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からあげのイデア

テスト終わり、山口町を直走りながら道路沿いを見ると、立ち並ぶ風景が想像を膨らませさせる。
テストがたぶん満点であるという驕慢が、いつもは褪せた景色を彩ってくれているのだろう。

道沿いのローソンのバナー広告で、「海からクン」というフェアが打ち出されていた。海老が唐揚げになったならさぞ美味かろう。


新しい商品が「海からクン」であるなら、元の商品である「からあげクン」は「陸からクン」になるのだろうか。

よく考えると、普段「からあげ」と称して販売されているホットスナックはだいたいが「鶏の唐揚げ」である。
料理屋に行けば、ふぐの唐揚げも美味だし、居酒屋ではたこの唐揚げは定番の一品だ。
しかし、何も書いていない「からあげ」は、「鶏の唐揚げ」が大多数である。
私たちの中の「からあげ」像がいかに鶏に支配されているか思い知った。

みんなが「唐揚げ」と言われたときに頭の中で浮かんだ映像を、監視カメラのモニターのように並べて見てみたい。
そこを圧倒的多数で占拠する鶏の唐揚げの姿が目に浮かぶ。
唐揚げにレモンかけるかの戦争はどうだっていい。
その前にみんなが一つになれる議題があるのだから。

からあげのイデアは、鶏にはない。しかし、からあげといえば鶏のイメージは100%ついてくる。
イデアにまで食い込んでくる鶏の威力と、もはや調理工程としてはフライドチキンと混同されている「真のからあげのイデア」への哀愁を思った。

人がからあげを見るとき、それは鶏を見ている。
誰か気になる異性がいるとき、それは見た目ばかりを重視してはいないだろうか。
もっと本質の部分を見られると、私たちの視界は一気にマインドフルな世界まで広がっていくだろう。
そんな目を持ち合わせたい。

からあげのイデアは揚げた表面(見た目)だけどね。

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