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旧中山道さんぽ06(上尾宿〜桶川宿)

この記事は、旧中山道六十九次約530km(東京日本橋から京都三条大橋まで)をさんぽする記録を綴ったものです。
期限はなく、時間のある時にゆっくり京都まで目指し、1宿1記事を書くつもりです。

計画、決めたマイルールはこちら

さんぽ概要

区間:05上尾宿〜06桶川宿
タイム:1時間10分(これまで歩いた日数4日)
距離:4.6km(累計60.7km)
歩数:6,272歩(累計86,723歩)
パン屋の数:1店(累計19店)
費用:1,506円(累計10,467円)
 パン屋ミカヅキ堂 980円
  ローソン 絆創膏と飲み物 526円
※ 距離は寄り道をしているので最短距離ではありません。

ポイント

パン屋ミカヅキ堂 好き
・1日で20km歩いたところで靴擦れした
・観光協会のおばちゃんに紅花の種をもらって育てた

中山道さんぽの記事も6つ目。今回は桶川宿までです。
距離は前回よりさらに短めです。

上尾宿を出て、JR北上尾駅を過ぎたあたり、右側に黒板の塀で囲まれたお屋敷があります。

須田家

樹が立派。敷地が広すぎてお屋敷も見えません。桶川で特産であった紅花(桶川臙脂おけがわえんじで財をなしました。

左奥

紅花が特産となった経緯は以下のとおりです。

桶川の農家で紅花が栽培されたのは 、寛政(1789-1800年)の初め頃、江戸日本橋の柳家五郎三郎の使用人が出羽(山形県)より紅花種子を仕入れ、武州桶川宿付近の百姓七五郎に渡され、蒔きつけられたのが始まりだそうです。それが近郷近在に栽培されるようになり、武州の紅花は気候等の関係から他地方よりも、早場物として珍重されたようです。この頃紅花は上流社会で消費されました。仲買人、問屋をヘて主に京都の紅問屋に出荷されました。

中山道宿場館でもらった資料

紅花1貫(約3.75kg)が米2俵(約120kg)で取引され、商人たちが繁盛していたことは前述の立派な須田家のお屋敷や後述の稲荷神社に紅花商人たちが寄進していた石灯籠からも伺われます。

庚申供養塔

屋根があるのは珍しいです。はい。

このあたりから、右足が靴擦れしました。ちゃんと靴紐を結ばずに20km歩いた報いです。我慢していたら左足も痛くなってきたので、ローソンにて絆創膏を買ってやり過ごします。ローソンを出ると道路の左手には、

🥐パン屋19号 ミカヅキ堂

久しぶりにこぢんまりとしたパン屋さん。
これまで訪れたパン屋データベースに照らしても、この外観、雰囲気、陳列は当たりの可能性が高いです。

イラストは三毛猫のような色のパン。いいぞいいぞ。

パン屋さんの実力が現れる気がするし、大体のパン屋が売っているクロワッサンに加え、ミルクフランスなどを買いました。

あなたも食べたくなるクロワッサン
もう1回買いに行きたいな

美味しかった!

桶川宿木戸趾(下)

宿場の出入り口、下の木戸です。朝夕定時に開閉されていました。
桶川宿は、1637年ごろは58軒でしたが、紅花が取引されていた1800年には247軒まで増えました。本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠は36軒ありました。

真ん中の石碑です

武村旅館(国登録有形文化財)

紙屋半次郎が経営する旅籠屋であり、1852年の建築です。当時の間取りは現在までほぼ引き継がれ、近年まで「ビジネス旅館武村」として営業していたようです。

隣がガソリンスタンドで一抹の不安

桶川宿は比較的歴史的遺構が数多く残っている宿ですが、隣地の開発は自由なようで、徐々に失われていく気がします。

旗は宿場町の個性が出るのでなるべく撮影

島村老茶舖店舖兼主屋しまむらろうちゃほてんぽけんおもや(国登録有形文化財)

中山道沿いの店舗は1926年築、奥の木造母屋は1854年築です。武村旅館に続き、桶川は古い建物がかなり残っています。今も現役のお茶屋さんです。

風が強過ぎて暖簾が見えない
両側の近代建築は強い。オセロならもう建て替わっている。

青タイルの美しい築古ビル

剥き出しのコンクリートの柱もよい。

伊藤さんのビル

小林家住宅主屋(国登録有形文化財)

江戸時代末期に小林家が建てた旅籠です。1828年、1840年、1852年のいずれかの建築。今はギャラリー併設の喫茶店が入っています。

今は武士ではなくSECOMが守っています
たまには斜めから

矢部家住宅(市指定有形文化財)

改修中でした。穀物問屋であり、紅花商人であった矢部家の住宅で、土蔵造りの店蔵です。明治建築らしく、比較的新しいので国登録ではないんですかね。

奥まで結構長い

この手前に島村家住宅土蔵(国登録有形文化財)1836年築がありますが、見逃しました。

桶川宿本陣遺構(県・市指定文化財)

埼玉県内で唯一残る本陣遺構。内部公開はされてません。

良い門
引きで撮ると・・・うむむ

中山道宿場館 桶川市観光協会

蕨宿以来の充実した展示です。
そして、ここはボランティアの方たちが予約すれば無料でガイドツアーをしてくれます。

入口の看板はA4の紙をつなげているのか

ボランティアのおばちゃんがイキイキと色々説明してくれました。
紅花の説明も充実しており、種も配っていました。

紅花がモチーフの桶川市マスコットキャラクター「オケちゃん」。クリーニングにだしてあげたい。
オケちゃん「ときどき追肥してね」
私「ときどきとは?」
紅花の種

せっかくなので家のプランターで蒔いたところ、2ヶ月ほどかけて1つだけ花を咲かせてくれました。けっこう難しい。
種まきをしたのが5月上旬で時期としては遅く、ギリギリだったようです。

朝方の蕾。優しく、柔らかく、儚い雰囲気
満開。オケちゃんの頭や!

稲荷神社

宿場館を過ぎて、交差点を右折すると稲荷神社にたどり着きます。現在の桶川市と上尾市の総鎮守でした。

しめ縄がご立派

日本一の力石

重量は610kgありますが、1852年岩槻の三ノ宮卯之助が45歳の時に持ち上げたとのことで、石に名前が刻まれています(ほんとかいな)。
江戸時代は、祭りなどにおいて力自慢の人がその特技をもって「力石」を持ち上げる興行をしていました。卯之助の名前を刻んだ力石は全国で32個あるとのことです(ほんとなのか)。

稲荷神社の前にいたおじぎ侍

「きもの屋大和屋」のショーウィンドウにておじぎをし続けています。顔が気になる。

中山道に戻ります。

市神社趾いちがみしゃあと

交差点の公衆電話の裏にひっそりあります。毎月5と10のつく日に農産物の商いが行われました。この市場と宿内の人々を守る神様が祀られていました。

これはどう撮影するのが正解だったんだろうか

大雲寺

本陣府川家の菩提寺。若い修行僧への戒めとして、夜な夜な女老買いにでる為、背中が鎖で繋がれた女郎買い地蔵があるとのことでしたが、お地蔵さんだらけで見つけられず。

もっと寺社の個性を活かした写真が撮りたい

モリテーラー

好き

桶川宿の一里塚跡

歩道橋付近にありましたが、1876年(明治9年)に取り壊し済み。

景観配慮型ピザハット

木戸趾(上)

桶川宿の終わりです。宿町は約1kmです。

周囲はピンクと緑とプーノワール。なぜ・・・

次回、桶川宿〜鴻巣宿に続きます。

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