2016年6月11日のこと

ややこしいタイトルでごめんなさい。
今日は2024年2月です。(笑)

大げさ??と思われるかもしれませんが私の人生においてとても衝撃的で、もう8年近くも経ちますが未だに忘れられない日のことを記しておこうと思います。ちょっと長くなるかもしれませんがご興味ありましたら前回の記事と併せて読んでみてください。

30歳が見え始めた2016年。
仕事では店長という仕事を任せてもらえる事が決まり、それに向けた準備に日々バタバタとした生活を送っていました。
5月末頃だったと思います。朝と夜に咳が出る様になっていました。それでもその時は「季節の変わり目に風邪でも貰ったかな?」程度に軽く考えていました。
それが日を追うごとに咳が激しくなっていき、ある時痰に血が混じっていたのです。それでも「喉に傷でもついたのかな?」と病院にも行かず、誰にも相談せずに放置をしていました。
しかし日に日に咳は酷くなり、胸の苦しさも感じる様になっていきました。
更に最初は痰に血が混じる程度の出血だったのですが、ついに血液そのものの様な状態の物を吐くようになり、血便も出始めていました。
薄々何かがいつもと違う、これはマズイのかもしれないと気がついていました。
でも今自分の体調不良なんかでせっかく順調にいっているこのチャンスを逃したくない、という思いもありました。
なので自分の不調は誰にも言わず、不安を心の奥にしまいこんで仕事に行っていたのです。

そんななか6月11日。
その日は土曜日でした。朝起きた時から体が重だるく食欲もありません。
でもお店ではイベント事をする日で私はその担当。しかもシフトを確認すると土曜日なので皆それぞれレジャー等で希望休を取得していたため交代できるスタッフもいません。そして私とペアを組むのは前の月に入社したばかりの新人さん。一人で任せる訳にはいきません。(大体同じ時間帯に2~3人の人員配置)そこまでして行かなければいけなかったのか?それは責任感というよりは意地だったのかもしれません。
なので心配する母が私を職場まで車で送っていってくれて仕事に就きました。
始めこそなんとか仕事をこなせていたけど途中から立っていることが辛くなり、そのうちに焦点が合わなくなってきました。
その頃には多分私はとても顔色が悪かったのでしょう。脂汗もかいていたような気がします。
お客様に心配の声を掛けられ始めた頃、次の時間のシフトに入っているスタッフが到着しました。
その人は私が仕事を始める以前からそのお店で働いていて、私の体調もだいぶ把握してくれている人。なので私の顔を見て、直ぐに異変に気が付き仕事を上がらせてくれました。

職場までは母に送ってもらっていたので直ぐに迎えを呼び、まっすぐにかかりつけの病院へ連れて行って欲しいとお願いしました。
職場からどうやって車まで歩いていったのか、そして病院に入ったのか、そのあたりの記憶はあやふやです。
でも、土曜日だったその日は直ぐに救急外来の処置室に連れて行かれて酸素マスクやら点滴やら何やらとたくさんの管を繋げられました。
その時のSPo2値は40%を切っていました。
(以前にもちらっと書きましたが健康な人で98%程の所、私は通常80%前後)
後に母から聞いたのですが、医師からは気管挿管をして人工呼吸器を装着した方がいいかもしれないとの提案があったそうです。
身体はものすごく辛く意識も朦朧としてきているはずなのに頭の中では、いよいよ次週に控えていた近隣店舗の店長同士の顔合わせ会議の事や仕事の事でいっぱいでした。
そして医師にいつ帰れるのか、というような事を聞いた気がします。
当然そこにいた医療スタッフ全員から「帰れるわけない!!」とお叱りをうけました。

様々な検査をし、原因がわかったのは病院に入ってから5~6時間も経ってから。肺の周辺の毛細血管が切れてしまい肺に血液が溜まっている状態。
元々酸欠が酷い私は、全身にくまなく酸素を運ぶために体の至る所に本来の毛細血管から更に細い血管を作り出してしまっているそう。極細の血管なので少しの刺激や無理がかかると切れてしまうんだとか。更に、この病気の人は血液がドロドロになり詰まってしまいやすいのでそれを防ぐ為に、血をサラサラにする薬を飲んでいました。
なので肺の中で極細血管が切れて出血したものの出血が止まらずに肺の中にその血が溜まってしまっていたのです。
肺の中の事なので直接的な治療法はなく(正確に言うと今すぐ命に係わる場合は手術もできるそうですが、私の場合はリスクの方が圧倒的に大きかった)出血が止まり、肺の中の血液が吸収するまでの絶対安静。
勿論入院です。
そしてその入院期間は上記の様に直接的な治療ではない為、私の身体次第。
1週間なのか、1か月かかるのか、もっとかかってしまうのか…。
先が全く見えず、仕事の事、これからの自分がどうなっていくのかという不安で沢山の管に繋がれたまま、処置室のベッドで涙が止まりませんでした。
ようやく泣き止んだ頃に、「ICU」への入室を告げられ「完全監視可」へおかれることになるのです。

この頃の事はどれも詳細に覚えていて、それをここに書こうとするととってもまとまりのない長い文章になってしまうなぁ。なので今回はここまで。
この後の入院中の事はまた次の記事にしようかな。
とりあえずここまで読んでくれた皆様、ありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?