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何者にもなれないあなたへ


みるまろです。

今回は最近ずっっっと思ってることを
書いてみようと思います。

僕は大学を卒業して会社に属さずに
フリーランスと働いています。

会社でもそうだと思いますが

「上に、上に」「もっと、もっと」

を求めて走ってる人って圧倒的に多い。

僕もそのタイプですが
最近終わりがないこの連続に、心身が疲弊していた。


社会に出ると、何かしらの役割が求められる。
求められた役割を全うし、対価を得て生活する。

もっというと友人や恋人すら、
お互いにメリットが無ければ会わなくなる。


僕は昔から

「今より一歩先に」
「もっと高みを目指して」

そうやって登ることで、
満たされると思っていた。

何がどう満たされるかはわからないが、
とにかく「何者かになれば、満たされる」
と信じ込んでいた。

でも実際は、できることが増え、収入が増え、
手にしたかったものが手に入るほどに、もっと欲しくなった。

今あるものには目もくれず、更に上を目指す。
満たされるどころか、心も体も渇いていった。



何者かになれば、満たされると思っていたが、
「何者かになれば」という条件をつけている時点で
成り立たないゲームだった。

何者でもない自分をそれで
良いと思ってもらえることが、
満たされている状態だった。

僕は生まれて24年たつが
何者でもない自分を大切にしてくれてる人が
数多くいる。すでに満たされていた。

なぜ僕は今までこれに気づかなかったのだろう。


でも今は、こう考えている。

きっと、人生は、大したものじゃない。
僕はちょっと大袈裟に捉えすぎていた。


せっかく生まれてきたのだから、
何かの縁で一緒にいてくれる人たちと、
沢山の幸せな思い出を作りたい。

そしてこれからも、
社会では何かしらの役割を担って生きる。

これは死ぬまで続く。

ただ例えどんな悪い評価を受けても、
自分の価値を落とすことはできない。

そう思わせてくれる存在がいるだけで、
人の目も全く気にならなくなった。

とても心強い。

その人たちと楽しい時間を過ごすためには、
やはりお金が必要なので、
「そのためにお金を稼ごう」と
思うようになってからは、仕事にも精が出る


ひとりぼっち おそれずに 生きる必要はない

20代前半は何もかもうまくいかずに
この世から消え去りたい瞬間もいっぱいあった。

だけどそれは、

「外に」自分の価値を見出そうとしていた

いわゆる人からの評価だ。

「満たされた」状態が何かもわからず、
漠然と満たされたいと思っていたせいだった。

全てを手にしたように見える芸能人でも、
自ら命を断つことがある。

そういう時こそ、
「外側」に答えを求めようとしないでほしい。

人は好きなことを言うし、
社会や組織も好きに私を評価する。

1000人いれば1000通りある
基準に合わせようとすると、
そりゃあ壊れてしまう。

それでも私も渦中にいる時は、
「自分を大切に」とか
「人の目を気にするな」と言われても無理だった。

そういう時はせめて、
自分の心が「正しい」・「良い」と
言うものだけを信じて進んでほしい。

人の基準ではなく、
評価や判断基準を「自分の心」に置く。


心が「嫌だ」「おかしい」
「違和感がある」と感じる時は、
それを疑う必要はない。

ネガティブな感情を否定することは、
自己否定することと同じ。

そして、自分が存在するだけで喜んでくれる人が
存在することを覚えていてほしい。

社員・友人・恋人・同僚としては
代替可能かもしれないが、
誰かにとっては唯一無二であり、
その誰かは一人でも十分だということを。

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