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「不惑」ではなく「不或」

2017/11/15 水田道男

久しぶりのブログである。6月以来である。
久しぶりついでに、いや久しぶりだからこそ、いつも以上に個人のよく分からないつぶやきを綴ることをお許し願いたい。

月に1回、ブログを書くということを創業後のあるタイミングから決めていながら、その約束を不履行していたことになる。
元来私は、読み手が特定されていない文章を書くことに難儀する質である。仕事も一緒で、文脈を切り離して汎用化・標準化するということが苦手だ。リアルな対象・素材がないと、頭と手が起動しにくい性質なんだと思う。
それに加えて、私のブログを毎月楽しみにして頂いている熱烈なファンがいる訳でもないので誰かに迷惑をかけるでもないし、何よりもこの数か月、たくさんの仕事を頂きそっちに頭が一杯で、などなど多くの言い訳を自分にしながら、何となくずるずる時が経過していた。

このような私の性質や、仕事をとりまく状況が変わった訳ではないのだが、書いた方がよい、あるいは書き続けた方がよい、と急に思ってしまった。
その改心を後押ししてくれた本を、少し紹介したい。

「あわいの時代の『論語』-ヒューマン2.0」安田登著

同書によると、論語が書かれた時代には、「四十にして惑わず」であまりにも有名な「不惑」の「惑」という漢字は存在しなかったそうである。「惑」という字が存在しないとなれば、孔子は「四十にして惑わず」とは言わなかった可能性がある。
では、何と言ったのか?
「惑」ではなく、ほぼ同音である「或」と言ったのでは、という仮説が提示される。
「或」とは、「区切る」「限定する」という原義があるので、「四十にして或わず」とは、「四十ぐらいになったら、「自分はこういう人間だ」、「自分が出来るのはこれぐらいだ」と限定しがちになる。それに気をつけなければならない」と孔子が言ったと推測できる、と。

事の正否は私には分からないが、その仮説は今の私の中に大きな石として投げ込まれた感じであった。
不遜にも少し傲慢になっていたのかも知れない。自分にも、そして仕事を頂けている今の状況に対しても。
「境界線を明確にして惑わない」ではなく、「境界線を淡くして或わない」で行く。
これが、起業の契機だった筈なのに。
自分で自分の枠を決めようとしている。そして、他者にもきっと枠=決まった関係に基づく行為を求めてしまう。

あかん!
行為が先。行為が関係を創り上げる。行為の相互調整が社会を動かす。
五十にして天命を知るには、まだまだ惑が足らないということで、やっぱり再開しよう。
ブログ。私なるものと私なるもの以外との大切なあわいの一つとして。

は~長いつぶやきにお付き合い頂き感謝。また、来月。

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