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「人を過度に神格化するのは危険だと思う」で思い出した

のもきょうさんのVoicyを聞いて思い出した。
https://r.voicy.jp/6d9AXABbm8y

私は20年ほど、ある宗教をやっていたことがあり、地区の先生になんでも相談してきた。
私は先生のことが大好きだったし、もちろん尊敬していた。
だから先生の言うことは絶対だったし、言われたことがスッと心に入ってきて腹に落ちた。

10年ほど前、私が妊婦だった時に、手が痒くて寝れない時がある。と、先生にお通ししたことがある。その時先生は、「手が痒くてカサカサしてるというのは、夫婦がカサついてて冷え切っている証拠。旦那さんが不倫してるかもしれない。夜もおたすけに行きなさい。」と言われたことがある。
私は心の中で、「えー!こんなこと言われるならお通ししなければよかった…。」と思ったが、
主人は新しく秘書が入ってきたと言ってたから、確かにそうなってもおかしくないな…。」とも思い、先生の言われることに刃向かう気持ちは全く浮かばず、結果的には数は1回だけど夜にもおたすけに行った。

以前、この宗教から離れる少し前にこんなことがあった。
子供が鼓笛隊に所属していた。
本人はみんなに迷惑かけるから行かなきゃと思うけど、行きたくないという気持ちが出ちゃう。と大泣きし、休むようになっていった。
それを先生にお通しすると、
「好きなことばかりやって苦手なことはやらない。という子だと大変な子になる。
苦手なこともするのが大事。ということも教えないといけない。好きなことばかりやって苦手なことやらなかったらどうなる?と考えさせないと。
あの子はまだ人に意見したり考えがちゃんと言える子ではないでしょ?
頭がクルクル回転するようになったら手がつけられなくなる。今のうちにその様に教えないと。」と言われた。
子供はダンスが好きで、ダンスの習い事は喜んで行っていて、夫もそんな娘をすごく応援していた。
そのことも先生は知っていて 
「ヒップホップはやめさせたほうがいい。
あのダンスは良くない(たぶん、露出だったりセクシー?な振り付けだったりするという部分で)。
もしダンスもダメになったらスマホばっかり見てる子になる。主人にも説明してやめさせたほうがいい。」と言われた。
この頃、私は宗教に対しての違和感をずっと感じていて、離れたら不幸になるという恐怖心と、離れたいけど離れられない、というジレンマの中にいた。
先生の言葉に対してその場では否定しなかったが、心の中で「それは何か違う。」と初めて思った。

離れて常々思う。
子供を巻き込まなくて良かったと。
子供も自分のイヤだという気持ちとお母さんを困らせたくない。という気持ちでどうすればいいのかわからなくなっていたと思う。
私は卑怯だから、
「あなたがどちらにしたいか決めなさい。お母さんはそれに従うから。」と子供に判断を委ねて逃げていた時があった。
それを夫が見ていて、
「子供がかわいそうだ。行くのやめたら?」と言われ、
私が子供に「やめる?」と聞いて行くのをやめた。
子供は先生の言う通り、スマホばっかり見ているが、全く後悔していない。

矛盾するかもしれないが、私は先生のことを嫌いになったわけでは決してない。
この宗教を信じきっている先生はきっと、私たち親子をどうにか繋ぎ止めて不幸な道を歩ませたくないという親心で言っているというのがわかるから。
でも昔みたいな神格化する存在ではなくなっている。

のもきょうさんも言ってるようにこの人は絶対だということはない。
一つ一つ意見を分解して考えて、距離をとって聞く。フラットに捉える癖をつける。
忘れない様にのもきょうさんの言葉を記しておこう。

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