「傲慢と善良」の世間的評価について(嬉)

辻村深月著、『傲慢と善良』という、どの本屋の店頭にも並びまくっている売れている本がある。帯に「人生で一番刺さった小説との声続出!」と書いてあったし、朝井リョウがほめてるっぽいコメントも寄せてたのでさすがに買ってみた。

あらすじでいうと、結婚を間近に控えた恋人が突如疾走、その謎を追っていくうちに、、みたいな「またおま系」なのだが、それがこんなにも評価されているポイントは(朝井リョウも帯で書いているように)、これが恋愛のお悩みの皮を被った「選択」一般のお悩みについて深掘りしていくお話であり、ひいては人生全般についてのお話に通ずる部分だということらしかった。

これが、個人的にはとてもありがたい本だった。とはいっても、帯に書いてあったような「ぐさぐさ刺さった…!」とか「人生の指針となるような重要な一冊に…」みたいなそういう意味ではなくて、むしろ、「あ、これって世の中の人たちもぐさぐさ刺さってくれるんだ」という、本書に対する世間的な評価を含めた現象そのものがありがたポイントで。

この本の中では、自己の傲慢への認識、自己評価、(あとは善良)、これらと向き合うことが一貫して求められる。色んな感想をみていると、こいつを明示的に突き付けられたことが結構な衝撃で、ぐさぐさ刺さってしまう、とのことだった。他方、この禅問答に常日頃から付きまとわれ、向き合わされ続けている人生だと(勝手に)思っていた自分からすると、この本には、日ごろ「自分だけが悩んでいる(他の人はこんなことで悩まなくてすんでいいな)」と思い込んでいたことがそのまま書いてある部分がたくさんあった。どうやら、「俺だけが抱えている孤独な呪いか..いいだろう、俺が生涯を賭けて相手してやるぜ…」というのは引きずりすぎた中二病の一症状に過ぎなかったらしい。あ、普通にみんなもそう思うんだ、と思ったら、それはそれでなんかちょっと嬉しくなった。”世界”が俺を、ほんの少しだけ受け入れてくれているかのようだな…、それもまた一興だろう、しばし付き合ってやるとするか…。

という、「この売れてる小説、別に刺さらなかったけど、むしろみんなが俺の思考までついてきてくれてありがとう、って感じ?」という自己の”傲慢”と向き合う論考が別途必要な、そんな感じでした。


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