受け身の人生は『大変さ』がない代わりに『虚しさ』を生む

高校生くらいまでの自分の人生はおそらく、『自分の意志』によって色々決めてきていた

だから、毎日失敗(成績が悪い、人間関係など)はありながらも楽しく過ごせていたと感じる

大学進学を控えて、自分に向き合ったこともあった

けれど、親の言う『安心で安全な世間一般の道』へと悩みながらも、楽な方へ導かれていってしまった

そしてやはり天から、私を成長させる為の試練がたくさん下された

何かに打ち込むということのない、無機質な大学生活(友達との交流は楽しめていたが)、社会人スタート時の連勤の毎日(激務)、難しく頭を悩まされる業務内容、どうにもならない人間関係(価値観の合わなさすぎる上司)、やりがいのない毎日

様々な角度から試練が落ちてきて、『私はここにいるべきではない』『受け身の自分を変えなさい』と教えてくれていた

案の定、体調を崩して仕事を辞めることとなった

その後のフリーター生活は自分にとっての『未知の世界への挑戦』であった

親のスネ齧りの生活ではあったものの、自分でやってみたい仕事を見つけて働いてみることは、あの時の自分にとって『生き生きしている自分』を作り出していたのだと思う

そのオーラが周りを照らし、『結婚』までもトントン拍子に進んで行ったのだ

でもここで、昔の自分が顔を出してきた

『受け身の自分』が表出してきたのである

人生の一大事ともいえる『結婚』というものを『他人軸』にて決めてしまったということだ

少しは自分の気持ちも入っていたのは分かっている

『早く実家を出て独り立ちしたい』『未知の世界に足を踏み入れたい』など

そういった想いを乗せて、結婚へと踏み切った決断は否定していない

ただ、相手をそれほどまでに愛した上での決定だったのかというと(どんな困難もこの人と乗り越えていける確信)

決してそうとは言えない

結婚生活はそのまま火蓋を切ってしまったが、それは、私の『受け身人生』への継続ともなっていった

夫に言われた通りに動く、選ぶを繰り返していたのだと今なら分かる

『理想の妻』とまではいかないまでも、夫に嫌われないような行動や言動をとり続けていたと思われる

『専業主婦』という立場もあり、その優越感や安心感にどっぷりと浸かり、『能動的に生きて行きたい』本心を隠したまま、生活を続けていたのだ

育児や家事(そこまで頑張ってはいないが)に没頭し、自らのやりたい事や叶えたかった願い(潜在意識の)を無視していた

そして結婚も10年を迎える頃に残るのは『虚しさ』であった

『受け身の人生』の中から、自分にとっての『継続できる生きがい』を見出す事は難しい

後になって、後悔や無価値観などが溢れてくる

だからこそ、自分のやりたい事や成し遂げたい事に全力で『能動的』に向かっていくことが

自分をこの人生という荒波から救うことなのだと、改めて腑に落ちたのである

気づいた時から『能動的に生きていく』自分に変わっていこう






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