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「ブルーベルの森には妖精が住んでいる。」第2話 グランド・スラム(二人だけの秘密)

#1、過去の記憶。
 幼い頃、結婚の約束をした男の子がいた。
 まだ恋心が何かすら理解していなかった頃の、ほとんどの人が淡い記憶としてのみ残るありふれたエピソード。
 だけど私はずっと覚えていた。
 夢中になるアイドルも、憧れのスポーツ選手も、恋焦がれるような学校の先輩も、彼女にはいなかった。
 彼女にとって彼が全てだった。
 彼だけが彼女の心に居座り続けた。
 同じ小学校、同じ中学校、同じ高校に進学した。
 でも、その男の子は高校に入ってすぐ彼女とは違う女子に心を奪われた。
 彼のことしか見ていなかったから、彼の視線の先に誰がいるのかすぐにわかった。
 だけど私はずっと覚えていた。
 彼と彼女の約束を。
 だけど彼女は諦めかけていた。
 だから私は彼女に囁いてみたのだ。
N「彼を取り戻したくはない?」
 愛らしい妖精の姿で。
 甘く、脳髄までとろけるような声音で。
 
#2、現在・とある一軒家。
 インターホンが鳴る。
 二階のカーテンの隙間から、男子生徒がインターホンから踵を返す姿が見える。
 男子は生徒会長である。
少女N「幼い頃の約束のように、彼と恋人になることができた」
「人生でこれほど喜びに満ちた日々はなかった」
「でも──」
 少女の姿、ちらりと鏡に映る。
 普通の少女の姿。
 しかし一瞬、ノイズが走り、顔の半分が醜いゴブリンのような姿に変わる。
 そしてまた少女の姿に戻る。
少女N「私は、もう、彼に会うことはできない」
 
#3、第一話のラストシーン。
 顔を傷つけられ、地面に倒れ込み、怯えながら後ずさりする女子生徒。
 立ち尽くす少女、顔にノイズがかかったようになっていて表情が読みとれない。
 五指の爪が刃のように鋭く伸びている。
少女「彼に近づくな」
 泣きながら頷く女子生徒の頭を殴り、昏倒させる。
少女「あの人の隣りにふさわしいのは私だけ……」
 
#4、学校・昼休み・中庭。
 龍之介と塔子、ベンチに座りながら弁当を食べている。
龍之介「弁当は律儀に作ってこなくてもいいんじゃね?」
塔子「確実に周りの人間を騙すには、自分が相手を騙しているという事実すら忘れてしまえばいいのよ」
「つまり、あなたを本当の恋人だと想ってお弁当を作る必要があるの」
 なんだろう。付き合った後に女性から「私、結婚詐欺師だけど、あなたのことは好きなの」と告白されている気分だった。
塔子「一度付き合ってると宣言した以上、破局を噂されるのも面倒だし」
龍之介「さいですか」
 龍之介はげんなりしながら、思い出したように長谷部から聞いた情報を塔子に伝える。
龍之介「生徒会長、幼なじみの恋人がいるんだと」
「でも、ここしばらく病気か何かで会えてないんだってさ」
塔子「……」
 塔子、思案顔の後、弁当を急いで片付けて立ち上がる。
龍之介「なんだよ、もう教室に戻るのかよ」
塔子「ちょっと私、確かめたいことがあるから早退する」
 去りかけるが、思い出したように龍之介に振り返る塔子。
塔子「それと夜、ちょっと付き合って」
 
#5、夜・繁華街から住宅街に向かう道路。
 帽子とマスクという簡易な変装で歩く龍之介と塔子。
 繁華街を抜けて、薄暗い住宅街へ続く道を歩いていく。
龍之介「いくらマスク姿に違和感を感じなくなったとはいえ、さすがにこの格好は……」
塔子「黙ってなさい。補導員に声をかけられる方が面倒だわ」
 塔子は辺りを警戒しながら、切り出す。
塔子「妖精が願いを叶え続けると、最後にはどうなると思う?」
龍之介「? どういう意味だよ」
塔子「妖精に願いを叶えてもらい続けると、最終的に支払う代償は何になると思う?」
「最初は小さな代償で済む。物語の中の妖精はせいぜい願いを叶える代わりに食べ物を要求するくらい」「でも、妖精が小さな代償で願いを叶えてくれると知った現実の人間は大抵、際限がなくなる」
「そうしてエスカレートしていくと、最終的に宿主の身体を求められる」
 龍之介は思わず息を呑む。
塔子「あとは完全に身体を乗っ取られて、自分の魂と妖精の魂を取り替えられちゃう」
「そうなると人間の身体から妖精を分離するのが極めて困難になる」
龍之介「今回の犯人がそうなってると?」
塔子「それを確かめる」
「身体は共有していても意識は同時に表象には現れないから、宿主が眠っている時に妖精が何らかのアクションを起こす可能性が高い」
 塔子はそう言って、スマホで地方版のニュースサイトを龍之介に示す。
 そこにはここ数週間の通り魔事件の記事が表示されている。
塔子「被害者が若い女性という以外は年齢も職業もバラバラ。比較的軽症で済んでるからそこまで大事になってないけど、実はちょっとした共通点がある」
龍之介「共通点?」
塔子「全員、生徒会長に近づいてたってこと」
「犯人を特定されないように記憶操作されてたけど、塾の同級生、よく行く花屋の店員、街中でナンパしてきたОL…程度の差はあれど、会長に好意を持って接してきた女性だった」
 なんだろう。会長に軽く殺意が湧く。
塔子「これが本人の意志によるものだったらまだいいんだけど……」
龍之介「いいのかよ」
塔子「それは私たちの範疇じゃない。普通の警察のお仕事」
「でも、これが妖精に憑かれたものによるものだったら、話は変わってくる」
 ふいに会話を遮るように、漂ってきた鱗粉が龍之介の鼻孔をくすぐる。盛大にくしゃみをした後、連続でくしゃみをする。
塔子「近いわね」
 塔子が走り出し、龍之介もあわてて走り出す。
 袋小路の路地の突き当りに、女性が血まみれでうずくまっている。
 その前に白いワンピースを着た少女が立ち尽くしている。
 その顔は人間のものではない何かのように歪み、五指の爪が鋭い刃のように伸びている。
 少女は塔子たちの姿を認めると、その身体からは予想できない跳躍力でその場から消え去った。
    *    *    *
 救急車を遠巻きに、野次馬に紛れるように龍之介と塔子がいる。
龍之介「犯人には逃げられちゃったし、これからどうするよ」
 龍之介は塔子に振り向く。
 塔子の凍りついたような表情に、龍之介は思わず怯む。
塔子「……見下げ果てた奴だな。ここまでこちらの世界に被害をもたらしては還俗は免れんぞ」
 感情が失われたかのような抑揚のない声で、塔子は呟いた。
 龍之介の不安げな視線に塔子はハッとなって、かぶりを振る。
 表情がいつものそれに戻る。
塔子「ボガード化しかけてる」
龍之介「ボガード?」
塔子「人間に取り憑いた妖精は悲しいことがあったり、悪いことをし続けると最終的に〝ボガード〟になってしまう」
「色んな要因で元の妖精から変異するんだけど、ポルターガイストを引き起こしたり、人間にとって悪さしかしない妖精になってしまう」
「一度ボガードになってしまうと、現世では決して元の妖精には戻らない」
「だから私たちみたいな送還するための妖精捜査官が必要になるってわけ」
龍之介「で、どうするよ。会長の幼なじみ?のところに行ってみるか? もっとも寝てる間に何かされてるんじゃ、本人に確認のしようもないけど……」
塔子「……そうか…会長に近づけば、向こうから襲ってくるのか」
 塔子は例の思案顔の後、何かを思いついたように口角が上がった。
 まるで新しいイタズラを思いついた子供のような邪悪で無邪気な笑顔だった。
 その笑顔に龍之介は何か悪寒のようなものを感じた。
 
#6、翌日・学校。
 生徒会長と親しげに話す塔子。
 隣りの会計は不満そうな顔である。
龍之介N「その光景を俺は何とも言えない表情で見ていたつもりだったが、どうやら周りからは悲痛な表情に見えていたらしい」
 龍之介の肩に長谷部の手がかかる。
 そして二、三回その肩を叩き、「フラれたな」と小さく呟いた。
 そして俺は、告白してフラれるよりも、捨てられたというレッテルを張られる方がツラくなるということを生まれて初めて知った。
 
(第2話了)


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