Artist G-グールド 芸術と心の闇の中での葛藤と情熱

現代では存在しえない Core&確信持つpianist!! その名は?  G-グールド

note lighterの皆様、ご訪問の皆様 全てのClassic音楽ファの皆様にとって
決して忘れられないartistのお一人として、まず必ず名前の挙がる方が
「G-グールド」その人と思われます。
自分の様に、4歳ミッション系幼稚園から正規のpiano教育を受け、一時はpro-piano奏者としてactionしていた当時から「G-グールド」の名前と、その極めて個性的な「音楽に対する明確な思想 核(Core) 信念」は、おそらく21世紀令和の時代では到底通用せぬものの、これほど自分を貫いたartist=pianistは居なかった!!   おそらく「pianist  pro/Amateur問わずに意識しなかった人はまずいない!! 」とまで思われるのです。
今回、自分が現在の様な状態となり改めて自分の生きざまを振り返った時に
「ふと心の中を余儀ったG-グールドの短いながらも 静かな/炎の様な人生」について、どうしてもお話しておきたかったのが本音です。

❄全てnet/IT/AI 時代以前に物故したartist

こういう代表的な方々に「ストコフスキー  カラヤン  バーンスタイン
そしてG-グールド」等がおりました。
こういう方々に共通していたのは? 「その当時の最新new-media&technology
に精通し、常に最前線におられた」事でありました。

*「ストコフスキー」=音楽史上最も古くからSP-record時代より音楽録音の重要性に気づき実に様々な録音recordingを残し、stereo-recording以前に
ベル研究所と共に3channel-multi-stereo実験に挑戦し、後年はclassic音楽録音ではおそらく例を見ない「4ch-MTRを使った4フェイズ(位相)を持つ洪水の様な豪華絢爛樽音響効果SEを持つrecordingを実現、更にtape-edit編集を多用したSE効果音のmixing  更には?! 後半年長生きされれば「ベートーヴェンの
田園をdigital-recordingする予定だった」と言う革新ぶりでした。
当然ながら残されたrecording映像などからは「非常に手厳しくうるさく
録音や編集に指示を出し、細かい作業に徹底的に立ち会う姿を視られ、更に
ch-アイブズの大交響曲の際には「本指揮をassistantに任せ、自分はstudioの
mixing-roomに陣取りconsoleを操作するまでに至りました。

*「カラヤン」=実に驚くのは? 後年別荘の中に「video-editing映像編集の為のprivate-studioまで作り、其処には多数のTVmonitor&editor編集機 更には
特種映像効果を創り出すDVE=digital-video-effectまで装備。当時はまだ
2inchVTRから1inchに移行したか否かの狭間の中、此の投資だけでも実に
数億円はかかっていたはず!!   
更にはレコーディングの際には「積極域にMTR=multi track recorderを使用しmulti-micにて各独立track/channelによる最終mix-down(2ch-stereoにまとめて落とす作業) にまでうるさく口を挟み、表面上はengineerすらケツに敷いていた(実は、、、敷かれていたのですが、、、)

*「バーンスタイン」=上記のお二人まではいかなかったものの、実は「この
バーンスタインこそ=Classic&popular popsの最高の両道使いであり、各その先端に居た関係上誰よりも早くnew-mediaの洗礼を受けていたはずであり、その証拠に「TV young -people-concert」等では早くから「synthesizer使用による最新music等を積極的に取り上げ、この動きは既に1960年代後半には始まっていました。
当然recording等でも残されている映像記録からは「Classic音楽recordingなのにpopular popsの音楽をcreateするか?の様なごとくの支持や技術を要求していた」と感じます。(この2つのgenreは実は明確に異なるから)

*「G-グールド」=concertから引退し、完全にrecord録音のみに専念する様になってからは、実に完璧几帳面にrecording全てに携わり、その全てに口を出しengineerとの共同作業を行っておりました。(後述いたします)

実は? 自分が思うに上記の方々の様に「Internet  IT   AI   配信」等を知らぬ存ぜぬ時代世代の巨匠の皆様がもし今でもご存命だったら? はたしてどういう態度でどういう対応反応をされたのか? 物凄く興味があります。
その中で、一際人間として芸術家として興味を引かれるのがG-グールドです

❄G-グールドの思考と心の闇

G-グールドのinterview等を詳細に見聞きし検討すると、一つの仮定としての結論が導き出される様子です。それは
「G-グールドは、どうも故国Canadaの出身田舎を良く思っていなかった?」らしく、常にそういう言動が見られます。
また「幼少より天才奇才と呼ばれ、常に人の注目の中に居て、生まれ故郷の中での良い思い出も少ないらしく、旅行すらもロクに行けなかったと。
実際にG-グールドのinterviewやレコーディング映像のほぼ全てはCanadaでは無くて「America」で行われていましたね。
「故郷は、遠くに在りて思うもの」なのかもしれません。

☆1959年 グールド27歳当時のstoryから

自分大石の頭の中の記憶から離れないのが、遥か以前に自分のarchivesされた映像の中で視られた「G-グールドの赤裸々な心の闇」の抜粋として
*当時G-グールドは、Canada 首都トロント北方90マイルのジムコー湖畔の
田舎に在る自宅に愛犬「バンクフォー(シェパード)」と共に暮らし、食事や洗濯掃除などは、近隣の主婦がやっていたと言うのだ。
瀟洒な自宅のpianoは「当時から70年経過していたと言われるチタリング製piano」の素晴らしいもので、cembaloの様な響きを持っていた。
この自宅での暮らしはmatchingしていた様で、田舎暮らしのtempoの中で
完全に音楽だけに集中していると言うのだ。
更に「夕飯はわざわざ5マイル離れるオリルアまでわざわざ出向き、行きつけの店の主がグールドが自慢で常にrecordを大音量で流していたが、
驚く事に「その田舎町では大半の者達がグールドの存在すら知らなかった」と言うのだ。同じCanadaの田舎で  如何に国が広く大きいか?

★「G-グールドの人間的性格とは?」=近隣主婦や周囲からの証言では
G-グールドは幼少期から非常に内向的で在り、喧嘩や暴力が嫌いで在り
pianoさえ弾ければそれで幸せと思っていたらしい。
現代的な立ち位置や精神医学の面から専門的に診るならば「おそらくは
今日で言う=根暗  オタク  変人」の部類に入るのだろうが、ある種の心の病も抱えていたのかも知れない(後述)

★「自宅でのpiano練習風景から観られるモノ」=まず当時からその独特の演奏姿勢は完成されていて、足を組み、素足でpiano弾く仕草は変わっていない。更に「一例としてバッハのvariationの練習」では? まず右手を徹底的に弾き続けて万一misstouch等が在ると、其処は何と左手の指一本で補いつつも徹底的にその部分をrefrainして練習し、その合間に窓の外を眺めながらそのinventionのphraseを唄いながら再びpianoに座り徹底的に練習して行く

★「G-グールドのconcert&recordingへの心の闇と葛藤」=まだこの当時グールドはconcertを捨てたわけでは無く,両方を行っていたのだが、やはり「recording録音の方が好きだ」と言っていた。本人の弁では「大抵演奏家は録音よりもconcertが好き」なのは解かるが、皆他のartist達はどうも「microphoneや機材が好きでは無くその存在自体が好きではないらしい」が、自分はmicrophoneが好きだと言うのである。つまり録音が。
また「concertについてのグールドの私見」だが?=これは特に本人も
concertでの「stage-mannerが問題視される」のだが、G-グールド自身はこれについて「特に表立った批判claimは受けていなかったし自分はこれで良いとの判断があった」これは何より音楽 piano演奏さえ良ければ聴衆は良いはずであり自分自身の行動規範は持っていなかったのだと言う。更に本人は
「まず他人の他artist達のconcert等もまず行かないし観ない」し、ましてや
他人で行動の規範を計る事も無かったししなかったと。
其処には(録音には)  其処にはひたすら自分を開放してmicrophoneを通じて自分の内存をひたすら引き出そうとするな何かが(concertには)無かったと。
またG-グールドが言うには「明るく 人の沢山いる場所は何故か怖く、閉所恐怖症の様な感覚に陥るのだ」とも言い、「同じ人が沢山要る場所でも、暗くて映画館などの方がまだ落ち着く」のだと言う。
更にG-グールドの口から出た言葉は衝撃的で在りそれは「自分は、事前に演奏者artist達の心の中 気持ちが解り過ぎてしまう、これにより自分がpianoを弾くよりもドキドキし、大演奏家artistなどのconcertでは自分自身がpanic状態に陥ってしまう」とまで言うのだ。

★「concert 演奏旅行tourについて」=この話を要約するとどうもG-グールドと言う人は「他人に対して必要以上に気を使ってしまい、それが自分にも相手にも負担に感じ、多大な精神的負担になる」と言う結論の様だ。更に
G-グールドは驚く様な事を延べていた!! それは=
「concertや演奏tourに出かける際、この自宅を離れる時の気持ちは?=子供の頃に感じた休日の休み明けに嫌々学校に行く時の気分と同じだったと!!
更に驚かされるのは「G-グールドが良く視た夢」が非常に怖い!!=
その夢とは?=「朝目が覚めたら、必ずまず見る自宅の窓からの外の風景だがいつもは其処には必ず美しい緑に覆われた草木が視えているはずなのだが
其処には、大きな巨大なゴツゴツした岩が実に数マイルも延々と続き曲がりくねり、それは何処までも続く異様な光景が見られ他にはせいぜい枯れ葉しか視えない!! と言う異常な風景が見えたのだと言う。
あわてて目覚めたが本当に嫌な気分だったと言うのだ。この後もこういった
嫌な夢は形を変化させてグールドを悩ませた。
つまりこの現象は「録音では無くてconcertに時にこそ現れるのだ」と理解されるが、やはりG-グールドの様に若くしてStarとなりコンサートに追われているのは当然と思いつつも、じわじわとグールドの内面を侵してしたのだと
思われる。これほど「concertが辛かったのか?」と!!!!
既に当時から「かなり精神面でのmental-healthの点からも、相当に病んでいた」と言えるのではないでしょうか。

❄此処から G-グールドのconcert拒否が始まる

そうみて良いでしょう。後にG-グールドは「concertは死んでいる」等と言い
concertから引退しrecordingのみに専念しましたが、自分大石に言わせれば
「recording 録音こそ死んでいる」のでは?と思うのです。
この逆を行き考えたG-グールドの本当の心の闇はおそらく誰にも解りませんが、もはやこういった特殊なartistは二度と出ない「一代限りの天才」
と言わざるを得ません。


★「G-グールド現代音楽奏者としてのactionに附いて」=数少ない対人interviewの中でG-グールドはこういう発言をしていた。
「確かに現代音楽家より学んだことは多く、pianistとしてバッハ演奏家の権威としても、更には現代音楽のpiano奏者としても認められていたのがG-グールドであったのだが、不思議な事に「本人はウェーベルン シェーンベルク等の音楽には、いささか異論疑問を持っていた」のが驚いた。
ウェーベルンやシェーンベルクの音楽は、その人間的性格に準拠して内向的と言われるが、それに原因が在るとしても必ずしもG-グールドは全面的に
現代音楽を認め好きであったとは、言えないと認められるのである。

☆「G-グールドのいささか怖い実験とは?」=例えばグールドが何処ぞから
赤ちゃんを攫って来て誰もいない山中でひっそりと育てる中において
「聴かせる音楽 子守歌から鼻歌まで全て=無調音楽/12音音楽のみを聴かせた」場合、その赤ちゃんが大きくなり音楽を口ずさむ年齢になった時に
はたしてどういう音楽を好み口ずさむのか!!?=「おそらくは、現代音楽や無調音楽等は口ずさまないし、自分なりの奇麗な旋律を持つ音楽を口ずさむだろう」と推測するのだ。これはある意味大変怖い恐ろしい実験で在るが、
自分大石としては、ぜひやってみてほしい実験でもあるが危険だ!!!
こんな大犯罪は決して許容してはならない。

自分大石の感想としては!?=やはり赤ちゃんと言えども完全に現代音楽漬けにはならないと思っていて、正直返って「赤ちゃんなどには聴かせてはならないのが現代音楽」と言うのが大石の持論で在ります。
これはこのnoteでも過去書かせて頂いている「赤ちゃんクラシックス」でも持論展開した様に、申し訳ないが「人間形成に一番最重要な赤ちゃんの頃に
間違っても現代音楽漬けなどにされてしまったら、その赤ちゃんは現代音楽作曲屋になれるのか?処か、廃人同様になってしまうと危惧」いたします。
この種の「恐ろしい実験が実際に行われる事は無い」と思われるが、決して行ってはならない!!   まずは「お母さまの腕にしっかりと抱かれ、母の愛の籠った子守歌  そして純粋響和声に彩られた正規classic音楽=モーツアルト ベートーヴェンからワグナーあたりまでの音楽をHGな設備と必ず音質の良いCDでしっかりと赤ちゃんに聴かせてあげる事 こそ「実は、将来の立派な音楽家
演奏家に育てる唯一の確かな確実な道」として、強く勧めます。
「現代音楽が好きになるか? 否か?」は、その後の赤ちゃんが自分の意思で決める事!!!  如何なる第三者如きが介入すべき問題では絶対に無い!!!!!!!!!!!!!!!!

☆「G-グールド自身の作曲活動について」=当時からのG-グールドの正直な心中とは?=「まだ作曲については、未完成で悲観的ではあるが、世間では既に調性の持つ役目は終わった等と言われるが、自分(グールド自身)としては
50年前くらいのstyleで音楽作曲を行いたいと言う。
(この当時1959年当時からマイナス50年=20世紀初頭の音楽スタイル)
更に「その自作発表の勇気の有無では無くてそれしかないと満足する理由も無く、その当時のstyleを否定する必要も無いのだから」と言うのです。
確かにこのstyleは「まだ発展途上の音大生並みの思考=シューマンあたりから始まりブラームス、ワグナーあたりまで順番に」と言う思考だが、
それが自分自身(グールド自身) の道かどうかは、まだ時間が係り自分を納得させられるだけの時間も作品も無いと言うのだ。
此処に「演奏家としての立場と作曲家としての立場の相違と悩み苦しみ」をひしひしと感じさせるのです。

❄必聴必読 G-グールド recording秘話!!

G-グールドは主に故国Canadaでは「TV出演concert」等は在っても、録音
recordingについてはほぼ「America Columbia-record」にて行われていましたが、その秘蔵映像を観る限り驚く様な光景が視られました。
(1959年当時から1974年にかけての映像より)

(1) 1959年当時 Columbia-studioの様子

当時はまだMTR=multi-track-recorder発明以前であり、何処の録音
recording-studioでも「通称一発録り=stereo/monaural 録音機
recorderによる一発録り」が主流でした。
この頃のColumbia-studioのcontrol-roomには「stereo以前の完全
monaural(VUmeterがひとつだけ) のrecorderが数台」setされ、
予備の為に2台同時進行で回されて(作動)いました。
更に驚かされるのはその「microphoneの本数とset up position」なのです。
此の当時はControl-room内mixer-consoleが全く幼稚で単細胞らしく
遠近感=パースペクティブさえ出せなかった。此の為には「広いstudio
booth内に、grand-piano=当然ながらスタインウェイの最上級クラスを
用意しているのは当然としてもそのスタインウェイを中心に実にmicrophoneが10本近くあちこちに配置され、しかも距離はもちろん「standの高さ位置まで綿密に決められ、録音testでは更に綿密に決められる」厳格さ。
このmicrophoneの立ち位置の微妙な調性 ControlによりG-グールドのpianoを如何に芸術的に録るか? 戦いでも在った訳です。
この時代は当然ながら現代の様な「馬鹿みたく細かい、屁の様な微妙な編集などは到底不可能で、せいぜい16分音符一つをtapeの手切り編集で繋げるのが積の山でした。それでも相当なテイクを繰り返し、リテイクの連続と葛藤戦いにより、何とか曲を完成して行くのですが、、その「音を聴かせてくれ」とのグールドの要求に唯っ広いbooth内に置かれた「巨大なPA-speaker=
おそらくはアルテックA7? 」から流れ出るグールドのpiano演奏のプレイバックを聴きながら更に検討は続き完成品に近づけられるのです。
此の当時のtape編集はいい加減適当な事も多く、ド素人が聴いても此処で繋いだと解る程で、更に編集前後のfeelingをmatchingさせる事が非常に難しく
かなりの時間と手間を要しました。

(2) 1974年 recording-studioの様子

この当時はもっとずっと進歩しており、studioのcontrol-room内部には
「ステューダーの8ch8tのMTR=multi track recorder」等も設置され、更に
mixing-consoleも現代と形も近い「12ch程度のstereo2 VU-meter」が完備されrecording(この時は何処ぞのhallにて)されていました。
此処でまた驚くのが「piano スタインウェイを取り囲むmicrophoneの数の多さ」です。makerは「Neumann 」と思われ、やはり今回も10数本しかも各「stereo-2本set」でsettingされておりました。
この林立microphoneの秘密は後程明らかになりますが、此処に工夫がありました。それは?「G-グールドが、mixing-roomに入って来て操作に口を挟む時にこそその秘密が解る」のです。それは?
「mixer-consoleの各フェーダー(スライド式のvolume)は各2chづつ固定されていてそのフェーダーは各2本のmicrophoneに連動していたのです。
つまり映像を視る限り「stereo 2本×5set位? でconsoleのフェーダーが固定され、それを調整Controlする事により、スタインウェイのpianoの音が、上
横  後ろ  更に後方  斜め」等に分散録りされていめ為に、此処でまとめて
2ch2tstereoに録音 recordingされる仕組みです。
此の為にも予備も含めて3台程度の2chのopen-Lille recorderが回っていて、
そのプレイバックを聴きながらG-グールドは、engineeringに対して数々の注文口出しを行い、最終的には自分でconsoleのフェーダーを動かして(これは基本的に越権行為で嫌われるが) 何か音が変化するのが面白いのか? 
何度も何度もいじくり回して調整Controlを繰り返しengineerと共に自分のpiano演奏のbest-position recordingを探していくのです。
唯この時代になっても、基本analogのopen Lille tapeの編集はdubbingでは無く手切りハサミ編集で、スプライシング テープ張りでした。

この様な地道な作業から解かるのは「concertと言う場を完全に捨て去り、
recordingやTVにのみ絞ったaction」に徹したG-グールドですが、やはり
Canadaと言うお国の誇りであり、Classic音楽界に聳え立つ巨頭であります。
我々Classic音楽fanは、まずG-グールドの音楽をpianoを真摯に聴く事を最優先に、時として「不思議 滑稽 異様にさえ視える ピアノ弾きながらの指揮姿」さえ、実はG-グールドの深い心の闇と葛藤を身体で表現した 否っ
表現せざるを得なかった現象 action 芸術的表明として好意的に捉え認める努力をせねばならない。確かに「演奏中に歌ったり、ハミングしたり、指揮したりそうしたactionは時として、recording時の邪魔となりnoiseの根源にもなり、録音engineerの立場としてその歌声やnoiseを極力消したり避ける事に大変な労力が在ったことも確か」です。またその「独特の演奏姿勢や猫背」更には「足を組んでの演奏」「指をほぼまっ平らにして弾く様子」「靴を脱いで裸足で演奏する姿=これはあの大好きなアリス紗良オット様も同様」
等など、奇異に絶えない芸術家ではありましたが、それが何か!!?
しかしずっと過去「パハマンやホフマン等の歴史的pianist達も、録音時に
歌ったり口笛拭いたり怒鳴ったり喚いたりは在ったはず」ですね。
ひとつの記録としてはそれなりに意義はあるはずなのです。
G-グールドの活躍した時間は短く、recording-technicも当時は完全digital化が未だ難しい状況であり、大半がA D Dですが、決してそれは色褪せずに素晴らしい芸術として永久に未来に残ります。
思えば、我々は素晴らしい時代と共にG-グールドに出会えました。
此処に心より感謝し、正規の天才を生んだCanadaに敬意を表します。

                   G-グールドよ 永久に!!


                     *staff
*口述著作     =大石良雄
*PC打ち込み=高梁美砂子
*support      =喜多村 泉

暗く、医薬品臭漂う病床より、noteに参加させて頂き感謝いたします。


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