幸福論

すごいタイトルをつけてしまった。
大した話ではない。

アランの幸福論、を読んだ。
読書会の選定の本で、こんな機会でもないと読まないしまぁいいかと思って読んだ。
正直にいうと、幸福ってこうだよねなんて誰かの意見を偉そうに述べられても、というのが率直な感想で、
実はいいイメージがない。

書いてあることはなるほどなんだけど。
読書会なので感想交流会があった。
(そういうのがない読書会もあるとは思うけど)

私は本の感想をシェアする習慣がないので、このシェアというシステムに惹かれて読書会に参加し、選定本に目を通し、ふむふむそうやって読む人もいるのねと感じるのがなかなか楽しい。

幸福論はたくさんの「幸せになるコツ」のようなものが書かれている本で、今回はエッセンシャル版の170の中から、自分にとって大切な3つをそれぞれ選んで発表したのだけれど、これを聞くだけでも

自分は人とは違うのだ

ということを感じられてその差がすごく面白い。

もちろん、感じ方なので正解はない。
私は「まず自分が幸せになる」というフレーズを選んだ。確かにそう。
ある人は「上機嫌でいる」というフレーズを選んでいた。なぜ私はそれを選ばなかったのか?上機嫌でいることは確かに大切なのだけれど、それより根っこに自分で自分を幸せにした上に、上機嫌があると思ったからだ。

数学が好きだ。
正解が一つだから。
どんな物事にも正解、ベストはあるという美学を持っている。
しかし考えてみると、私にとってのベストは、感じ方の違う他人にとってのベストとは違うのだ。
必ずしも、おせっかいに「こっちの意見が正しいよ」と押し付けて、それをわからせることが親切ではないと、この歳になるとしみじみわかる。

ハラスメントの話が出た。
上機嫌から連想で、不機嫌ハラスメントっていうものがあるという。
逆に、元気を押し付ける(強要する)ハラスメントもあるらしい、と。
必要以上に距離を詰めて、自分の正解を押し付けてくる人はハラスメントと煙たがられるのだ。
私もまた、子どもたちの「泣きハラスメント」「お母さん見て見てハラスメント」に苦しんでいる。
そして私も、ハラスメントしないように注意深く生きなければいけないなと思う。そしてまた、無関心もハラスメント?になるらしい。
ハラスメントとはなんなのか。
おやすみなさい。

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