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村重の子供 又兵衛

岩佐又兵衛(いわさまたべえ)
耳聞ありますか。
おそらく、あまりピンとこないと思いますが、とても興趣ある人物なのでご紹介したいと思います。

惹句として、荒木村重に触れたいと思います。

時の天下人・織田信長に仕えた武将・荒木村重の息子であったのが又兵衛です。
武士の息子であった彼が、武士の道を捨てて絵筆を握るようになったのは、父・村重による信長への謀反がきっかけでした。

ご存じのように、信長により一族は滅ぼされましたが、又兵衛は奇跡的に救い出されます。
その後又兵衛は、母方の姓を名乗り絵筆の率い出た才能が認められ、江戸時代初期の絵師として活躍します。

異名は「浮世又兵衛」や「吃の又平(どもりのまたへい)」とも言われています。

当然、耳にしない名前だと思いますが、作品
洛中洛外図屛風
山中常盤物語絵巻

と聞けば、何となくピンと来ませんか。


洛中洛外図屛風


山中常盤物語絵巻
牛若丸と常盤御膳の物語です。
簡単な説明はこのyoutubeでご覧ください。





彼の絵の特徴は豊頬長頤(ほうきょうちょうい)という人物表現で、和漢が混合したスタイルです。

豊頬長頤とは、「ふっくらホッペと長いアゴ」という、それまでの人物とは全く異質の画風をとり入れました。
当時はあまりにも画期的な表現で「奇想の画家」と言われていました。
つまり、このような平たく言うと「オカメ顔」です。
それまでの、日本画の定番を打ち崩す画法でした。


大阪の陣の後、松平忠直(1595-1650)に招かれた又兵衛は福井に移住し、松平家のための作品を多数制作。

この時、又兵衛の代表作は多数生まれ、「浄瑠璃」の世界観を描き出した絵巻《浄瑠璃物語絵巻》も描かれました。


やまと絵や狩野派を独自に取り入れた又兵衛の作品は、のちの浮世絵師たちへと影響を与えていきます。

福井で20年過ごしたのち、徳川家にも招待され、晩年の20年は江戸で活躍しました。

激動の戦国時代を生き抜き、表裏を眼に焼き付け続けていた又兵衛、どんな心中であったのか。・・・

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