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覚書(2024/4/8)

腹の奥深くに溜まっている言葉を吐き出す必要がある。
社会で生きるための人格と腹の奥底にいる人格は性格の不一致がある。
腹の底にいる人格は、社会と交わるのが嫌だ。
一人が好き。
広く静かな世界でただ一人、ぽつんといるのが好きだ。
彼女をなんと呼ぼうか。
内面的なものに共感しているいつも。
ここじゃないどこかを見たがっているいつも。
あまり喋らない。
世界を見つめて、心地よい場所に身を委ねるのが好きだ。
彼女が息をしていれば、リラックスする方法を思い出す。
仕事をしている時は彼女は奥深くに引っ込んでいる。厳密に言えば、鬱状態で働き続けていた時は彼女が強かったと思う。
単純労働だったし、あまりしゃべらないし難しい頭脳労働もないし。
彼女が出ていても働けた。
ただ、周りから見るとあまりよくなかったようだ。全然働けてなかったらしい。
たとえばナショジオの写真を見たり自然のドキュメンタリーを見るのが好きで、地元の夕陽が世界一なのを知っていて。
一人で静かな場所で風や自然の息吹を感じる時、心底生かされている気持ちになって、頭の中はすっきりし、言葉なんて必要なくなって、ただ生きる。
自然とはどこでもいいわけではなく、
自分にとっての非日常。現実から離れてふと、別の世界へ行ける場所。
どこか別の世界に行きたがっている人だと思ってましたよ、ずっと、と、
バイト先の不思議なおばちゃんに言われたことを思い出す。
彼女が落ち着くためには自分だけの閉じられた世界が必要で。
そういう箱庭の世界が必要で。
周りの現実世界がどうなろうと知ったことではなく、ひたすら自分にとっての心地よい世界にいたい。
そう思う。
ただあまりにも世界が悲惨になると心を痛めたりする、傍観している平和主義。
どこか別のところで一人、あらゆるしがらみから解放され、自分自身の思考や言葉からも解放されようとしている。
彼女は現実で起こったことを正確に正しく記憶するようなことはしない。
社会を生きている人格の人生は彼女にとっては人生のうちに入らないからだ。
旅行に行って、ただ一人、空と大地の間にいて夜空を見上げ、言葉は必要なくただただ深く息をする。
無数の星が輝いていて波音だけが聞こえる。
とても、静かで美しい夜。
自分は呼吸だけをしている。
あの瞬間、生きる理由の全てがここに詰まっていると思った。

暗い夜。
工場の明かりも消え、川沿いも闇に包まれる。
川沿いの歩道をあるいた。
暗闇が自分の全てを受け入れてくれるような気がした。
逆に、この夜空しか、もう自分にはなかった。
寒い夜の空気は本当に美しかった。
あの孤独を、あの孤高を幸福と呼ぶのだろう。
一人になると涙が溢れた。
やっと泣ける、そのような気持ち。

あの時期は罪悪感にとらわれた。
なぜだか、罪に囚われている自分がいる。
生きるのは苦しければ苦しいほどよい。
罰だからだ。
逆なのかもしれない。
辛く苦しいから、これは罰だと思わないとやっていられない。
誰かのせいにするか、もしくは誰のせいではないとしたら、罰なのだろう。
大きな罪を犯したつもりはないが、知らず知らずに許されないものを背負ってしまったのだろう。
そう思わないとやっていられないのだ。
そこまてくると、では実際の罪はどれだろうか?と考える。
キリスト教ならば、原罪というものを教えてくれる。人間は生まれながらにして罪を背負っているのだ。
ただキリスト教ではないから、その考えには違和感がある。
だから考える。
仏教は煩悩と呼ぶ。
あれこれ考え悩むのは煩悩なのだ。
けれど積み重ねてきた日々を無視することは出来ない。
考えたあげく、いくつかの罪を思いつく。
合点がゆき、贖罪の人生を生きようとする。
自己犠牲という素晴らしい生き方を手に入れる。
役に立たない自分の命や人生をなんらかの形で有意義に使おうとするのだ。
あなたの責任ではない、や、あなたが健康でないと誰も幸せにできない、のような言葉はこの際、心に響かない。
自己犠牲は生きる理由だからだ。
自分が幸せになってしまっては、もう生きる理由がない。
本当にぎりぎりで生きて、思考する余裕のない時はこんなことは考えない。
思考を巡らす余裕がないほどギリギリだからである。
ギリギリの状態はしんどいが気持ちがよい。
余計なことを考えなくていいからだ。
けれど、思考が戻ってきた時に辛くなる。

自分よりも、大事。
自分以外は、せめて幸せに。
自分はどうなってもいいから、、

あえて、自分をつける。
自分よりも、自分以外は。
苦しむのは自分だけでいいから、

生きる理由を奪わないで欲しいという要求だ。
自分の存在価値を奪わないでくれと。 
最後のあがき、最後に残された存在価値のようなもの。
今までは単に自己犠牲的だなと思うだけだったけれど、今ではそこに情熱を感じる。
愛を感じる。
自己犠牲的態度には色々な種類があるけれど、時々情熱を感じる瞬間がある。
その時に思い出す。
まるで自分の感情を見ているようだから。
誰が言っただろう。
我慢する時は自分が納得してそれをしなければいけない。
捧げる時、身を粉にする時は自分が納得してそれをしなければいけない。
それをしようと積極的な人格は、しかし仕事が出来ない。

職場で働くうちに形成されてしまった人格がある。
その人格は最近、パフォーマンスが良くない。
いまいち集中力に欠け、仕事をしたくない時期だ。
パソコンを開くと息が詰まる。
給料低いとか出社したくないとかみんなが思う不満を思っている。
電車から降り、オフィスに向かい出したあたりから怪しい。
着いたらすぐにニコチンを摂取しないと正気を保ってられない。
本当にうんざりする。
永遠に続くうんざり感のような気がしている。
正気でいると病みそうだから、テンションを下げる。
むしろ鬱が必要なのだ。
これから死にに行く、のような気持ちだ。
後輩が入り負担が増えた。後輩と同じ給料で働いている。
へにゃへにゃとした態度をとる人だ。
まだよくわかっていないらしい。
真剣に仕事させようとするとイライラしてくる。

ここまで書いて、今日はもう終わりだ。
もう人格が違う

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