2024年6月15日あたりの日記とか

立派な主張があるわけではないが、いつも少しは自分の考える事を他人にわかってほしいと思っている。ちょっとした気持ちの動きとか主張にまで行き着かない程度の考えでしかないので、どこでどう表現したらいいかわからず、試しにこんなnoteを書く

たまに自分よりも経験豊富な人と話しその度に自分の知識の無さを痛感する。僕は統計学もAIも医学も文学も知らない。しかし、それでも暇な日常に何かを身に着けようとすることがないのは、自分の知識の無さを意識するのはとてもつらいのでついつい逃避してしまっているからだろう。

最近、自由で縛られない天才のフリがかなり板についてきた。時間にルーズでいつとふにゃふにゃ。理三でなければ、ただただ不真面目でしかも不真面目なことを誇りに思ってすらいる痛々しいカス。でも僕は理三。


このフリのお陰で、余裕を出せるように気がして、とてもいい。余裕がある人間はすごくいい。物事をなんでもいったんそのまま受け入れられる、ように見える。

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