イカれた情緒はおさまりつつある(2024/5/12)
ふと思い出した。
子どものころを。
子どもを見かけ、自分の子ども時代はどんなだったかと気になった。
生きていてよいのかわからない子どもだったと思う。
親に養ってもらわないと生きていけない、という状況は檻に囚われているようなものだ。
親の一言や気分によって自分の人生を決められてしまう。
与えられたたくさんのもの。
それらは決して無条件でもなく無償でもないことを知っていた。
可愛がられているうちは、安心できた。
ただただ安心なだけだった。
生きるに値しない存在のように感じていた。
だからせめて自立を手に入れようとした。
最低限の自由を。
家庭という檻の中で苦しむのではなく
社会の中で苦しみたいと。
そのような感覚だった。
家庭も社会の一部であるのに、あの頃の自分にとって、家と社会の間には高い壁があった。
何かに夢中になっている時、自分の存在意義や生きるべきか死ぬべきかなんで悩んだりしない。
そこにやるべきことがあるからだ。
自分の手で自分の生活を手に入れたと感じた時
私は楽しかった
何があっても楽しかった
周りがどうなっていても楽しかった
そしてそれを申し訳なく思った
きっと自分だけがこんなにも楽しいと思った
こんなことを考えながら午前中を過ごし、
下腹部の腫れと痛みをやり過ごして午後になった。
気分がおさまり、さっきまでの自分は相当、頭がいかれていたのではないかと我にかえる。
最近のホルモンバランスの乱れと低気圧、天候の変動は耐え難い。
体調不良の極み。
ここ数日のインプット。
過去に囚われているホルモンバランスの状態が過ぎ去ってくれたことを祈る。
明日からまた数日、社畜をやる。
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