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袖振り合うも、二度目が大事。について

大学時代の友人が亡くなったという連絡を受けた。
大学を出てからやり取りがなかったので、「友人」を名乗るのもはばかられるが、話を聞いて、当時の姿や話し方が走馬灯のように脳裏を駆け巡るほどには、思い出のある人だった。

「袖振り合うも多生の縁」というけれど、
一時(いっとき)でも同じ時間をともに過ごした人、
ひと言でも話を交わした人、ひと目でも間近で見た人は、
勝手に思い出のなかに組み込まれ、その人に何かがあると妙にショックを受けてしまう。
芸能人の訃報を聞くと、TVでしか観たことがなかったとしても、勝手に衝撃を受けるのも、その現象のひとつだ。
これが、街で見かけたことがあるとか、偶然話しかけられたことがあるとか(そうそうないけれど)、一瞬でも関わりがあると、より心が揺さぶられることになる。
実際に、袖と袖を振り合ってはいないけれど、なんらか接触があった人には、妙な親近感を抱いてしまうものだ。

かなり前の話になるけれど、新規の仕事である会社に伺ったとき、“袖事件”があった。
打ち合わせのあと、違う部署の方がご挨拶をしたいとやってきたのだ。
「こちらの権利関係を担当している◯◯です」と名刺を差し出され、こちらも渡そうとした瞬間、こう言われた。
「覚えていらっしゃいます? 実は、✗✗社にいたときにお世話になりました」
……
本当に申し訳ないのだけれど、覚えていなかった。
けれど、✗✗社は5本の指に入るほどの得意先。それではまずいという本能の訴えにより、とっさに誤魔化した。
「もちろん、覚えていますよ!」
あぁ、大人って……。
が、彼女のうれしそうな顔をみて、これでよかったのだと思った。
その後、あのときはどうだった、こうだったという彼女の話により、完全に彼女は私の脳にインプットされたのである。
ちなみに、「あのとき話」をされたあとも、当時の彼女のことは思い出せなかった。
けれども、彼女がそのときの私を覚えてくれていたことのほうに感動して、彼女の存在は、大きく心に刻まれたのだ。

ちなみに、人が一生で出会う人の数は、30000人と言われている。
80歳まで生きたとして、1日に1人と出会う計算らしい。
満員電車に乗っていれば、1日に何十人とも袖触れ合う。
打ち合わせやら何やらをしていれば、一度に何人もと会話を交わす。
脳裏から流れてしまって当然なのだ。

が、二度目に袖をつかまれるくらいのことがあると、忘れられない縁になる。
そういう意味で、気になる人は「覚えておく」というのは大事だなと思った。
人は覚えていてもらえるとうれしいものだから。

インタビューもそうだ。
こと俳優やアーティストなどは、日に何人からもインタビューを受けるので、一度インタビューをしたくらいではなかなか記憶されない(まれに記憶している人もいるけれど)。
その場合、二度目が大事になってくる。
もちろん最初のインタビューも大事だけれど、むしろ記憶に残るか否かは、二度目が肝心だと思う。

本もそうだ。映画もそうだ。ドラマもそうだ。
一度読んで(観て)感動したはずが、時が経てば意外と忘れてしまうもの。
もう一度読んで(観て)みて、初めて「あぁそうだったか」と深く刻まれたりする。

知識もそうだ。
何かを覚えたとしても、一度ではすぐに忘れてしまう。
忘れた頃に、もう一度同じことを聞いて、「あれ、それ以前聞いたぞ」と思い出すことで、一度目より強く残るようになる。

話ははるかかなたに飛んでしまうけれど。
韓国ドラマで、『2度目の二十歳』という名作がある。
チェ・ジウ主演のロマンスで、タイトルどおり、アラフォーになって経験する2度目の青春物語だ。
1度目の青春より、2度目の青春のほうが、酸いも甘いも知ったぶん、自分らしい選択をできていく。そんなお話。
『2度目のファーストラブ』(原題は『20世紀少年少女』)という名作もあるのだけれど、2度目こそが鍵なのかもしれない。

縁を刻みたいなら、二度目にどれだけ頑張ってみるか。
一度目だけでなく、二度目も大切にしよう。
(もちろん、三度目も四度目も)





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