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嘘も方便(1日1雑学)

仏が衆生済度にあたっては、
方便(手段)として嘘をつくこともある、
ということから、大きな善行の前では、
偽りも認められるということを示した
ことわざ、嘘も方便ですが、
対してこのようなことわざもあります。

嘘つきは泥棒の始まり。

これは平気で嘘をつけるような人は
盗みも悪いと思わなくなるという例え。
転じて、嘘をつくのはよくないということ。
ですね。

辞めてほしいですよね。

なぜこのような対になるものを
生み出してくれちゃってるんでしょうか。

過去に戻って弾劾裁判を行えるなら、
この2つを言い出したやつらを
ガン詰めしたいところです。

まぁなにが言いたいかというと、
なぜ同じ嘘というトピックに対して、
ことわざという格式高い言葉で
対立構造作るなって話です。

こういうのはいくつかあります。

例えば、
二度あることは三度ある、
三度目の正直、とかですよね。

いや、どっちなん。

というか、二度あることは三度あるの
三度目で正直やったとしても、
二度あることは三度あるとも言えますし
三度目の正直でもありますよね。

善は急げ、急がば回れもそうです。

善行と思うことは急いででもやれって意味と、
物事を急ぐからと慣れない近道をすると
かえって遠回りで時間がかかり遠くなるという
意味ですが、この2つは
同時に成り立たないので破綻してますよね。

結局は己が信じたい方を選べってこと
なんだと思います。

ちなみに、氏より育ちと血は水よりも濃し、
なら私は後者派ですね。

氏より育ちは、
どの家に生まれようと例え血が繋がらずとも
その後のしつけや生活によって
大きく運命が変わるし、育ちによる繋がりが
その後に影響を与えるという意味で、
血は水よりも濃しは、
同じ血を分けた血縁は、他人に対して
強い絆で結ばれており、いざという時に
頼りになるという意味です。

そらそうですよね。

私は、誤解を恐れずに言うと
他人の子は全く可愛いと思いません。

誤解を恐れずに言い過ぎましたね。

もちろん、他人の子とはいえ可愛いですし、
子供は大好きですが、それはただ街中で
会ったりとか、エレベーターでばったり目が
あったりした時にのみ限られます。

育てるとなったら別です。

自分の血が入ってない子供なんて、
自分の血が入った子供を育て切って
独り立ちさせた後のボランティアとかで
里親になるとかでなければ無理ですね。

自分が親として育てる以上、
子供とは血縁関係が無いと全く愛情を
注げないと思います。

なので、奥さんの連れ子を育てている
地元の友人とか見るとシンプルに
尊敬してしまいますね。

私は無理です。

明確に私の子との間にどうしても
差を感じると思います。

ちなみに、高校時代に、
母親とあまりにも似ていなく、
橋の下捨てられ丸と言うあだ名で
呼ばれていた時期がありました。

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