入院中とその後のこと

前回の続きです。

絶対安静の入院になってそのままICUへ。
沢山の管に繋がれて、目の前には看護師さんをはじめとした医療スタッフが数名。
ベッドに寝たままで、すぐ近くのトイレへも看護師さんを呼んで車いすで連れて行ってもらうような状態。
とりあえず職場の上司へはLINEで、入院になりいつ退院できるかわからないと連絡を入れました。
もうこのまま仕事には戻れないんではないかという不安と、もっと早くにいつもと違うと気が付いた時点で病院に来ていたらここまでの大事にはならなかったのではないかという後悔でよく眠れないままに朝を迎えました。

翌日は午後から両親と兄がお見舞いと医師からの詳しい話を聞きに病院へ来てくれました。兄は既に家族を持ち、車で1時間半程の所へ住んでいてその日はたまたまこちらへ来る用事があり来ていたのですが、家族揃って病院に来てくれたのを見て「もう最期だから会いに来たのではないか」と盛大に勘違いをし、また落ち込むこととなります。
完全に悲劇のヒロインモードですね( ;∀;)

2日程ICUで過ごした後、少しずつご飯が食べれるようになってきた為一般病棟への移動となりました。
一般病棟とは言っても絶対安静は続いているため、トイレ、洗面台付きの個室。
ICUでは壁もなく、カーテンで仕切られているだけなので目の前で動く医療スタッフや他の患者さんの声などが聞こえてくるのですが、個室だと朝昼晩の体調チェックや食事の配膳にスタッフが来る以外は完全に一人の空間。部屋から出ることも禁止され、そんな空間に1日中いて楽しいことなんて浮かんでくるはずもありません。
そんな私を励まそうと、友人や家族も顔を出してくれましたが人がいる時間を過ごした後は、その何倍も寂しく虚しさを感じました。

それから2週間程の入院生活を送り、肺周辺の出血も止まった様で、ようやくSpO2値も70%台後半まで戻り退院となりました。
そして退院の際に医師には、また同じ状態になる可能性もあること、少しの体調の変化でも直ぐに受診すること、絶対に無理をしないことを告げられ、その後約10日間の自宅療養へ。

退院して直ぐに今後の事を話しに職場へ行きました。
今の状態では店長への昇進は無理であること、その上で今まで通り1スタッフとして無理のない範囲で働かせてもらえるという事をお話しし、了承を得ることができました。
その後自宅療養を経て一旦仕事復帰をしたのですが、やはり入院からの体力の低下のせいなのか、身体の状態が入院前より悪化したのか、以前と同じように働けなくなってしまっていました。1日5~6時間程度働くと家に帰った後に倒れる様に眠るようになってしまったのです。
そして直前は店長職へ向けて仕事をしていたのが叶わなくなってしまったことで、以前の様にモチベーションを保つことができずその年いっぱいで一度仕事を辞めることになりました。

今考えればなぜそこまで仕事に、店長職に固執していたのかわかりません。
でもきっと幼い頃から病気がある故に、人に助けられることばかりで自分には何もできないのではないかと思っていたのが、仕事をするようになってからやっと人の役に立てる、人に頼りにされるという事を感じ仕事をしている事で自分の中の何かを保っていたんだと思います。

その仕事を辞めてからも一度この時と同じように肺出血を起こしまた2週間程入院をしたり、この機会にと投薬の調整入院をしながら約3年程身体を休ませる時間がありました。その間は内職をしたり、すこーしだけのお仕事をしつつ、それまで酷使してきた身体を整えていったのです。以前と同じようにとは行かないまでも、友人と会って少しづつ出かけられる様になりました。

そして仕事を辞めて丸3年後の2020年。
仕事を辞めてからもお客として時々顔を出していた元職場であるお店。
数カ月前にスタッフが3人立て続けに辞めて人員不足であるという事で、私の体調が悪くなければ短時間でもいいので働きに来ないかとのお話を頂き、悩んだ末に週2~3日程度また働く事となり、現在もその職場に在籍しています。
休んでいた3年間でそれまで突っ走っていた自分を多少は冷静に考えられるようになり、仕事も自分の身体があってこそ、という当たり前の事にやっと気が付くことができ自分のできる範囲でできるようにねりました。現在も時々体調を崩してお休みすることはありながらもゆるりと働いています。
そんな現状を許して下さる職場のスタッフには大変感謝しています。

元々、寂しい、辛い、苦しい等の負の感情を口にするのが苦手で人前ではヘラヘラとしてしまう私。
あの入院時に至っても「辛い」とは口に出せずに、人には「全然大丈夫」と言っていました。本当はその時身体も心も辛かったし、先の見えない不安に押しつぶされそうだったのに、一度「辛い」を口にしたら自分の中の感情がコントロールできなくなりそうだったんだと思います。
そしてこの時の事は本当に限られた近しい人しか話していませんし、こと細かな感情は口に出さずに胸の奥においやっていました。
それでも約8年程経った今、こうやって少しづつ吐き出すことで胸の中にしまっていた感情を浄化できるのではないかな、と思いここに記しておきます。

長々と私の記憶にお付き合い頂き、最期まで読んで頂いてありがとうございました。

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