるからこそ、今の私という存在がある。そのくらい影響力があるらしい。消えてしまったのに、本当の意味では消えてくれないT。


Tが頻繁に夢に出てくるようになるまで、さほど時間はかからなかった。

夢に出てくるTはいつもどおりで、やっぱり私たちは、テレビドラマとか映画の話とか芸能人の話とか今度演る舞台の話なんかを、ペラペラペラペラ話していた。やっぱりTといるのは楽だな楽しいなとか思って、そしていつも「もう会えないと思った」とか話して「これからはこんなに長い間音信不通になるの、絶対やめて」って言って、Tは「分かった、分かったよ」と、いつもみたいに少し呆れたように笑って。私は本当によかったって安心して、いつも目が覚める。

目が覚めた直後は、夢か現実か分からない。Tとやっと会えたんだと、じんわり嬉しくなる。でも、だんだん意識がはっきりしてきて「もしかして夢ではないか」という疑念が、ここで初めて生まれる。「夢じゃありませんように」と強く強く願いながら、目を開けて横を見る。隣には旦那がいて、足元には猫がいる。

Tからのメッセージは、2023年1月6日から返ってこないまま。

Tは、私がこのエッセイを書いたことを知ったら「勝手にネタにして」と怒るだろうか。それとも笑ってくれるだろうか。いつかTの行方が分かったら、このエッセイの続きを書きたい。書ける日は来るのだろうか。


今日、私とTが好きだった俳優が結婚を発表した。


今夜は彼女とおしゃべりができるだろうか。


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