【年末】俺はカラマーゾフの兄弟を「誰もが手が止まらなくなる」中巻途中で読むのやめた唯一の人間だ

「カラマーゾフの兄弟」という、全世界的に傑作中の傑作がある。東大生が選ぶ〜だとか、軒並みその類のランキングでも1位だったりとかなんだとかするし、事実、おそらく罪と罰よりもキャッチーで分かりやすく面白いのだと思う。
そんな不朽の名作、というとチンケに聞こえてしまうほどの作品だが、その効用を得るにはあまりにも高いハードルがあることでもまた有名である。百聞は一見に如かずということで、かつてカラマーゾフを読み始めてすぐに描き始めた図を特別に大公開。

なんとかチンだのなんとかニコフだののロシア人が毎頁次々に送りこまれてくる恐怖。それでいて1回説明しただけでその後はそれを自明のものとして進んでいくので、絶対に理解できないと徐々に崩壊していくだろう恐怖。永遠とも思える苦行、徐々に「ん?これはさすがに騙されているのでは…?序盤はとにかくキツくて、でも我慢すれば、とか言ってれば馬鹿みたいにつまらんだけの文章でも高尚な顔して読み続ける説ー!の検証か…?」などという疑心暗鬼、もはや誰も彼も、絶対にこいつだけはモブだと思っていたカルガーノフすら信じられなくなったその刹那、それが訪れる。
「神はあるのか?」
おぉぉぉ、これこれだ、遂に来た…!神だの不死だの、神をいることにするほうがよいのか、だの。あぁ、ここからはもうウイニングランっつうことね、と。頁を捲る手が止まらない止まらない。上巻を難なく読み終え、中巻、ここから下巻までは一瞬なんだもんなーと思っていた矢先、
あれ、なんかおかしいな、就職してしまった。ん、あんまり読む時間無いな…。そろそろあれだけ時間をかけて整理した登場人物、何ニコフだったか忘れかけてきたぞ…。
と、気づいた時には2ヶ月あまりが経過していた。こうしてあっけなく、けっこうな人達にとって人生で1番面白いという読書体験のサビの部分を丸々失ってしまった。今考えると普通にバカすぎる。なんでそんなギリギリで読み始めてるのか、社会を舐め腐った今どきの若者ってこと?

ここから話は急転直下、バックドロップで「何度ここへ来てたって〜♩」に突入するが、ここで言いたかったのは、「かくして、カラマーゾフ全編読まずとも『俺はカラマーゾフを絶対みんなやめない勿体なさすぎるタイミングでやめたんだよね』というトークを一本獲得した」ということなのである。社会を舐め腐った今どきの若者だったことで。これは、頁を捲る手が止まらなくなって最後まで読み切ったことより得ているものは大きいのではないか、という問い。昔から好きな本に、ピエール・バイヤールとかいう胡散臭いおっさんが書いた『読んでいない本について堂々と語る方法』という本があって、要旨は「本なんてのは読めば読むほど馬鹿になるんだから、読んだフリでもしながらベラベラ語るくらいがよいのだ。そうでもしないと、自分が無くなっちまうぞ」というもの。今回カラマーゾフを読み切った場合、この先の人生は嫌でもドストエフスキーの手中に少なからず踊らされることになりかねない。多くの「カラマーゾフを読み終えてしまった人たち」と同カテゴリーの。表題のトークは、それ一本ではそこまで強いトークではないのだが、この意味において非常に重要な意味を持つのでは無いか。そろそろお気づきかと思うが、かまいたちの「俺、トトロ見たことないねん」は、高尚な哲学だったのである。己が己であるためには、「読まない」という選択肢があり得るのだ。

というわけで、なんでこんな2年前くらいの話を思い出したか分からん話でした。『読んでいない本について堂々と語る方法』を読み込んで実践している時点ですでに「己が己であるために〜」とかなんとかほざく権利は無いんだけどな。あーあ、令和ロマンってまだ俺だけがオモロいと思ってたかったな



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