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【SURVIVE】
英語で『生き残れ』の意
2m x 10m

この横断幕を掲出し始めたのは2013年の開幕戦。奇跡の残留と言われる2012年の翌年だ。
そんなタイミングも重なり【SURVIVE】というワードから"残留"を連想する方が多いのかなと思っている。
しかし、この横断幕に込めた想いは残留とは違ったものだ。今回はそんな横断幕について語っていく。

まず、この横断幕の成り立ちから語りたい。
2011年、2012年と以前に紹介した「LA FAMILIA」を始めとした幾つかのチーム幕を運用していく中で、問題として浮かび上がったのは新潟在住組の過負荷だった。当時のいわゆる中心部のメンバーは僕を含め、進学で関東に在住しているメンバーが多かった。現在もそうだが、以前から『ホームもアウェイも所有している横断幕の全てをスタジアムに持っていく』というスタンスで動いていた僕たち。当時は車も持ってなく、電車やバスでアウェイへ遠征していたのだが、1人でスーツケース2つ引きずって遠征してくる新潟在住組の姿を見たとき、関東在住組で少しでもこの負担を背負えないかと思い立ち、取ったアクションが『関東組で管理・運用するアウェイ専用の横断幕を作ること』だった。

そんなことがきっかけでこの横断幕は生まれた。

イメージとしては、LA FAMILIAの弟分のような立ち位置にしたかった事もあり、ひと回り小さいサイズ感に落ち着いた。また、当時運用していた横断幕の多くは、ビッグスワンの最前列に合わせて縦幅3mで製作しており、さして高さのないアウェイのスタジアムでは使い勝手が悪かったことも要因としては大きい。

ファミリアよりもひと回り小さいとは言え、10mの大きな横断幕。都会の真ん中で製作するには障壁が沢山あった。場所の問題や時間の問題、授業やアルバイトがある中で集まる人数に限りがある…。
そんなこんなで製作には時間を要し、結局は開幕戦(2013年vsC大阪)当日の朝方まで作業する羽目になった。
その後は、トップチームのアウェイゲームはもちろん、関東で行われたユースの試合や沼津キャンプにも一緒に行けた。
苦労した製作活動から色々な場所へ連れ立ってきたことまで、この横断幕との思い出は多い。

次は込めているメッセージについてお話ししよう。
SURVIVEの下にはNIIGATA THROUGH THE WALL. FIGHT IT OUT.と綴っている。
これは全て、Hi-STANDARDのベースボーカル難波章浩のもう一つのバンド、現NAMBA69 の前身である難波章浩 -AKIHIRO NAMBA-名義でのソロアルバムWAKE UPからサンプリング(引用)している。2012年の奇跡の残留時のWE ARE ONEプロジェクトに参加し、ビッグスワンにも足を運んでくださり、曲も提供してくれた難波さんへ何か返したいという想いがあった。

具体的にはSURVIVE/PUNK ROCK THROUGH THE NIGHT/FIGHT IT OUTの三曲から頂戴している。『生き残れ、壁を突き抜けて最後まで闘うんだ』と意訳させてもらった。外部環境に左右されず生き残り続けること、強く伝えたかったメッセージが難波さんの曲を持って具体的なイメージに変えることができた。

最も伝えたかったSURVIVEについて。
前述のように残留というメッセージを伝えたかったわけではなく、外的要因に大きな影響を受けながらも生き残り続けなければならないというメッセージである。

新潟は外的要因に左右されてきたチームだ。ワールドカップ誘致活動からチームが立ち上がり、誘致に競り勝てたからこそスタジアムも作れたし、JFLで結果が出せなくてもJ2に参加できた。外的要因に下駄を履かせてもらったとも言える。そしてワールドカップバブルの勢いそのままに昇格してからは、外的要因により悪影響を受ける。なんとかJ1に定着できたものの、移籍金制度の改定によるいわゆるゼロ円移籍解禁により、マネタイズ(収益を得ること)に失敗し、選手を維持できず徐々にチーム力が下がっていった。そうして再び残留争いに飲み込まれ、非常に危機的状況に陥ったのが2012年だった。
ついでに語るならば、シーズンの秋春制移行の議論なんかも、雪国のクラブとしては圧倒的逆風であった。
そんな当時の状況を鑑みた上で、強く提示するべきだったのが『生き残れ』だった。大きな流れに左右されてきた俺達だけどそこに逆らって、立ち向かうのだという思いを込めている。

「関東組」のような概念は地方クラブだからこそ生まれる。都心のクラブにはなかなか存在し得ないものだろう。地方都市(地元)で暮らす人と、そこを離れた人ではチームやクラブに対しての関わり方や感じ方、考え方も変わる。

地元から東京へ出て、物理的な距離を置き、チームを俯瞰して見られたことで、このメッセージは生まれたのだと思う。そういう意味では、元々アウェイ限定で運用する為に作られた横断幕だったが、県外に出た人間が運用するからこそ説得力のあるものになったんだな、と今は思う。ホームタウンのチームを想う気持ちは同じ。ただ、立ち位置が変わればメッセージも変わるものだ。

僕自身は大学卒業後、東京で就職し働いているが、この横断幕を共に制作した仲間の中には就職で新潟に帰ったメンバーもいる。

サッカーに限らず、時代の変化のスピードは年々早くなっているように思う。新型ウイルスの感染拡大が今後どのような影響を及ぼすかも予想できない、まさに外的要因に左右される時代になりそうだ。
そんな中でも、時代に置いてきぼりにされず、生き残っていく。そのことが今後、アルビレックス新潟をサポートすることの源泉になると信じてやまない。そう信じて毎日必死に働いているのだ。(笑)

あの日、チームに、そしてクラブに向けて投げかけたメッセージは、2020年を生きる自分自身に向けられたメッセージだったのかもしれない。

まだまだ様々な制限が続くJリーグだが、今回ご紹介したような視点からもビジタースタンドを眺めてもらえれば幸いだ。


文責:星 凌太 @ryo_bfans
編集:渡邉 林太郎 @rintarou0705
渡邊 恭平 @kyo_hey13


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常にLA FAMILIAの隣に掲出し続けた

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それは作成から6年が経った2019シーズンも変わらない。

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2013年のユースでも掲出。

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甲府では掲揚ポールを利用した特殊な掲出も。


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