はじめに
皆さん初めまして。Syo Kirihara こと、桐原翔です。
「プレゼント企画をやってる人って怪しい」
私もTwitterでの情報発信をするようになってそう感じます。
寿命が何年とか、RTした人全員に、、、とかですね。
元々は実名でTwitterを行っていた時にお金配りの人がツイート欄に現れ、その影響力のつき方に驚いたのが私のプレゼント企画の始まりです。
ただ、私はそのような人達とは信念も行動原理も違います。
今回はその証明も含め、恥ずかしながらも私がなぜTwitterでのプレゼント企画を行うまでになったのかをお話ししたいと思います。
いくら大人になっても思春期までに形成された根本の人間性は変わらないというが持論です。
物事には順序があり、なるべくしてその地位の人間になります。
どれだけ小さくともなにかのきっかけの連続が今の人生を作る。
私の人生の人間性は父から譲り受けたものだと考えています。
そのため私の家庭環境の話を少ししていきます。
私の家庭環境
生まれは山梨県の富士山麓地方の田舎町。
水の綺麗さとフルーツ以外は特になにも無い地域です。
父は祖父の代から続く工務店経営者。 母は専業主婦でした。
経営者と言っても昔気質の亭主関白な人ではなく、母を大切にし、友人も多い優しい父でした。
毎日のように来客が来て色んな人に可愛がられていたことを今でも覚えています。
父はプロ野球が好きで、ちょうどクロマティ選手が活躍していた時代だったのでみんなで巨人を応援していたのが懐かしいです。(なので私は今でも巨人ファンです笑)
小学3年生から野球を始めて高校は地元の私立に進み、野球部らしい青春を過ごしていました。
しかし、高校 2 年生の秋の大会が終わった頃、突然父が亡くなりました。
父は大の病院嫌いだったので、体調不良があっても隠していたのでしょう。
肩が痛いという父は首元や肩を冷やすと気持ちよかったようで、2階の自分の部屋から呼び出されては冷たいタオルを当てていました。
その瞬間だけは苦しそうな顔が緩むのです。
あの顔は忘れません。
いよいよ起き上がれなくなったので、病院に担ぎ込まれ即入院。
末期の肺がんでした。
入院から一週間もしないうちに父は亡くなり帰らぬ人と なりました。
父が亡くなった後、お葬式には沢山の人が来て下さり、本当に周りに恵まれた幸せな人だったんだなと高校生の私にも分かりました。
その時、どこかでそんな父のように暖かい人に囲まれた人生を送りたいという思いが芽生えました。
残されたお金
父が亡くなった後に兄と私に 1,000 万円ずつ父が遺していると母から知らされました。
遺言状さえありませんでしたが、父の生前の教えとして、「一度きりの人生、 自分の好きなように生きなさい」というのが我が家の教育方針でした。
今でも覚えているのは「やりたいことなんて始めは誰にもない。やりたいことは経験から見つかる。何よりも経験にお金を使え」という言葉です。
父は私たち兄弟が「何かをしたい」といったらすぐに叶えられるよう、 1,000 万円ずつを母に託していました。
母からその話を聞いた時、「このお金はどんなことに使っても良いとお父さんは話してた。 けどね、私はそうは思わないよ。使い方はあなたに任せるしいつでも渡して上げる。でも必ず後悔の無い使い方をしてね。信じているよ。」と言われました。
その時の1000万円って当時の自分からするととんでもない金額だったのですが、使うときにはそれ相応の覚悟が必要だと高校生ながらに感じました。
母の期待に応えられるように、父を超える人間になろう高校生ながらに決意したのを覚えています。
いま思うとその時が私の価値観を形成する上での大きなターニングポイントだったのだと思います。
1000万円の使い道
父を超える立派な人間になろうと決意してもその当時にできるのは勉強くらい。
ただその1000万円をできるだけ使いたくないと考えた私は、関東の国立大学に入学しました。(そのまま私立に進む道もあったのですが、野球で特待は取れなかったので、、)
大学は経済学部、入学後はバイトをしながら投資の勉強をしていました。
小さい頃から父を含め周りにいた大人はみんな投資をやっていたので託されたお金を何に振り分けようかを考えたわけです。
ただ漠然と投資をすれば増えると思っていましたが、大学生には難しすぎる投資の世界。
時間はたっぷりあったので、損をしないで運用できる方法を模索していました。
大学4年間はあっという間でしたが、そこで出会ったのが株とFXでした。
損をしたく無いという思いが強かったので、調べ尽くしてここぞというところしか勝負をしない。
大切なお金という認識が強かったからこそ出来た選択だと思っています。
大学時代の4年間をかけたものの、じわじわと増やし続けて元手200万円程度が1000万円ほどになり学費はそこから払うこともできました。
社会人生活
学生時代に熱中したことはと聞かれて投資のことを話せる人間は当時では少なかったので、アセットマネジメント会社からの内定を貰えました。
就職するのであれば投資に関わる会社と決めていた自分にとっては願っても無い機会でした。
就職後はアソシエイトとして簡単に言えばマネージャーの補佐的な業務からのスタート。
まずは近隣住宅へのビラの投函。
これがその会社での最初の試練。
夏場には身体に堪えました😅
この時はセミナーや会社への電話の本数で新入社員はランキングが付けられ常に数字に追われていましたしね。
キツいなと思いながらも、その時の上司(マネージャー)が尊敬できる方だったので、案外楽しく仕事はしていました。
その方は色んな経験をさせてくれる方で、積極的に現場を体験させてくれたおかげもあり成長も早かったと思います。
とはいえ、お金に直接関わる仕事である以上、すぐ現場に立てるほど甘い世界ではありません。
6年間の下済みを経てマネージャーになり、部下も抱えました。
まさに仕事にのめり込んだ20代だったと思います。
今考えると当時は今では考えられない生活をしていました笑
朝は5時起床
新聞を読み、テレビを付けてマーケットをチェック。その名残で週末は今も日経ヴェリタスを購入して読んでいます。
7時には出社して海外市場をチェックし、上司とメールの確認をしたり一日の流れを確認。
デスクワークや社内ミーティングを経て、9時からは上司が電話をしていたので真横で勉強。
その後は来客対応、昼食、企業訪問
そして、1日のまとめ、次の日の資料作成を経て私は22時くらいまで会社に残る事が殆どでした。
その期間は FXはほぼスイング一択で、他は米国株にいれていました。
仕事ばかりであまり遊ばなかったので、かなり資産としては増えていました。
30歳で1億前半くらいだった思います。
でもあるとき可愛がっていた部下がいきなり仕事を辞めると言い、パッと消えるように目の前から居なくなりました。
その部下は29歳だったのですが、30歳になる前にワーホリに行きたいというのが退職理由でした。
そのときなんだかスッと自分の人生を振り返るタイミングができました。
よくある脱サラする人間の思考回路です笑
このまま働き続けてお金は増えても、私の人生の中身は空っぽのまま死ぬんじゃないか。
30代になり「経験にお金を使え」と父に言われていたのにも関わらず、仕事以外には何も経験出来ていなと感じたわけです。
恋愛も上手くいかず、未婚のままでしたしね😅
そう思った私は部下に続くように退職願を出しました。
なんだかんだ退職には1年ほどかかりましたが、退職した後は全ては経験と思い、溜め込んだお金で東南アジアから初めて色々な国を旅行しました。
日程は余裕を持っていたので、一つの国には長いときで2ヶ月近く滞在していました。
その期間暇なときにはトレードをして減った分の資産は増やしつつ旅をできていたので、これまでの概念を覆されるくらい最高の生活でした。
2年間トレードをしながら海外を転々していた経験は、人としての成長を与えてくれました。
父の経験に使えという言葉の意味を真に理解できたとも思っています。
海外の楽しみ方であれば表も裏も色々と共有できると思います笑
中東やヨーロッパ、アメリカを見て次は南米かなと思っていた頃にやってきたのがコロナウイルスでした。
これを機に私の人生は第2の大きなターニングポイントを迎えます。
半ば強制的に帰国してしばらくするとコロナウイルスによって今まであった普通が普通ではなくなった世の中になりました。
皆さんも記憶に新しいはずです。
海外に比べて暗いニュースばかりで、久しぶりに会った友人の話も店を閉めただの、給料は上がらないだの、住宅ローンがキツいなど明るい話は全然聞けませんでした。
みんながみんな常に何かに悩んでいるように見えて、日本がおかしいのか私がおかしいのか不思議な感覚になりました。
仕事が嫌なら辞めればいいし、お金が無いなら増やす手段を見つければ良い。
なんで行動しないで悩むんだろう。と考えていました。
その思いをそのままに、友人の1人に対して資産運用や職種のアドバイスをしたのがきっかけで、父のように今度は自分が人に好きなことをするためのお金を作ってあげたいと考えるようになりました。
そうして私が今まで培ってきた投資技術やいわゆる魚の釣り方を伝える活動を始めました。
関わることで前よりも良い人生を歩める人が周りに少しずつ増えてきた実感もここ数年では持てています。
Twitterを始めた理由
さて、ではなぜ私がTwitterを始めたのかをお話しします。
それは私が幸せにできる人の範囲を広げたいからです。
人生の幸福度はちょっとしたきっかけで大きく変わります。
その一歩として私が行っているプレゼント企画に参加して頂ければと思っています。
先にも伝えましたが、父のように私の力で私と関わる人の幸福度を上げて笑顔を与える事が出来れば私の幸福度も上がります。
皆さんはプレゼント企画に参加して笑顔になり、私はそれを見て笑顔になれる。
そんなwinwinの関係を築いていきたいです。
それだけではなく、今皆さんは学生時代に思い描いていた大人になれていますか?
多くの方は本当はこうしたかった。
こんなはずではなかったと頭の片隅で考えながら、これで良かったんだと自分に言い聞かせている瞬間はありませんか?
確かに今のままでも幸せで生活も出来るかもしれませんが、一度きりの人生です。
自分に嘘は付かず少しわがままに生きていきませんか?
挑戦する事は決して恥ずかしい事ではありません。
そんな挑戦の一歩を与えるきっかけになりたい。
そんな思いもあり、コロナという不自由から少しずつ解放されてきている今、父のように自分が人に好きなことをするためのお金を作ってあげたい。
私と関わる事でより良い人生を送れる人を増やしていきたいという考えの元にTwitterを始め、プレゼント企画を行っているんです。
最後に
長々と話してしまいましたが、最後まで呼んで頂きありがとうございました。
ここに記載されていることが私の全てです。
今後はプレゼント企画に留まらず、その先には私が友人にしたように今まで培ってきた投資技術や魚の釣り方を皆さんにも伝えたいと考えています。
詳細に関しては後日お話ししますが、少人数から私が直接メッセージでお1人ずつ相談にも乗り、私と一緒に皆さんにとっての幸せを掴みたいと考えています。
お金が全てとは言いません。しかし、今よりお金があればより多くの経験を出来るようになり皆さんは幸せになれるのです。
そして、皆さんが今望んでいるものを手に入れられる手助けが出来るなら、私は皆さんの道しるべとなります。
まだまだ不慣れなことも多々ありますが、Twitterで出会えた皆さんとは長い付き合いでありますよう、私も毎日発信しますので皆さんからのDMやリプはこれからも楽しみにしております。
私とより多くの幸せを。
桐原 翔
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?