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全国に1900人しか居ない苗字を持ったからには


はじめましての人も、そうでない人も、
はじめまして。

奥泉です。23歳。役者です。

今回、改めて自己紹介をします。
それにあたり、知ってる人は知っている生い立ちから切り出そうと思います。


生まれは埼玉で、その後は埼玉で幼少期を送るのですが、小学校は埼玉へ通うこととなり、結果的には埼玉の中学で野球部に入ることとなります。

ずっと坊主だったのですが、髪を伸ばし始めたら天然パーマになっていました。その後、生涯天然パーマと向き合う羽目になるとは当時の奥泉は知る由もありません。


2012年、県で4番目に頭のいい高校に入学しました。

県立の男子校は全国に19校あるらしく、我が母校は3学年合わせて1200人の男子を収容する名誉ある高校です。最初の実力テストでは学年400位を記録しました。

ちなみに高校独自の文化で、学年最下位はラストエンペラーと呼ばれるのですが、その椅子にはついぞ座ることはありませんでした。


文化祭がすごいんです。
累計1万人越えの集客を毎年誇ります。
実は我が母校は『ウォーターボーイズ』のモデルで、水泳部が毎年シンクロをやるからってのが主な理由なのですが、それに伴って文化祭実行委員会が大規模な組織になっとりまして、そいつらが文化祭を毎年成功させることに貢献しているわけです。

成果があったのかは微妙ですが、毎年「高校生クイズ」の予選にこぞって応募して、ハッピ姿のメディア進出を狙ったりなどしています。


中3のときに行ったその文化祭で軽音楽部のライブを観て、ここに入りたいと思いました。

見事その通りに、入学して軽音楽部に入部しています。最初はベースをやっていたのですが、なんやかんやあって最終的にボーカルになりました。

この時から、オンステージというものへの執着が生まれ始めていたと今では思います。


2015年、早稲田大学へ入学しました。

ここから2年間はいわゆる普通の文系大学生を謳歌することとなります。屋外で寝ることが増えました。雀荘でバイトを始めた結果、知らないおじさんと六畳一間で共同生活することになったりもしました。

法学部生として真面目に勉強していた時期もあります。法律サークルやゼミで討論会に出たことなどもありました。


法律サークルのイベントごとにもよく参加して、低俗ぶったり高尚ぶったり、とにかく友達は増えたと思っています。大学の友達って、一緒に時間を過ごすことに理由がないというか、特に重たいものを共有する機会が少なくて、それがまた丁度よくて、そういう丁度よさってこれからもどんどん重要になっていく気がします。


バンドサークルにも入っていましたが、こちらは途中から参加頻度が少なくなってしまいます。

みんなガチなんです。摂取してきた音楽も豊富で楽器も上手い。そこがとてもかっこよくて、その光が強ければ強いほど劣等感が積み重なりました。そこから奮起して追いつこうとできれば少しは違う道があったのかもしれませんが、私はそうしなかった。今でも音楽に対してはコンプレックスが強く、同時に音楽の人には等しく強い尊敬の念を抱いています。

とはいえ、その空間が排他的であったわけではなく、定期的にボーカルに誘ってもらうこともあって、中でも「聖飢魔II」のコピーバンドでは良くしていただきました。居場所を与えてもらえたこと、とても感謝しています。


でも結局、そこで何も果たせなかったことに変わりはなく、それがどうしようもなく消化不良でした。

せっかくステージがあったのに。
人前に立てていたのに。

自他ともに納得のできる、最高の形をお届けすること。そこに向けて時間を費やし続けること。そういう美しさを体験しないまま終わってしまったことがずっと心残りで。かといって音楽でそれを目指す勇気もなく。

いまは、美しくない。
美しくいたい。

悶々としつつ、それでも日々は楽しく過ごせてしまい、それがかえってストレスだったりしました。
たまらなかったです。
たまらなく溜まっていました。



きっかけというものは思わぬ所から現れます。


法律サークルの後輩女子からチラシをもらいました。演劇サークルの公演があるから観に来てくれと。

観に行きました。
なるほど、これが演劇というやつだ。
しかし、何がいいんだか全然わかりません。

帰り道、劇のことを思い出していました。
やまないものがありました。
その時の感情は “羨ましい” でした。

俺だって人前に立ちたい。
なぜ俺は客席にいた?
なぜ俺はステージ上にいないのだ?

はっきりと、自分の欲求を自覚しました。
しかし懸念は残ります。
いや俺、ちゃんとできるのか、と。
また同じことの繰り返しになるのでは、と。

ところで例の後輩女子はかなり無愛想なやつで、たまに見かけても楽しいんだか楽しくないんだか......しかし、どうやらそいつは演劇サークルには心を燃やしているらしい。昼も夜も時間を費やしているらしい。こんなやつにそこまでさせる集団って一体なんなのだ!
ここなら、何かヒントが掴めるかもしれない......

2017年、大学3年生の春、私は早稲田大学演劇研究会(早大劇研)に入会します。


赤いキセツ到来につき、新人公演に出演しました。
無我夢中でおよそお芝居ではなかったはずですが、それでも一つの演劇を経験しました。

ここで辞めておく道もあったかもしれません。
そこから就職や資格を目指すことも。
しかしどうやら、たまらない感覚を味わってしまいました。長く濃い時間を費やしたうえでの一瞬のできごとたち。どうやらこれを求めていました。

2018年、私は早稲田大学を中退します。
役者として生きていこうと。
あと普通に単位とかも足りませんでした。
両親には感謝しています。本当に。


その後、早大劇研を母体とした劇団「露と枕」の劇団員となります。現在、所属中です。
ちなみにこちら、劇団HPです。
https://tsuyu-makura.amebaownd.com

そこから3年近く、大学の敷地や小劇場にて公演に出演してきて、今に至ります。

毎回が勝負で、目の前にあるものは常に「手段」ではなく「目的」です。これからもずっとそうでしかなければいいのに。

2020年は日本中そうだと思いますが、やはり身動きの取りづらい1年間でした。なんだか再びそうなりそうな気配があるようですが。
だからYouTubeやったり、M-1グランプリ・キングオブコントに出場したりしました。どれも不作な結果でしたが、この試みは続けていこうと思います。表現の媒体に拘りはありません。なにせ、元がただの目立ちたがり屋ですから。

とはいえ、「役者として」という考え方もここ半年くらいは自分の中で明確化されてきています。一生かかっても到達することのないであろう芝居の本質のようなものを追い求めている最中です。

とりわけ、既に自分が得ているものを足がかりにするのがいいかなーと思って。自分にあるもの、劇団、友達、フットワークの軽さ、表現に対する執着......

お芝居の前提条件は「対話」だと思っています。「対話」に重点を置いた実験的な稽古を自分の劇団でやる、ということを最近始めました。できることなら毎日15時間くらい稽古していたい。

それと同時に、毎日ささいな「会話」もしていたい。最近会ってない友達、前は仲悪かった人、会ったことのない人、様々な人間とそんなに必要じゃないお喋りや、何かを追い求めるような語らいをしていたい日々です。

それらも全て、それ自体が目的で、お芝居というものはやはり「生活」そのものなのだと、いまの私は思っています。


本名は奥泉哲郎といいます。
芸名で奥泉です。苗字だけ採用しました。

理由はいろいろあるのですが、ひとまず私は奥泉です。

実はこの苗字、親戚とかお隣さんとか某有名作家とか、意外と被ってはいるのですが珍しいことには珍しいと思っています。あとかっこいい。

私はどこまでいっても奥泉ですし、奥泉とは私のことなのです。ゆくゆくは奥泉になりたいと企んでいます。

ままならぬものです。


最後まで読んでくださり、まことにありがとうございました!!!