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「助詞は呼吸」

「書きたいが書けるに変わる創作講座」
一作目のエッセイを書き上げました。
完成したリフィルを手に取ったときは、
「感動」というよりも、
「感謝」でした。
42年の人生で得た命、命を育てた人が
書かせてくれた10000字だったからです。


第五回の創作講座で、田端書店の大槻先生から
学ばせてもらったことを書きます。

今の編集者は、作家に
「どうなりたいですか?」とまず尋ねる。
売れたいのか。評価を得たいのか。
効率を求める世知辛い世の中でもあるけれど。書くを楽しむか、書くを究めるか。
作家自身が決めていく。

どうなりたいか?は「どう生きたいか?」
でもある。
作家、ライターになるのでも、
会社員として働いていくにしても、
この問いは人生を賭けて自らに問い続けるものでもある。

私が常々思っていることは、
「新しい自分が見たいのだ、仕事する」
ー陶芸家 河井寛次郎さん
ことと、
「社会の風向きを変える」ように
生きていくこと。

だから、書きます。仕事します。

句点読点の使い方ー。
編集者は、作家のそれを、絶対変えてはいけない。作品の目的が違えばもちろん違うが、編集者は、文学作品において点と丸を動かしてはいけない。
書き手のリズムがある

今回初めてのエッセイを書いてみて、
第二稿から、最終稿への校正の時に
一番思ったのは、「、」と「。」が変!

だった。リズムがなく、いちいち詰まる。
ブログと、文学作品の違いはこの、句読点だ。

今書いているnoteでは改行や、余白を
用いればある程度「ぽく」仕上がるのだけど、
エッセイにしても小説にしても、
句読点によって書き手のリズムが格段に変わる
読み手が読みやすい、または楽しめるリズムが
段違いに変わる。

形容句は腐るのがはやい。
形容句、修飾語が作家の個性とみられてしまうことがあるが、そうではない。
今使う形容句の10年後も使われるものか?
まで考えて使う。
たとえば、「ナウい」はどうか?

形容句はかっこいい。
そう思っていたしそう思っている。

けれど、ファッションのようなもので、
流行り廃りがあることを分かって使うのがいい

「10年後に読まれること」なんて、
考えたことなかった。
「10年後に読まれても、鮮度が落ちない」
本質的な、普遍的な文章を書きたい。

助詞は呼吸
音読してみて、自分が読んで、
自然なところに落ち着かせることが大切。
そのとき、なおすべき、助詞にこだわる。
〜を、か、〜に、かで、色が変わる。
文章を個性的にしていく。
井伏鱒二さんがなおすのは、助詞だけだった。外連味(けれんみ)のない文章を。
文体の不思議。

子どもが本を音読していると、まあ、よく
間違うのが助詞。徹底して指摘してしまう。

が、大人の自分もまあ、よく助詞がおかしい。
よい助詞の使い方のもっとずいぶん手前で、
そもそも、日本語としておかしいことが、
音読をしてみるとよくわかる。
息が詰まる。
呼吸がうまくできない。

冒頭に書いた
・私が常々思っているのはー
という始まりの文章にしても、
・私は常々思っているのだがー
とか、
・常々、私の思っているのはー
とするかで、全くちがう。

違うということに気づき、
違いを出すことを楽しみたい。

呼吸しやすい助詞を。
深呼吸するような助詞も。

文章は動詞を中心に回していくほうがいい。
アンティーク調の椅子を引く時に、
・鈍い音がした
・軋む音がした
動詞は、その後の残り方が違う

「回していく」という動詞が面白い。
文章を回す。という。

文章を書くのでも、つくるのでもなく、
「回す」。

動詞で、物語を動かす。
主語を、主人公を動かすのではなく、
作品そのものを動かしてしまうのが、
動詞。

作家とは、「家を作る」と書く。
まさに、家をなしている。
これが作家である。
家に尋ねる人が、その家に浸ってしまう、ような。浸して返すような、家をつくる。

自分は作家でも、作家の卵でも、ない。
けれど、「家」をつくりたい。

書くこと、作品を作ることで、
自分を作り、世の中のやの人の役に立つことを
したいと思っていた。

でもそれは、自分と他者。自分と社会を
切り離して書く営みでしかなかった。

自分と他者、自分と社会をひとつの
「家」として暮らし、よりよい風を吹かせる。
そんな作家になってみたい。

創作、作品は自己承認欲求を満たす。
ただ、
才能が大きいほど、認められるものではない
ただし、認められるよりも
むしろ発見された方が大きい。

ただ、
「発見される」ためには、創意工夫が必要。

「屋根より低い鯉のぼりと、大阪・梅田スカイビル」という私のはじめての作品は、
今思うと、
「中年の危機(ミドルエイジクライシス)」を
幼年期の葛藤と、
大阪という故郷アイデンティティを使って、
乗り越えようとする魂の叫びです。

きょうもお付き合いくださり
ありがとうございます。

写真は今朝のゲリラ豪雨を、
天井からしたたる水一滴から見てみたい、
という衝動からの一枚でした。

助詞は、まるでこの落ちるまでの一粒の
水滴のように、付かず離れず、物語る水でした



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