見出し画像

「The Pen」~ペンは〇〇より強し!?

2017/06/18 水田道男

先日、金沢へ足を運んだ。目的は、21世紀美術館での池田学さんの作品鑑賞。
池田さんは、1ミリ以下の極細のペンの先にアクリルインクをつけて細部を緻密に描き、それを少しずつ(1日に描けるのは10㎝四方という)丹念につなげて作品にする(よって、大作を仕上げるとなると数年単位の時間を要する)。そんな池田さんの作品のことを、佐賀県立美術館学芸員の秋山沙也子さんは、「The Pen」という池田さんの画集の中で以下のように評している。

「このような自身の制作スタイルを、池田は『ゆっくり歩いているように』と形容する。車でも電車でもなく歩くということはいわば風景に身を投じることであり、周囲の環境との相互作用から自他の実存を絶えず確認する行為だとも言える。また、無限の道順の選択肢はイメージのズレや分裂を拒まず、それを多様なままに画面に封入することを可能にする。人によっては効率が悪くも思えるであろう手間のかかる歩みは、作品の深度を担保するための彼の巧みな身体知でもあるのだ」(「The Pen」 154ページより抜粋)

金沢への道中で読んでいた本が、エドガー・H・シャインの「謙虚なコンサルティング」。
シャイン教授は、クライアントに対する好奇心、力になりたいという積極的な気持ち、そして思いやりという3つの姿勢を持ち、適切な信頼関係を築くことで、従来の診断や介入とは違う、「アダプティブ(適応的)・ムーブ」(解き方がすでにわかっている「技術的な課題」と解決に必要な知識や技術が自明ではない「適応を要する課題」とに整理するハーバード大学のハイフェッツ教授の考えを援用している言葉だと思われる)が採れるようになると説く。

これも、クライアントと共に「ゆっくり歩く」ようなプロセスだと思う。
2週間前、自分は、こうしてすごく元気をもらった。池田さんやシャイン教授と自分を対比させること自体がおこがましいことであることは百も承知である。才能も技量も努力の量も足元にも及ばないことは自分自身が一番自覚している。
でも、改めて自分は、あるいはブリコルールというコンサルティング会社は、このようにクライアント(作品)と歩くことが好きなんだ、と知ることができたし、それを追求している先達がいることに心を強くする。

そしてこの1週間。自分は、ひどく陰鬱な気持ちになる。
政治的イシューのポジションをこの場で語るのは相応しくないと思うが、国会の場があまりに「技術的な課題」対応に堕している状況に、目がくらむ思いである。

池田学さんは、その真偽はともかく、2008年の「予兆」という作品の予言性で注目された。
最新作は「誕生」。
誕生の前に、終わるものは何だろうか?
あるいは、終わりのはじまりを予言しているのか?
池田さんの宇宙へ更に引き込まれる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?