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入り江の幻影 辺見庸:著
見ろ、俺および俺たちは、狂った羊の目をしている。穏やかに狂った、痴呆の羊たち。メエメエ、メエメエ・・・・・・。
今もこうして、辺見庸氏がことばを紡ぎ公表し続けていることは、考えて見たら私たちにとって幸運な事かもしれない。
先日亡くなった、大江健三郎氏は、最後の作品となった『晩年様式集』(2013年)以後のは公式には何も発表しなかったという、それと比べると、発言し続ける辺見庸氏のことばの貴重さがわかる。本作は鋭い同時代性はもちろん、老いへの言及が興味深い。老いる事は避けて通る事はできない。そこにどう抗うか?そう言う意味で本作で一番辺見庸氏らしく、好きなのは「1969」である。自死を選ぶ知識人は過去から引きを切らず、見えすぎるあまり、それも致し方ないとさえ思える。実際、冷静に見れば、今の世は絶望そのものであり、嫌気がさすのも当然の事のように思える。しかし、ままならない身体を抱え、痴呆老人と一括りにされながら、老いに抗い、生に執着する、そんな辺見庸氏の生き方に、私は全面的に賛同する。
じつはノコギリヤシのサプリをひそかに飲みはじめている。排尿困難改善のために。チキショウめ、老いるとは"屈辱"なのか。1969の帽子を目深にかぶったわたしは呻吟する。ドアの向こうで介護士の声がする。「お手伝いしなくて大丈夫ですかあ?」
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