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覚書2023.12.17

人間には記憶を掘り起こし整理しそして忘れてもよいのだと自分に言い聞かせる、その作業をする時間が必要なのではないかと思ったりする。

言葉を使って整理する。
まずは経験と感情と出来事、自分の中にある映像、風景、出来事、そういったものを言葉にしてみる。
自分の中にあるものを外に吐き出す作業でもある。
感情や思考、映像や風景や匂いが自分の脳内だけでリフレインされてしまい支配されて抜け出せない状態がある。
それは脳みそに負担をかけ体を動けなくする。
けれど言葉にすることで吐き出すことが出来ると少しだけラクになり、軽くなる。
そうすると思考が始まる。
思考を進めることが出来る。
自分は自身の脳内にあるものに支配されているだけなのか、それとも現在置かれている状況がその脳内状態を作り出しているのかを確認する。
私の脳内にあるだけなのだとしたら、状況は関係ないとわかる。
状況がそうさせているのだとしたら、状況をなんとかするための行動や想いや思考を言葉にしてみる。
言葉にすることで整理され、少しずつ動けるようになってゆく。
カンタンに消えることのない感情だったはずなのに、いつの間にか忘れていたりする。
いつの間にか感情移入できなくなっていたりする。
もうあの頃ではなく、時間が進んでいるというのを認識することが出来る。
私は幻に感情移入するのが得意だった。
自分ではない何かに身を預けるのが好きだった。
けれどある時点で立ち止まり、自分がいる場所を思い出さなければならない。
溺れないでいるためにはそれが必要だからだ。
吐き出す言葉がポエムチックで心象の表現であるのならば、
それを整理することで今よりは落ち着くことが可能なはずだ。

ということで2023年のお掃除。

1月。
お正月は奈良旅行に行った。
新幹線に乗ってひとっとび。スーツケースではなくボストンバックのようなものを担いでいったので、少し動きずらいなと思ったような気がする。
今日とを素通りし奈良に行った。
東大寺とかその近辺をふらっと見たあとは、藤原京の方に移動したはず。
飛鳥の方。
宿がペンションみたいなロッジみたいな宿で、手作り感満載のアットホームなところ。
大晦日に宿の人と鍋を食べた。
そのあと奈良の色々なお寺を巡り、伊勢神宮に寄って帰ってきた。]
奈良ってテーマパークみたいだなと思った記憶がある。
寺はどれもでかくて格式あって立派。本当に。
安倍文殊院とか面白かったな。
ガラスケースの中に観音が一人だけぽつんといて、光に照らされている。
ちょうど他の観光客とかいなくて、1対1で見つめ合う。
仏像とか興味なくても、神聖な何かを感じてしまう。
扁額とかちょうちん、灯りとか、お墓とかお札、どれも立派。
そういえば橿原神宮にも行った。ここもでかかった。
奈良って全体的にでかい。
境内に立派な大きな木があったりした。
吉野を回ったりしたような気がする。
金剛峯寺とか行った。これがなんとも厳かで、空気がしんとしていて。
お線香の匂いも。
建物の屋根も立派。なんかそういう、今まで興味なかったけど古い建造物の建築様式みたいなの?興味湧く程度には立派だった。
五重の塔は当たり前で、十三重の塔とか。
あとは神様が動物だったり、水子地蔵、天狗、脳天大神、長い石段、わりと神様を作るのって簡単なのか?
エライ人の気が向いたらぽんぽん作ってたのか?
カエル、池、風神と雷神、御厨、祠、無人神社。
格子状の木の戸の向こう側にいる神様。
地蔵は6体並んでいる。赤い前掛けをかけている。
赤い実がなっている。
ひたすら続く石段も諦めずに上り続ければいつか頂上へたどり着く。
立ち入り区域。
参拝者は立ち入ることが出来ないその先に、ご神体が置かれている。
信仰には禁域が必要だ。俗世とは隔絶されていることが大事なのだ。
神聖ということを表現することが必要だ。
鐘の音。
注連縄。紙飾り。名で丑。天満宮。
大宰府、菅原道真。
その地で重要とされた動物、神話に出てくるとされる動物、そういうものを神としてあがめる。縁起のよいものとする。
三つ並ぶ社。一つの神に一つの社。
天井に描かれたカラフルな絵。
宗派によって庶民的な寺もある。それことテーマパークのような。
長谷寺はスケールが違った。
とにかくデカい。
青空にそびえる塔。
名前の書かれた札が並ぶ。山の中にあるお寺。
山々に囲まれた神の大地。
きっと地元民はそこまで神聖さは感じないだろう。生活に馴染んでいる、いつもそこにいるとりあえず神様。
私が旅行者だからだ。
坂を上ったそこにお寺がある。少し息が切れる。
普段、運動なんてしていないのにいきなり旅行先でお寺巡りなんてするから。
坂が多すぎて体がぱきぱき。
坂の上からは町を見渡すことが出来る。山々に囲まれた町だ。
寒いけれど、そこまでの寒さは感じない。本州の1月は、雪が降らない場所ならばそこまで刺すような寒さはない。
門にお正月飾りがある。新年のかざり。
鳥居。
廊に並びつられている提灯。博物館でみた青銅のような色をしている。
渋い赤い床。
鮮やかな漆の赤は時が経つとくすむけれど、くすんだとしても価値が下がるわけではなく、むしろより深い滋味を感じさせるかのような赤となる。
剥げている部分が年月を演出する。
森深くにある龍神神社はあきらかに空気が違う。
人の出入りが少なく遮る建物などもなく。
高い木々の中にひっそりとたたずむ拝殿。
清く厳かな空気のなかで鳥居をくぐり奥に進むとそこにあるご神体。
鳥居は大きな二本の木の挟まれている。
室生の地が印象に残っている。
隠居生活にぴったり。
女人高野というらしい。
門には青鬼と赤鬼が。(鬼であっているのか?
川にかかる橋。ちょっとハードな奥の院への道。奥の院から五重塔を見下ろす。
仏像がいる空間。
ここでお経を唱え、ひっそり静かに仏の道を究めたのか。
屋根に苔が生えている。
かやぶき屋根だから。その色合いも美しい。
赤い欄間の橋から身を乗り出して山々の風景を眺めてみる。
この日は曇りだった。
伊勢神宮は人が多すぎた。

旅行は癒しを求めて行ったけれど、この旅行は思ったよりも疲れてしまい、お正月明けの仕事がのらなくてひどかった記憶がある。
この頃は仕事のほうはごちゃごちゃした面倒なタスクばかり。
労働時間も少々多め。
というより大して働いていないけど、悩む時間が多い。
いちいち詰まるしどうしようかなと思う。
もっとソフトな働き方をするつもりだった。
ごりごりの頭脳労働が必要な職場に来てしまったせいだ。
交渉・調整業務もある。
アルバイト掛け持ちしてた時とは仕事の内容がだいぶ変わってしまった。
本来ならばよろこぶべきだ。単純労働は安い。替えが効くから、安くこきつかわれる。
替えがきくようなシステムで仕事を振っている。
替えが効かないタイプの仕事がある。
あの人だったから回ったよね、というような。
そういう仕事は、健全で恵まれた職場であればうまくいけば待遇が上がる。
やれと言われたことをただこなし、少ない給料をもらう。
その生活に耐えられるように思考を変えた部分があった。
これからは、それとは少し違うのかもしれないというのを考える必要がある。

基本的に土日はベッドの上でのんべりしている。
1日中寝てたりとか。

2月、3月、記憶がない。

そうだ、たぶん赤い公園をよく聴いていた。

美味しい物を食べ始めたのはいつからだったか。
ウーバー狂いとなり果てたのである。
やっぱりプロが作る料理はおいしい。
それに感化されて自分で作ったりもしはじめた。
やっぱり下処理をきちんとして調味料もきちんと使って作ったものは美味しい。
自炊だとある程度の量を作ってしまえるので、食べ過ぎて太った。
たくさんの野菜を作って煮込んで作ったりすると本当においしい。
ただ、プロの料理はそれよりもおいしい。
ウーバー狂いが加速したのである。

4月は一人辞めた。
代わりにきた人は8月あたりで辞めた。
6月も一人辞めた。
そしてもうすぐまた辞める。
職場というのは入れ替わりのあるもの。

4月、5月、6月、7月。
正直記憶があまりない。
一体何をしていたのか。
生きていたのかすら怪しいが、給料が振り込まれているのを見ると働いていたのだろう。

5月に引っ越しをした。
晴れた日には富士山が見える狭いコンクリートのマンションから、富士山は、みえないけれど落ち着いた住宅街にある古いマンションに引っ越した。
ベランダでたばこと吸えなくなったこと以外は満足している。
ガスで料理が出来るのが嬉しい。
ガスで作ると美味しい。
ただ引っ越した直後は体調が悪かった。
どこか現実感がなかった。
ゴールデンウィークは韓国ドラマを見まくった。
Neflixと再契約して、ここからまた、ドラマ見まくり生活が始まった。
正直、ドラマを見まくると疲れる。
寝ても疲れがとれないのはドラマを見まくっているせいだからという自覚がある。
けれど仕方がない。見たいんだから。
経験上、見まくったあとにもうしばらくは見たくないなという時期がくる。
まだその時期ではない。

夏目友人帳は継続して読んでいる。
癒されるんだよね~

とんがり帽子のアトリエも継続している。
物語が始まった当初はもっとダークな展開になるかと思っていた。
心理描写的な部分で。
現在のところ、健全な路線で突っ走っている。
出てくる人はみなある一定のライン上で健全でまとも。
こじらせた人間があまり出て来ない。
このあとの展開はどうなっていくのだろうか。

時々。全身が痛むようなきりきりとした凝りを感じる時がある。
ホルモンバランスのせいだが、きっと自分の体の癖でもある。
この凝りは時間がたてばよくなる日もある。
単なる運動不足ならいいけど、運動不足なのは昔からだし。
やはりストレスを感じているのか。

学生時代、1日八本くらい映画を見続けていた堕落生活の時期。
あの頃に見た作品はもう覚えていない。
きっと蔦屋に行ってタイトルを見たら色々と思い出すだろう。
けれど今は思い出せない。
思い出そうにも、見たものを記録していたノートはもう捨ててしまった。
ちょっと懐かしくなって、日記とかきちんと残しておいたら面白かったのになと思ったりする。
だからこれからはとりあえず記録をしておく。

8月は面白いコンサートに行った。久々のサントリーだった。

9月は日原鍾乳洞に行った。ずっと行きたいと思っていた。
洞窟とか鍾乳洞とか、わくわくする。
9月はまだ暑かった。鍾乳洞は涼しかった。
水琴窟が良かった。
静かな中でたたずむと、心が落ち着いた。
足場は悪かった。簡単な冒険をしている気分になった。
照明は必要最低限といった感じ。
カラフルな灯りでともされた空間があった。
この鍾乳洞は仏教世界。
地獄谷、さいの河原、赤い祠、天国と地獄、白い滝(鍾乳洞の滝)、天井から滴り落ちてくる水滴。
外に出ると一気に眼鏡が曇った。
周辺にあった神社にも行った。左右にトラなのか犬なのか猪なのかよくわからない生き物の像。
川魚を食べた。とてつもなく美味しかった。
白いご飯に、漬物、こんにゃく。お味噌汁。
こういう食事でいいんだよね。
けどこういう食事を用意するのって大変。
あと青梅を散歩するなりした。
青梅はいくつか神社仏閣があるけど塩船観音がすごかった。
昭和レトロ博物館みたいなとこに行った。
昭和雑貨と猫雑貨がかわいかった。シュールな雰囲気が良かったので、もう少しでかくしてテーマパークみたくしたら面白そう。
入場者あまりいないだろうけど。
青梅は雪女伝説で有名だそう。
畳の部屋っていいなと思った。
塩船観音はとにかくデカくて、上まで行くと下を見下ろすことが出来る。
つつじが咲いていない時期なので一面、緑だったけど、これがピンクとか紫になるとすごいだろうなと思った。

10月と11月も記憶になし。
仕事とドラマ鑑賞の往復。

海を見たくなって伊豆に行った。
海水浴は冬はないので、閑散期だったらしい。
すこしいい感じのホテルを安くとれた。
電車から見える海。
水平線が続き、どこかこの世じゃない世界を漂っている気分にもなる。
水平線は太陽が作るのだというのを、日の出を眺めながら知った。
海風が気持ちよかった。
海がきれいだった。
伊豆はジャンキーな博物館とかがあって、もっと時間がとれたら面白い観光になっただろうなと思ったけど、
綺麗な海と日の出とうまい食事を食べられたから満足した。
各駅で行くとやっぱりちょっと遠いな。


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