十字路

本日はやりたい事のリストに書いた2つを成し遂げた。
紙に書いただけ……。
それだけで、こんなにも早くなるのかと改めてビックリしている次第ではある。

そのうちの1つが、博物館に行くというもの。
何度か通っているのと、大幅なリニューアル等はされていない為、どちらかと言うと眺めて、写真を撮るだけの、少しばかりスタンプラリーに近いイメージを持って出かけた。

昔は乗り換えを重ね、それが遠くに行く事の旅情に繋がってもいたのだが、今はシームレス化されたり、車両も統一化されたりと、旅情は失われたのかもしれない。
予算を組むために、電卓を叩いた時に知ったのだが、1度ターミナル駅で外に出たほうが20円ほど安くなることを知った。
それならば、ターミナル駅で食事をしたり、お土産を買ったりできる。
行動に幅が生まれ、しかも安くなるという、ありがたい話だった!!

始発で出かけ、ターミナル駅までは一本で到着した。
朝食もチェーン店で済ませた。
その街は、仲の良い友人の奥さんが学生時代を過ごした街なので、何枚かスナップ写真を撮りラインで送った。

再度、電車に乗る。
現地に着いて、入場券を購入する。
そこには能登半島への募金箱が置かれていたのでお釣りを全て入れてきた。
ここでは、あまりこみいった話はしたくないが、闇雲な募金はかえってよろしくないと聞いたことがあるのでしっかり確認する癖をつけていきたいところ。
(後で確認したところユネスコを通して届ける予定との事。)

とにかく寒かったので、まずは室内の資料館に入る。
この辺はレイアウトを少し変えたくらいかなという印象。
そして一通り眺めると外に出る。
最近に学んだのは、写真はすぐに撮るのではなく、少しは寝かせて“どうしても撮りたいもの”を撮る方がいいと言う事。
(プロの写真家が書いた本の受け売りで今日は試してみようと思っていた。)
カメラはカバンの中に入ったまま園内を一周してみる。
不思議なもので、撮りたいものや構図を考えていたり、細かい部分にも目が行くなど、その教えは再現性の高い話なのかもしれない。
そして思い出す。
ここに始めてきたのは中学生の時。
当時はまだフィルムカメラで同じようにやっていた事を(フィルム代に現像代等を考えると思い切りよくは撮れなかった)。
実は2019年にも来ていたのだが、デジタル化の恩恵と言わんばかりにシャッターを切り続けるだけの鑑賞に終わったのかもしれない……。

とにかく昔を思い出し、写真を撮りながら2周目に入る。

変わらぬものと、時代にあわせて足された物たち。
そのコントラストのアンバランスさを感じながらも、楽しい時間を過ごしてきた。

思えば祖母からのお年玉がきっかけだった。
すぐに鉄道模型を買いに行った。
その時に初売りで安くしていた模型(いわゆるセット売り)を手に入れたのがきっかけだった。
どうしても本物が見たいがすでに運転は終わっており、新幹線に切り替わっていた。
その博物館に行きたくなるのは必然だったのかもしれない……。

当時を思い出す……。
大人のイメージさえ作れないままに、将来への作文を書いたような気もする。
何者にもなりたくなかった……。
個人的には10代の時間の速さだけはもう経験したくないと思うほどに速かった。
なんだか心を置き去りにして前に進むような、自分を置き去りにして前に進むような、心と思考の一致しない日々だった……。

最後に売店を覗いてみる。
昔はここでストラップや資料を購入したのだが、グッズのラインナップは今風に変わっていた。
驚いたのは、当時購入した資料が今も売られていたこと……。
廃線の跡地では新しさよりも忘れないための行動を続けるよりないのかもしれない……。
結局、地元のお菓子を購入して終わったのだが、なんだか感情がわからなくなる一日でもあった……。

あの日の自分、あの時の出来事……。
(形式的かもしれないが)大人になった僕。

何者になりたいか?
そんな問はいつまでも続いてしまいそうだが、
僕は僕でありたい。
という答えが偽りなき答え。
そうなるように日々を過ごしていこうと改めて思った……。

丁度、色々な方向から、色々な話が飛んできて、渋滞を引き起こした十字路のようなものかもしれない……。
あの日からの僕も正解かどうかは置いといて、そんな十字路をいくつも迎えてきた……。

交錯しても渋滞しても正しい選択をしていけるように……。

そんな事を改めて思った日だった。



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