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覚書(2024/04/21)

前を向く気にならない時期だ。
なぜかはわからない。
過去が大事なのだろうか。
最近少しずつ、吐き出して整理しようとしているところだ。
これまでは切り離して思い出さないようにしていた。
とくに大きな不幸があったとかいうわけではないが、必要のないもののような気がしていた。
これからは、思い出す必要がないようにしたいのだ。
切り離す必要はない。
過去は過去。今は今。未来は未来。
過去は喋るだろうか。過去は何を語るだろうか。
私にとって過去とは何なのだろうか。
私にも吐き出す場所が必要なのだろう。
頭脳労働を始めてから2年が経った。思考がスッキリしなくなりつつある。
何も考えずにいた時は妙にラクだったのを思い出した。
いついかなる時も何も考えないで生きていられるわけではない。
なぜ時々、まとまりがなくなるのか。
なぜこんなにも苦しくなる瞬間があるのか。

幼少期の記憶はない。胎内にいた時のことを覚えている人もいるようだ。
私はそうではない。
保育園に通っていたのを覚えている。先生方は怖かった。たぶん、怖かったのだ。
押入れに閉じ込められたりしたような気がしなくもない。もしかしたら勘違いかもしれない。
他人のバナナを盗んで食べたのを覚えている。盗んだ、という意識はなかった。そこにあったからとったのだ。
幼稚園の先生が牛乳を飲んでむせていた。背中をポンポンすると、それは気管に入った時は止めた方がいいと言われた。だから止めた。
父親が自転車の乗り方を教えてくれた。乱暴に自転車を押すから、強く股間にあたった。股間から血が出た。母親が怒っていた。
父親に唾を吐きかけたことがある。怒られた。なぜ吐いたのかと聞かれた。
面白そうだと思ったのだ。何かの反応を期待した。だからやったのだ。
中学生が遊びにきてくれて、一緒に遊具で遊んだ。楽しかった。
図書館があった。絵本を読むのが好きだった。
父親の帰りはいつも遅かった。
田舎のあそこでは、幼稚園は一つ、小学校も一つ、中学校も一つ。
幼稚園で演劇をした。楽しかった。
太陽の役。明るい衣装だった。
ワンピースが好きだった。いつからか、嫌いになった。
母親はよく寝かすときにおなかをポンポンと叩く。それが母親の私の寝かせ方だった。
小学校へ上がるまえに違う町へ引っ越した。ピアノが搬送されるときに、捨てられるのだと思って泣いた。
あのころ妹は泣き虫だった。
祖母が遊びに来て、一緒に虫を採って遊んだ。
引っ越すので文集のようなものをもらった。それが一番嬉しかった。
父親に連れられて海へ行った。おしっこをもらした。なぜ言わなかったのかと言われた。
小学校。
うさぎが好きだった。毎日餌をやりに行っていた。学校で育てたキュウリを食べたのが美味しかった。植物を育てるのが好きだった。観察日記をつけていた。
メダカやザリガニを飼っていた。すぐに死んでしまう。
小学校の先生はパペットマペットを使っていた。面白い人だった。
怖い先生もいた。授業中にメモ帳を使って会話をしていた友達がおこられていた。
近所にいた○○ちゃんはかわいくて部屋も綺麗で家も立派に見えて憧れだった。紫のランドセルの子がいた。羨ましかった。
おじゃまじょドレミが流行っていた。いつもドレミちゃん役をやる子がいた。かわいかった。おままごとをよくしていた。なぜ女子はおままごとが好きなのか。
男の子に髪をひっぱられたことがある。彼らとよく追いかけっこをして遊んでいた。自転車を乗り回して遊んでいた。
夕日が綺麗な場所だった。
近所に手芸が上手なママがいた。よく作ったものをくれた。母親はそれを見て嫌そうな顔をしていた。あとから、近所にママ友からいじめられていたと言った。
私は部屋を片付けられない子だった。父親がビニール袋に私の私物をいれていった。
祖母がよくおもちゃをくれた。母親は嫌そうな顔をしていた。
母親はよくお皿を割った。そのたびにすごく傷ついたような顔をしていた。
ピアノの先生は茶髪だった。コンクールに出たりしていた。
練習はあまりしなかった。一度だけ怒られた。ジュースをよく奢ってくれた。
担任の先生が厳しかった時代。教室がうるさいと、私は「静かにして」と叫ぶような子だった。何かが脅迫的だった。
部活に入り、運動量が増えて痩せたら母親が喜んでいた。
部活動で初めて遠征をした。外の世界は魅力的だった。ここじゃないどこかへ行きたがっていた記憶がある。
小さいころに一人でふらっと町を散歩し、怒られた。
私からしたらちょっとした旅をしたつもりだった。
なぜ怒られたのかわからなかった。父親は、自分も小さい頃に事件現場を見にひとりでふらっと出かけたことがあると言った。放浪癖は遺伝だと言った。
父親は政治活動をしていた、政治家になる方ではない。支援者だ。熱心だった。よく説教を聞かされた。当然、与党の悪口だ。父親は義理の親の支持政党も変えさせるような人だ。
小学四年生。友達と仲良くする方法を学んだ時期だった。
たくさん遊んだ。一緒に出し物をやったりした。よく笑うようになった。
クラスで一番最初くらいに眼鏡をかけた。担任の先生が気づかってそのことをみんなの前で説明してくれたのだった。
母親は独り言が多かった。子どもが大きくなるまでは仕事をしないと言っていた。小学校を卒業したあたりからだろうか。働き始めた。
部活動が楽しかった。みんなで舞台に出たり、演奏をして楽しかった。
部活があったから、色々な場所に行けた。
家族旅行を全くしなかったわけではない。
二度くらい、地元の近くのリゾートに行った。
プールが楽しかった。料理がリッチな味だった。リッチな味とはこういうものかと思った。
仲良くなって引っ越していった友達がいた。彼女は泣いた。なぜ泣かないのかと、私に聞いた。涙は出なかった。
運動会が嫌いだった。体育が嫌いだった。みんなで何かをするのが嫌いだったけれど、部活動だけは別だった。
先輩方が好きなメンバーだった。
始めて漫画を買ったのはいつだったか。CLAMPのツバサだった。
母方の祖父は言葉が少ない。一緒に巣箱を作ろうとしてくれたことがある。その時私は友達と遊びに行った。帰ってきたら、出来ていた。
母親が残念そうにしていた。
母方の祖母は料理が上手だ。母親はいつも、祖母のように作りたいが出来ないと言っていた。
祖父母の家にいくとアイスをくれた。
父方の祖父母は、正確にいうと祖母とその愛人だった。愛人の方は祖父だと思っていた。
彼らの家は物がたくさん積み重なっていた。トイレットペーパーや食べ物がところ狭しと詰め込まれており、賞味期限が間に合っているのか怪しかった。
彼らが引っ越した時、母親は嫌そうな顔をした。毎月お金をいれているのに、引っ越しに使うなんて、と。
いつからか、その仕送りを止めたそうだ。私のためだ。
それを言ってくれたら、私は自分の望みを押し通しただろうか。きっと諦めたはずだ。それか、自分でやるからいいと拒絶したか。
自分のために誰かが不幸になって欲しくない、とは誰の言葉だったか。
そのような気分になったのだと思う。
祖母はいつも笑っている。祖父とはよく喧嘩している。祖母は祖父にぞっこんだ。祖母のあの明るさは、何かを信仰して、信じて一切疑わない人間のそれで。
気に入ったセリフ一覧を作るのが好きだった。
言葉への感度が高いタイプだった。
部活動を通して情熱や勝ちたいという気持ちを知った。自分を表現するということを知った。感情を発散するということを知った。
何がどうなってもいいから、これに捧げたい、燃え尽くしたいという感情を知った。何かに懸けるということ。その気持ちよさ。
仕事をしながら部活動の指導に来てくれる外部の先生方。
覚えているのは怒られたこと。先生が怒っている姿を見て、人の感情というものを学んだのだ、きっと。
すごく熱心に教えてくれた人がいた。
だからとても上達した。私だけがとびぬけた。快感だった。
父親が褒めたのはあの時だけ。
中学校は上下関係が厳しかった。先生も厳しかった。
ずっと怒られていた。怒られていないと生きてる気がしなかった。
怒りというもの、厳しさというものを与えられて初めて、生きている気がした。
夜遅くまで練習をした。何かに打ち込むのは楽しかった。
命を燃やしている気がした。それがきもち良かった。
同年代への思いやりがない子だった。思い遣りのある言葉をあんまりかけられなかった。自分だけ優遇されることで安心した。
緊張しいだった。
一緒に小説を書いた友達がいた。一緒にアニメの話をする友達がいた。
一緒に登下校する友達がいた。
引っ越した子や育休中の先生によく手紙を書く子だった。
いじめられるタイプではなかったが、グループに入れる子でもなかった。
友達を優先しようとした時期があった。授業中は友達としゃべり、怒られたりした。その時期、部活も楽しくて成績が落ちて親に怒られた。
だから友情を諦めた。両立は出来なかった。
ピアノの先生が丁寧に教えてくれた。だからピアノも上達した。
小学六年生の時の担任の先生に、なぜだか突然「泣きたいなら泣けばいいじゃん」と言われたことがあった。なぜだか泣きたくなった。
思考は父親の政治の説教に毒されていた。
テレビはあまり見なかった。ゲームは買ってもらえなかった。
母親が用意する食事のメニューはいつも同じだった。
中学生。
先生からの評価を得ること、親からの承認を得ること。
結果を出すこと。成果を出すこと。
小説をたくさん読んだ。音楽をたくさん聴いた。
熱心にやった。
目立とうとした。評価を得るために目立とうとした。成果を手に入れるためにそれをしようとした。
あんたは自分のことしか考えていないと親に言われたことがある。

ここらへんでブレーキがかかる。
今の気持ちは。
しんどい感じ。もう終わりにしたい。もう辞めたい。何もかもがどうでもいいかんじ。
全てが無意味でなんの感情も湧いてこない。
強制的に体や脳みそを動かすのも限界だ。
自分が自分を動かせない。
これをやって何がどうなるのだろうと思う。
恐怖や不安さえ消えてしまった。
力が入らない。
切迫感や焦りが消えてしまった。
冬が過ぎたあとの春もまるで地獄。
もう何もしたくない。
何も出来ない。
全てが終わった気分。
生かされたのだから、という気持ちで繋いできた。
罪悪感と。
何も考えず、体がただ呼吸をしているという状態に助けられて繋いできた。
何かが切れたようだ。
動かす原動力がない。
他人の感情を借りて奮い立たすことももう出来ない。
これがいつまで続くのか。先は果てしない。
苦悩は贅沢品だと思う。
自分からその贅沢品が失われた時
他人の苦悩で代用する。
消費が終わればまた虚無がやってくる。
息が詰まる。ひたすら息が詰まる。
自分の日常のことを考えるとひたすら息がつまる。
もう何も耳に入れたくないし、聞きたくない。
暗く静かな場所で深く深く沈んでいたい。
やる気を出そうとすると体が痛む。
あちこち硬くなる。
結局何もリターンがないと気がついたとき。
結局自分には何もなかったと気がついたとき。
空っぽにしてただ手や頭を動かすのが限界に近づいたとき。
もはや涙さえも枯れ果てたとき。
湧き上がる感情もなくなったとき。
全てがゼロになる感覚。
今までの全てがゼロになる。

熱心に教えてくれたピアノの先生。
書き込みだらけの楽譜。
夜まで鳴り響く音。
高かった消音器。
熱心に書いたメモ。奏法研究。
あの頃熱心に聞いていた音楽たち。
全てをあそこに置いてきた。
同級生たちの様子を見て先生への態度を変えた。
私の反発はパフォーマンス。 
全てがパフォーマンス。
本音は破滅へと繋がっている。
孤独を選んだが、そこには違う世界があった。
きっと自分の人生を望んでいたのだろう。
それは全て幻だった。
自転車で坂を駆け上がった。頬にあたる風だけが心地よかった。
私が親のファンタジーを壊したのだろう。
夢やファンタジーを壊したことの責任は?
望みを叶えてやればよかったのではないか。
それをしていたら窒息していたが。
自分の望みを叶えるための道は破滅への道。
寒い夜。
夜行バス。
小南泰葉。
コンビニ。
インスタントスープ。
白い公園。
温かいコンサートホール。
好きな世界に委ねることが出来た時期。
確かに幸せだった。
頑なな態度をとって困らせた。
あのときの自分は全て音楽の中に置いてきた。
新しいコア。
新しいコアはどこにいるのだろうか。
真の孤独。
気が抜けたような感覚。
図書館。
池袋。
先生方と仲間。
やりたいことをやらせてもらっている。 
その状況が辛かった。
今も檻があったが、今は違う檻がある。
涙が止まらないのはいつも演じてあげたのはいつもこっちだったのに被害者面をされた時。
被害者になってはいけなかった。
いつも私のせいだった。
犠牲にさせたのは私だ。 
存在がそうさせるのだ。
世の中にはそういう人間がいる。
たまたまあの場所では自分がそうだったということ。
放任だと思っていたら、実は束縛だった。
私はあの場所から出たかったのに。 
行く場所はどこでも良かった。
夢を見られる場所なら。
暖かさはスパイスだった。
常に本質は逃げられない、という事実だけ。
自由な場所で虚構に逃げ込んだ。
日常生活とは檻のようだ。
毎日の生活とは鎖のようだ。
暮らしとはただの束縛。
人間じゃないものになりたかったのだ。
自分ではない、というのが大事だった。
自分の人生は耐え難い。
私の毎日は耐え難い。
だんだんと辛くなり、身体症状が出始めたあたりから幸せ幸せ連呼するようになった。
自分という存在に耐えられない、そんな言葉すら贅沢で。
重い世界の中で、人間じゃないものになっていくのを感じた。
もう外に出ることは出来ない。
動くことも働くことも。
閉じこもることに決めたのだ。
しかし長くそうすることは出来なくなった。
もう終わりにしようと思って最後に沖縄に行った。
綺麗だったから、脳みそがスッキリして、なんとなく死ななかった。
きちんと演じ切れない自分には価値がない。
檻が生み出した自意識が苦しかった。
要望に応え切ることは出来なかった。
私は途中でそれまで続けていたパフォーマンスを放棄したのだ。
そして自意識にも気がついた。
過剰な自意識に気がついたのだ。
それまでやってきた全てのパフォーマンスを否定した。
色々なものを捨てた。
物理的にも精神的にも。
それでまっさらになると勘違いをした。
気分はすっきりしていた。
新しい型が欲しかった。新しい自分のイメージ。
それまで積み重ねてきた人格で居続けることに限界を感じていた。
自分を放棄しているとき、人格から解放される。
パフォーマンスマンスする必要はない。
キャラが入ってしまうと辛くなる。
続けることは出来ない。
たった10日、働くことが出来たバイトのあと涙が止まらなかったのは。
友人の結婚式で喜びだけではない涙がとまらなかったのは。
それまで全てを委ねた世界から離れるのは怖かった。
あそこには自分の全てがあった。
私の妄想で作り上げた世界なのだから当然だ。
まるで世界とのさよならだった。
自分を一度失ったような気分だった。
喪失の痛みをひきづった。
朝から晩まで楽な肉体労働をして日々を繋いだ。
カウンセラーにも嘘をついた。
あんなに泣いたのに嘘をついた。
食生活がよくないとか、生活が健康ではないとか。
結局はお金がなかったからだ。
自分でいることが辛かった。
厳密に言うと、それまでのキャラには限界がきていたのだろう。
あのころの人格はもういない。
あのころを捧げた音楽を聴いても、作品を見ても、きっと何も思わないだろうから。
昇華されたのだろう。
病棟で働いた。
患者たちは私より悲惨だった。
私の苦しみは自分のことしか考えていない人間が自滅したに過ぎなかったのだと思った。
この人たちはもう記憶もないししゃべれないし、今まで出来てたことすら出来ない。
失っていくだけ。
自分がしていることもされていることもわからず。
わずかな残った能力で笑ったりうんこ漏らしたり暴れたり過去の特定記憶を繰り返したり。
優しく接した。
私の心は完全に、一緒に働く人たちではなく患者の側にあった。共感した。自己投影した。
私は彼らと同じだと思った。
生まれてはじめて祖母と祖父を得た気分だった。
楽しかった。人と接するのが。
一緒に死のうと思った。
死にたいというから死なせてやるのがいいと思った。そして私も一緒に死のうと思った。
空を見上げながら死んでいった人がいた。
あっけなく死んでいった人がいた。
長く積み重ねた人生の最後がこれなら、もう怖がるものは何もないと思った。
仕事は覚えれば覚えるほど大変になる。
私の視点はいつのまにか世話をする側になっていた。
こんな場所で若い時期を消費するのはもったいないと思った。
だから辞めた。
自分の居場所じゃないと思ってしまった。
患者が一人死ぬたびに私は楽になり、健康になった。だから辞めた。
私は患者ではなくなっていた。
仕事を覚えれば覚えるほど、患者は患者であって私は患者ではないのだとわかるほど
仕事はつらくなり
ドクターはしんどい中で働く私を輝いていると言った。
理解した。
他人から見た輝きとは、自我を捨てた献身。

引きこもっていた時、ずっと何かを見ていた。
あれらの中に人生を置いてきた。
自分の人生とはなんだかわからなかった。
消費するだけの毎日が自分を生きてるとは思わなかった。
けれど自分を生きるのは嫌だった。
耐え難かった。
色々なことが耐え難かった。
この体から抜け出したい。何度そう思ったことか。
あの古びた一軒家。
母親と娘の二人。
失敗ばかりするので怒られた。
私には最後まで娘の意思を読み取れなかった。
優しさという感情を知った。
自分はどうなってもいい。全てをあげるから、この人だけは幸せに。
愛ではなかった。そこに意味を見出したかったのだ。自分の生きている意味。
だんだんとそんな感覚すら自意識過剰に思えて、空っぽのまま働くようになった。
そうすると、なんだか吸い取られているような気分になった。
空っぽの、虚無に吸い込まれて死にそうだった。
あなたが幸せになればなるほど、私は不幸になる。
そんな気分だった。
辞めた日は笑いが止まらなかった
笑いが出た。なぜかはわからない。
あのマンションは富士山が見えた。
冬は空気が澄んで美しかった。
あの川沿い。広い道路。工場。
喪失を引きずり、そして癒され、回復するまでをあそこで経験した。
生かされたのだと思った。
天だけが私を見てくれていると思っていた。
神ですらなかった。ただの天だった。
感情をリフレインする。何度も。
トラウマを染みつけるように。
後悔を染みつけるように。
罪悪感を忘れないように。

あのマンションから引っ越した。
必要のない物は全て売り払った。
とてもすっきりした。

転職してたころから転職したあとはしばらく体調が悪かった。
とにかく体調が悪かったが、仕事に関連しそうな本などを読んでいた。
違う未来を手に入れたかった。
これまでとは違うものを手に入れたかった。
それだけだ。
頭脳労働をできる状態になったと思ったからだ。
良い感じのことを言う会社だ。
どこもそう。希望を裏切るようなことをするのだなと思ったりもしたものだ。
なぜか心に引っ掛かる人だった。
普通の人間に耐性が出来ていなかったのもある。
よくご飯に連れて行ってくれたな、そういえば、とかものすごく詳しい男の子がいるな、とか。

この冬に決壊したのは
空っぽなままやってきて
ふと大事なものを置いてけぼりにしているような気がして。
何かを忘れている気がした。
何を忘れていたのかを考えて。
罪悪感じゃないか。自分を忘れていたんじゃないか、とそんな気分になって。
土日になると決まって体調が悪く自分を失ってベッドの上で横になっている。
緊張感をコントロール出来ず、体のこわばりをコントロール出来ず。
自分が置き去りにしてきた感情を探し始めた。

罪を拒んでいたがある瞬間に確実にこれは私が悪かったのだと思った。私が悪かったと、思ったのだ。
それから贖罪だと思って生き続けてきたが、生活には終わりがない。
毎日が地獄であること。
それくらいでは何も償えない。
その事実。
結局、一番甘かったのは私なのかもしれない。
もしかしたら本当にわかっていなかったのは私かもしれない。
本当は楽になりたい。
幸せになりたいのとは違う。
楽になりたい。
楽とはなんだろう。
悲惨でも残酷でもいい。楽がいい。
楽とは何だろうか。
暗くても陰湿でもいい。
幸福の中で苦しみを育てる人がいる。
幸福は怖いこと。

毎日を過ごすうちに緊張が体にたまり、何かをしようとすると体に力がはいる。
かちこちになる。
何かをするためには緊張を必要とする体になってしまった。
これでは体が持たない。
痛みが走る。

集中力の欠如。
もたない感じ。
何もリターンがないのになぜ続けるのだろうという疑問。
これまでどんな感情で耐えてきただろうか。
多少は持ち合わせのあるドM精神を発揮したいとか、自分は奴隷になれる人間であるはずだとか、
いかに身を粉にして働きかつ何もいいことがないという状況の中で生き続けていくのかとか。
でももはやそれすらもどうでも良くなって。
結局自分に残されているのは何なのだろうなという感じ。
何もないのになぜやるのだろう。
虚無に対して挑んでいるのだと思う。

苦しみの果てにあるのがただの虚無だった時。
そこから立ち直る方法がわからない。

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