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noteの宛先


新しい発見をたくさんくれる本

『僕らの仮説が世界をつくる』佐渡島庸平さん
のあとがきに、
『世界は贈与でできている』近内悠太さん
との対談記事がありました。

何かを創作するには「宛先を持つ」
ことから始めるしかありません。
自分を癒すためになにかを書いても、
インパクトとしては絶対に弱くなります。
でも、誰か特定の人に向けて書くと、
なぜか結果としてその向こう側にいる
たくさんの人に届くんです。
具体的なひとりの人間の向こうに、
たぶん何百人、何千人という人がいる。

「誰に」って、抜けがちです。
noteを書いていると、
漠然と自分のかきたいことをかきがち。

それもよしとして。

ふと、この文章を読んで、

「誰に書きたいか?じぶん」

と問うと、
自分の子供がもし、仮に、
自分の死後に読んだとして、

生きる勇気

みたいなものを感じる。
成長した息子向けかもしれない。


と思いました。


その「宛先」に出会えることは、
たぶん幸福なことです。
ものをつくったり、書いたり、
表現したり人にとっては、
その気づきは必要最低限の条件なのかなと思うんですよね。


もっといえば、
生きてるうちに、息子が見たら
どう思うか?どう思って欲しいか?

と。

そう思うと、書く内容がかわるかといえば
そうでもないのですが。

読まれたら恥ずかしい気もするけれど。
読まれて恥ずかしくないものにしよう。

宛先を持つことの幸せ、
という意味を感じました。

今日もお読みいただきありがとうございます

写真はきょうの桜の芽。
毎日カメラに
同じ桜の芽をためていると、
変化を感じます。


もうすぐ、芽吹く。たのしみです。

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