構成のないことばたち

noteを開くと「ご自由にお書きください」と表示された。
嬉しい。
自由に書ける場所を求めて、ひたすら彷徨っている。
Xに行き、
インスタに行き、
noteに行き、
ブログへ行き、
Xに戻ったり、
スレッズにも行ってみたり
またインスタへ戻り、
なんとなくnoteを開いてみた。

結論を求められるのが苦手だし、
結論を書いてしまうことができない。
考えは日々変わってしまうし、
この時「こういうものだ」と書いてしまったことで、
この先の自分の思考が狭められてしまいそうな感覚がある。

最近読んでいる本にあった「哲学対話」というものが、
めちゃくちゃ面白そうで、私にぴったりだった。
いくつかのルールを設けることで、
様々な背景にあるもの同士が自由で平等に話ができるという。

話をする相手によって、話題を選ぶ必要がある。
このことが、私はすごく苦手だ。
例えば3人で集まると、共通の話題以外の話をしていいのか不安になる。
ぐるぐると考えていると、誰かが会話をスタートしてくれる。
自分からスタートが切れないことを申し訳なく思っている。

二人で話す時、話題を選定する相手は一人でいいので気楽だ。
背景が似ているもの同士だと、さらに気楽だ。
同じ歳の子どもがいる
同じ性別の子どもがいる
同じ人数の子どもがいる
子どもが同じ小学校に通っている
共通の話題は安心だ

共通点のわからない相手との会話は緊張する。
嫌な気持ちにさせないように、こんな話をしていいのかな?というグレーな話題は避けたい。
想像を膨らませると、幾つもの話題がグレーになっていく
まるでエアバックが膨らんでしまったように、勝手に一人で窮屈に苦しくなって、話題を差し出すことができない。

こんな悩みを持っているけど、先日軽くなる出来事があった
それは、こんな私のいいところを肯定してくれることだった。

「あなたは聞き上手ですよ。とっても話しやすい。
だから、話をスタートできないことを負い目に思う必要はないですよ」
そう言ってもらえたのは、私にとって大切な宝物になった。
最近、ことあるごとに取り出しては眺めて、アクセサリーのように持ち歩いている。

不思議と、このアクセサリーをつけていると、相手に聞きたいことがふっと浮かぶことがある。
エアバックたちが小さくなっている。

2024.10.2 本日の思考の垂れ流し

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