言葉(対話)はきっと『後悔しないため』にあるのだと思う

人間同士のコミュニケーションは色々と存在しているが、近年は文字のやり取りの方が多い気がしている

文字は伝えやすさ(送りやすさ)が際立っている分、『心の声(本音)』が伝わりにくい一面がある

例えば『ごめんね』を伝えたい場合に、自分の至らなかった部分、相手に嫉妬や依存していた気持ち、
本当はこちらが悪かったと気づいていたことなど

それら全ての気持ちをひっくるめて、文章として送信できる人はどのくらいいるのだろうか

おそらく長文となるのは避けられないだろうし、受け取った側も『うわっ、、長っ、、これ、読みたくない』と思うかもしれない
懺悔の文章であるはずが、逆に疎まれてしまう可能性も含んでいる

簡易的なコミュニケーション(ラインやSNSなど)は意思疎通の手助けとしては、とても重宝するものであるが、このやり方を『大切な言葉を伝えたい時』に利用する場合に

受け取り側の解釈によっては送付側の『意図』に1ミリも気付かないまま、スルーされてしまう危険性も潜んでいる

付き合いが長い場合であれば、意思疎通できる確率は高いのかもしれない

ただ、人と人とのコミュニケーションはその時の『状況』や『気持ち』がとても影響してくる

暗く落ち込んだ気分の時に受け取る文章と、明るく前向きでいる時に受け取った文章では、180度捉え方が変わってしまう

だからこそ、面と向かって相手の『状況』や『状態(どんな気分でいるのか)』を察知(把握)した状態の時に、言葉を使用したコミュニケーション(対話)を取ることを優先したい

そして、言葉(話し言葉)は文字よりも『多くの感情』を乗せながら発していることが多い為、自分の気持ちが表情などと共にダイレクトに伝わりやすい

対話を用いた『心からのコミュニケーション』を遂行することにより、文章に比べれば、伝わらなくて『後悔する』という想いはほとんど起こらなくなるだろう

母を看取る直前に、涙とともに『今までありがとう』と対面で伝えられたことは
私の記憶の中で『後悔のない』出来事であった



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