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花嫁のチカラ飯

 朝からほとんど何も口にしていない。食べ物が喉を通らない。緊張のせいなのか、嬉しいとか悲しいとか、そんな感情のせいなのか。わからないけれど、食べられない。今日は私の嫁入りの日。結婚式に披露宴、さらには二次会が予定されている。一世一代の晴れ舞台。でも、何も食べられない。

 結婚式の花嫁というのは、例えるなら『一日アイドル』だ。重たい花嫁衣装に身を包みながらも、辛いなんておくびにも出さず、とびきりの笑顔を振りまくのだから。しかし私はと言えば、なかなかエンジンがかからず、それどころかぼやけた頭で、ただ時が来るのを待っているだけだ。

 そんな私を尻目に、朝からバリバリに張り切っているのは、着物着付け講師の母であった。我が娘に花嫁衣装を着せるのだ、と嬉しさを爆発させている。私には、白無垢のあとに金襴緞子の花嫁衣装、ウェディングドレスにフラメンコダンサーの如き色ドレスと、これでもか!というくらいのお色直しフルコースが待っている。母の希望が加味されているのは言うまでもない。

 私の支度が整えられつつあった。慣れない帯で既に窮屈な上に、カツラに角隠しで、頭まで締め付けられてしまった。もう、いつまでもつかわからない‥と、扇子を持たされながら少々憂鬱になっているところに"花嫁の父"がやって来た。いつものようにニコニコ顔で、カメラと紙袋をぶら下げて。

 「これ食べたいでしょ。」と何やら差し入れだ。父は料理をほとんどしない。しかし寿司を握る、という特技を持っているのだ。これまでちょっとした祝い事の度に、父の握る寿司を食べてきた。しかし、ネタや酢飯などの下準備は、全て母任せ。母曰く、父の寿司は『殿様寿司』、握るところだけが父の役目。しかしこの"握り"がなかなか難しいらしいのだ。

 幼い頃、風邪を引いて食欲のない私に父が作ってくれたのは、小さく握った塩だけのおむすび。まるでシャリを握るように、片手でひょいひょいっと作ってくれた。どんなに熱が高くても、それだけは食べられた。今、目の前にあるのは、その見慣れた一口サイズの塩むすび。パクパクと頬張った。これだ!生き返った。パクパク、パクパク何個でもいける気がした。  

 この塩むすびのおかげで私の嫁入りの長い一日は、つつがなく過ぎていった。ちょうど33年前の、今日だ。

 あの日の、あの塩むすびは、花嫁の私にとって最高のチカラ飯。弱音をはきそうになっていた私に、パワーをくれた。感謝を伝えたい大勢の人たちの前で、元気いっぱい晴れの一日を走りきることができた。そう、まるでアイドルのように。

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