私見 フジコヘミングは、本当にpianoが 巧いのか? 現時点検証
フジコヘミング氏 この人の名前を再発見したのがやはり20世紀末の
「某 NHK二本包茎狂怪の特集番組」だった。実はこれ以前から「おぼろにこのフジコヘミングさんのお名前は何処かで聞いて?何となく知っていた」記憶があり、やはり火付け元は「宇宿允人先生と同じく二本包茎狂怪」なのが非常に興味深い。今回この「オタク文書の真骨頂とも言うべきものを書くにあたり、自分のprivate-archives&libraryからありとあらゆる映像、音源を引っ張り出して、再度もう一度観直し聴き直しを行い再検証を試」みました。
珍しくなかなか苦痛を伴う作業で、時間を相当かけまして、取り急ぎ達した結論は
*「フジコヘミング氏のピアノは、残念ながら専門家の敵では無い。しかし 専 門家には決して無い 出来ない点が在った」
まず20世紀末に初めて放映された「TV映像から感じたのは、正直何と下手な人なのだろうか?」と。その個性的過ぎる風貌と、時代離れした19世紀の様な演奏スタイル、遅いテンポ、勝手な編曲?等などかなりの疑問を感じたのです。此処で「NHK二本包茎狂怪お得意の、お涙頂戴物語」が始まり、フジコヘミングさんの壮絶な半世紀どころか3/2世紀人生が流れる訳です。
大抵のド素人や馬鹿な一般視聴者共は此処で「心の中や頭の脳裏に、一つの確固たるmemoryが植え付けられる=幼少期の苦労やコンクール直前の風邪による聴力障害、更にその後の苦労しか無かった人世、、、、まぁ大抵の者達は此処で「ド演歌や浪花節で、お涙頂戴」となりますが、しかし自分は決してそうはならなかった。またそうさせてはならなかったからと。
*「当時60代のフジコヘミングさんは通常ならもっと巧かったはずなのに? 何故なのか?」
60代程度では普通あれまで崩れないはずなのです。想像するに「長い間正規の練習をしてこなかった事、コンサートから離れていた事、精神的な何かからか? 気持ちまでが崩れてしまっていたのか?」 等など考えてみました。
まず「想像以上のテンポの遅さと、演奏解釈の特殊性、指の回りの微妙さ」でした。これはおそらく「ご本人の今までの生活スタイルや何かと厳しかったライフスタイル、更に長時間専門的空間から離れていた? 意図的に自ら遠ざかっていた」? 等により変質していったものとも思えます。
*「例のon the air後、フジコさんのピアノは一時的に輝きを回復します」
これはもうご本人の自覚の変化と練習時間練習量の増大によるものでしょう。やはり人間は「同じ練習をするにしても、自分の周囲に何も起こらない」のと「明日必ず何かが起こる」とは、まるで真剣さも何もかも違ってくるのは当然です。この後「当初のコンサートからの意見感想と、かなり時間が経過したコンサートの意見感想は、かなり違ったもの」になりました。
確かによくよく聴くと「必ずしも作曲家指示の譜面通りでは無かったり(これは他の演奏家でも在る) 音が抜けて居たり、やたらテンポが遅かったり、場合によっては在ってはならない「弾き直し」をおこなったり、、まさに19世紀を思わせる様な演奏スタイルでも在った訳ですが、時間経過後の演奏テクニック的には、当初よりも確実に向上していたのは確かでした。
しかしどうしても「本場海外での評価がいまいちはっきりせず」海外公演があるものの、大半が日本人と言われたり、、、此処はどうしても本場欧米の音楽ファンの評価を気にする必要がありますが難しい。
*「フジコさんはどうも、オケと共演するタイプでは無く完全なソリスト なのか?」
この事は、数少ないオケとの共演や情報から解る事なのですが、正直こういう「ビルトゥオージティーをひけらかす演奏家」は19世紀から20世紀初頭までクラシック音楽界には多数いた様で、指揮者にもオケにも従わないってな演奏家や声楽家もおりましたが、どうもフジコさんはそういうタイプの様で一番他人とはやり難いタイプの様です。当初はどうも3流前後のオケ等が多く、欧米の一流オケとの共演はほとんど無かった様ですが、後には結構有名なオケとの共演も在り「それなり以上の評価は得ていた事は確か」でした。
*「フジコさんの身体的特徴=指が異様に太く大きい=ホロヴィッツに酷似」
そうなのです、どうも誰かの指に似ているなぁと思いましたらあの「ホロヴィッツの指=長く太くゴツゴツしていて一見不気味で気色悪い」と。
感の鋭い者なら解る通り「フジコヘミングさんのpiano演奏、ホロヴィッツに部分的に似ている」のです。あの驚異的なテクニックでトスカニーニと共演し、凄まじいまでの演奏を披露したホロヴィッツも、晩年はどうしようもなく枯れはてて衰え、醜態をさらしました。ドキュメント映像等を観ると「演奏姿や発言等が微妙にフジコさんに似ていた」と。
*「しかしホロヴィッツもフジコさんも凄い点が在った=それはppの奇麗さ」
意外と気付き難いのですが、「ffの強く早いパッセージよりも、ppの音を奇麗に響かせられる事の出来るピアニストは意外と少ない」これは経験上「唯鍵盤を押す力を弱くしただけではppの美しさは表現出来ない」=此処にどうも長い間の経験とか、独自のアナリーゼとか、秘密が隠されている様な気がいたします。それが自分が感じたフジコさんのppの奇麗さでした。
*「我々一般人の聴く心を惑わす数々の余計な情報 bias&filter」
例えば?「ベートーヴェンの聴力がほとんど無かった事」「某男性ピアニストが盲目の事」「フジコヘミングさんの悲劇の3/2人生」等など、実はこうした一見音楽とは関係の無い情報が、我々の耳や心に「bias filterをかけてしまう事」ってぇ多々在ります。自分は音楽を評価する場合極力そういう雑念は排除して音楽だけを聴くように努力いたしますが、実は此処を語るにどうしても外せない話があります それが
*「小林夏衣=その人生とあまりのピアノの上手さに、嫉妬に泣き狂い正直どうしてくれようかと。最後まで応援する事に徹したのがこの天才女でした」
この小林夏衣を知ったのは彼女が10代のおわり、某民間TV放送の「偶然間違い録画」から知ったのです。彼女は先天性の病で左指が2本(親指と小指)しか無く、それでいてその「不自由な指から奏でられるビアノ=音楽はもはや驚異的で在り、信じられぬ程のテクニックと創意工夫で驚く様なクラシックの超難曲を易々と弾きこなす」その時の受けた衝撃は未だ別れられない。
更に夏衣は「ピティナpianoコンクール課題曲 命によせて 」を作曲し、その譜面を買って最初に視た時は「何だこのとんでもねぇ譜面は?」と。
譜面が3段になっており、直ぐに老眼鏡と頭痛薬が必要となる程こ難しい譜面、、、、何人もコンクールで弾くのを聴いたが、夏衣の母親は「本人はもっと上手く弾く」と。まぁ益々もってどうしてくれようか!!と。
残念ながら彼女は作曲家を目指し異国ドイツで修行中で、おそらく帰国せずに現地で現代音楽作曲家として活動されると思われるが、どうしても彼女には現代クラシックよりもpopsに行って欲しかった。近年「鬼滅の刃のArrange」も一度も曲を聴かず知らなくても見事に成功させたことから、彼女の実力は本物だ。実は何故フジコさんの話にこの小林夏衣の話をブレンドさせたのかであるが、、、「我々聴く側の心 脳裏に自然と植え付けられたbias&filter memoryをも忘れさせてしまう!! 記憶の彼方へ消し去ってしまう程の音楽のpower」を感じさせてくれる これが真の意味でのプロの音楽家ですね。まさに小林夏衣はそれを持っている。こういうとんでもない物凄い天才女が日本に確かに居る事をふまえ、もう一度我々は「フジコヘミング」と言うピアニストを「一切のbias&filterを排除して音楽だけを聴く」事に専念しなければならない。
*「不思議と聞かれない=プロの音楽家達からのフジコさんへの批評論評感 想等など」
色々調べますと、皆さんなかなか表立って言い難い話ずらい事も多い様で、表立って論じているのは「決して一流の方では無く、それ以下の自称proの人が多い」様です。不思議とこういう評価が待っ二つの人は「夫々に応援団がおり、応援&批判合戦」が行われるのですが、フジコさんの場合は不思議な事に「音楽で食っているpro奏者 マスゴミ屋 自称クラ音楽を知り尽くす等とのたまう頭のおかしい自称研究屋 あるいは寄生虫評論屋が、珍しくタッグ組んでいて、フジコさんを援護している末端末席の素人ファン達と相まみれ論戦交わしている不思議さ」です。まぁ寄生虫評論屋や研究屋なんてぇ「作曲家や演奏家や指揮者にもなれぬ、食いっばぐれのダニの上に、自分の感想程度の幼稚な文章書くしか能無しのオタク」ですからね。元々存在意義なんてぇ無い。此処に「対岸の火事を高みの見物こいていて、時流に乗っかってフジコさんのCDやDVDを売れる時に高値で売り逃げしちまうべぇ」と便乗商売こいて儲けてるのが恥知らずなsoftmakerでこいつらは何でも売れて銭が儲かればそれで良いと。音楽なんてぇ何も解かっちゃいませんよ。
つまり「proVSamateurの構図」になっている。
不思議と「フジコさんサイドに肯定的な発言をするproはいない」様子ですが、これはどうもあの「インチキベートーヴェン事件」の影響や、「少なくともフジコさんよりもずっとピアノが上手く弾けて、更に若くって、美貌も勝ち得るのに、何故か売れない評価の無いproのpianistさん達」の嫉妬や妬み嫉み恨み等も多分に在るはずなのです。
*「では上記のそういうpro-pianistに言いたい 貴女は何を努力したのか?」
アメリカ等では,聞けば随分昔から「売れないアーティストや芸術家が、わざと関係無い処でわざわざスキャンダルを起こし、それに便乗して有名になろうとまでしている」と。これを見て聞いて貴女は何を思いますか?
アメリカの連中は「此処までしても名を売りたい 有名著名になりたいと努力している」のです。かくいう貴女は貴男は貴方は何をしているのですか?
何故自分にフジコさんの様な話が降ってこないのか? 巡ってこないのか?
まず「棚から餡ころ餅等絶対に落ちてこない」のです。だったら落ちてくる様にするとか、落っことすとか? やってみましたか? 少なくともフジコさんは、まぁねえ国賊非国民売国奴と蔑まれ恨まれる巨悪の某放送屋の「目に留まった」のは確かで、これも運なのでしょう。
だったら「売れない貴女もその運を引っ張り出す様な努力をしてみませんか?」=これもはっきり言って押しの一手なんてぇ昭和の強引な手法なんか一切通用しませんよ。押しても駄目なら退いてみて、それでも駄目なら下から持ち上げるとか、横から蹴っ飛ばすとか、、、単細胞的な押しでは絶対に切り開けませんよ。その反動で「フジコさんを陰で批判したり下げたりしてストレス解消している様では、貴女は永遠にこのまま」です。
*「フジコヘミングさんの音楽面の功績が在ったとしたら何なのか?」
それは一部のproの連中も言っている通り「クラシックの難曲を、初めて聴く聴衆観衆に対し、それを聴かせるだけの力、コンサートに足を運ばせるだけの力=パワーが在った点」と。 此処なのでしょうね。
当然此処には「世間の勝ち馬に乗りたがる風潮や恐いもの見たさ」等の好奇心も多々あり、そういう風潮雰囲気にさせたフジコさんの功績は、proも認めています。つまり「名人達人の素晴らしい芸が、必ずしも一般大衆の心を捕らえるとは限らない」からなのです。その後そうした聴衆観衆がクラ音楽に眼ざめ、ファンになってくれたなら充分に価値功績は在ったと思われます。フジコさんを批判する人たちに出来ますか?
*「名人達人神様とて時間には勝てず必ず衰える 其処に枯れた芸も在る」
しかし中には最後の最後まで、ほとんど枯れない恐るべき芸術家も居た。
(1)「カミーユ- サンサーンス 」=1910年代、80歳もとうに越えた頃に幼稚なSPrecordにrecordingされたFrancemilitaryMarchのpiano自作自演は、恐るべき完璧さと正確さにド迫力!! 一か所のミスも無く完璧を遠に越えたpianoはまさに奇跡の一曲!! 素晴らしい記録を残してくれました。
(2)「フランシス-プランテ」=1940年代に16mmfilmに記録された当時90代のこの大pianistの映像は、信じられぬ驚くべき完璧な演奏で、奇跡を観ている様な感覚だった。若い頃は多数の歴史的大作曲家とダチ公だったとか!!
(3)「クラウディオ-アラウ」=南米チリの名pianistとしてかなりの高齢となっても何ら演奏に支障をきたさず、安心して観聴き出来た真の巨匠pianist。
*「pianistの技巧的絶頂期は10代!! 後にテクは成熟し、やがて枯れる」
ユジャワン等も10代の頃と40歳近くの現在とは、明らかに変わっている。
10代の頃の飛び跳ねる様なフィーリングを、今は意識的に人工的に作り出そうとしている感じすらする。ましてやこれが60代70代になれば当然変化し枯れも出てくるが、此処を創意工夫で「枯れるを味方につける」事も可能でしょう。これが本当のproの技なのです。
*「現時点 仮最終結論とは?=これ以上の評価は歴史と時間が決める」
これが結論です。このフジコヘミングと言うpianistが「本物の芸術家であり真のpianistなのか? はたまた稀代の詐欺師ペテン師なのか?」さすがの自分にも解りかねます。これはもうこれからの歴史と時間がどう評価してどう決定づけるか。それを待つしかない様です。しかし今の正直な自分の本音感想は
「もしかして、本物の得難いpianistではなかったのか?」と思われてなりません。皆様の評価は如何なのでしょうか? 本音を聞いてみたいですね。
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