解は快にあり!?
2018/12/03 水田道男
完全な内輪の話であるが、先日の11月29日を弊社の創業日としている。4年前のこの日に、共通の知り合いの披露宴で偶然に野元・小野寺と再会し、二次会に流れ、その場で事業を一緒に、と誓ったのであった。
その後、諸々あり半年後のブリコルールの設立に至る。まだまだ何かを成し遂げた訳でもなく(成し遂げるという言葉で説明するような大志もそもそもないが・・・)、過去を懐かしむような趣味も無いのだが、このブログが今回で私自身の30号目というのは、少し感慨深いものがある。不特定多数の人に語るのはたいそう苦手で、半年間ほど一切書かなかった時期もあったが、その分一作一作に産みの苦しみがあって、そのにがみが記憶として堆積している。
その第1号には、株式会社東京糸井重里事務所の人材採用要件の「いい人」に関する話を書いた。会社が上場するなど事業への共感者が着実に増えている状況から察するに、この「いい人」採用は、上手く機能しているのであろう。近著の「すいません、ほぼ日の経営」でも、「いい人。その定義できないものを、うちではあえて前に出したんです。あいまいなことを言っているようですが、なにかを表現するとき、最も大事な芯になることは、ぼわっとしているものです。もう一つ、もし『いい人』を定義してしまうと、それに合わせた人がやってきてしまうから定義をしていない。」と語られている。
同書ではその「いい人」に関連して、「どこか旅行にいく、遊びに行く」という時に、「あいつも呼ぼうよ」と呼ばれる「あいつ」が欲しい、とも言っている。正に、ぼわっとしているが芯を食っている例えだと思う。
今たまたま、「いい人」が集う会社と「おもしろい人」が集う会社の人事制度改定と人事制度構築のプロジェクトを手掛けている。普通に考えると、この「いい人」と「おもしろい人」の要素分解をして、いい人とおもしろい人から、「何かいい人っぽくない」「何かおもしろい人っぽくない」と思われながら、「組織を創るとはそういうこと」という筋の悪い話を通してしまうのだろうか・・・・と、個人的なざわつきを覚えているところである。
さて、どうしたものか?
これから思考の試行錯誤を重ねて行くしかないと思っているのだが、両社に共通していることとして「低刺激の環境」というキーワードが今のところ浮かんでいる。
いい人、おもしろい人とは、要するにヒトやモノ、コトに対する感度が高い人だと私は思っている。そして、その感度が高い人が育つ環境要因とは、低刺激な環境、つまり「不快な情報にはできるだけ触れない」状況ではないか。不快な情報・刺激が多いと、人は自分の感度を下げることで自分の身を守る。これは、生物としての基本だと思う。
だから、感度を下げずに過ごせるような環境を如何に作るかが、大切なポイントだと思う。
これを如何にして人事制度(+その運用)というフィールドで実現できるか?
これが今回の二つのプロジェクトでのチャレンジだと思っている。
そう言えば、今もう一社で取り組んでいる、ノーレーティングを軸とした人事制度改定も、レーティングという大変不快な記号から人を遠ざける施策とも解釈できるような気がしている。
多くの人事制度は、ストレス耐性の強い人材を暗に指向しているのではないか。ストレス耐性の強さとは、アンテナの鈍感度合いの高さとイコールかもしれない。
そうではなく、その人の持つ感度を最大限解放できるような人事制度(+運用)。明確には結像していないが、思考の方向性として筋は悪くないではないだろうか。
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