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大好きな人を亡くすということ

家族が居なくなる時それが伴侶なら

忘れもしない、
あの日、2月の末日から3/1に変わる
 0時をまたいだばかり
O 病院から着信あり。

旦那さんが暴れているので拘束します
私は眠かったのもあり、半ば強制的に
言われたので、
はい
としか言えなかった

それから1時間も経たない内に又着信あり
旦那さんの心臓が停止しました。
蘇生措置を行いましたが、
うちでは診れないので
搬送先が見つかり次第連絡します。


待てど暮せど連絡は無い
私からO病院に電話したら
「T大学付属病院に搬送します!」
「T大学って何処ですか?」
「T大学って言ったら、T大学だよ!」
と、向こうもパニックなようでしたが
私の方も、パニックで、
取り敢えず 私の父親と、近所の友人に
電話した(後にとある宗教に勧誘され喧嘩別れ)

友人は、一緒にタクシーを拾いに行ってくれ
中々捕まらず、当時のガラケーで
調べたタクシー会社は、電話しても
出払ってると、呼ぶこともできない。

国道まで出て、タクシー捕まえて
T大学病院に行くも、
救急車と、同じ頃合いに、タクシーも
到着した。


ERの待合室で散々待った。
O病院の医師と看護師が付いてきたが
多忙な為と帰って行った。
友人も、始発と同時に帰って行った
そこまでしてくれたのは、未だに感謝している。
 大学病院の医師が奥から来てくださり
 3つの方向性を説明した

1.このまま亡くなる
2.意識のないまましばらく治療する
3.回復してリハビリ病院に行く

と、
それともしも、亡くなったら
警察が、入りますと念を押した。o病院を医療過誤で疑っているらしい。

父が着いた頃には説明は私一人で聞いた後だった。

生きてて欲しいと願って、正直3日は、
行かない日が、あったが 1日2回の
ERの短い面会時間に通った。

耳は最後まで聴こえると聞いて沢山話しかけて
あの人の、作詞作曲した曲聞かせたり
触っていい、管だらけだったけど、
管の無い処は、触って、
それだけでも良かった。

だけど、欲張りだから反応したりすると
奇跡を信じてしまい
そうすると、医師から 現実を聞かされ
参ってしまう。
 2回、人生の、決断に迫られた。
一度目は人口呼吸器を入れるか入れないか

人口呼吸器の話は、直前に待合室でたまたま
その、医師と、大学病院から転院した
患者のご家族らしき人が
どうしても、ここの大学病院に
戻したい、人口呼吸器を入れたのを外したい
と、言う話を聞いてしまい、大体を
理解していた。

その逸話を話すと医師は 
「そうです、あの時話をしていたのは、私です」と答え

私は、この大学病院の担当チームが
優秀で、お医者様、看護師さん、皆様を、信頼していた。
(突然、お医者様って、言い方になりましたが本来なら、そうやって、呼ばねばならない、大変お世話になったのに、失礼致します)
口呼吸器は一度入れると外せない事を細かく
説明してくれた。
私は、その時はそんなの入れたら
意識が回復した時に困るなんて考えてた。
ただ、それは、私の願望でしかなく

次の、決断は
延命措置をするかどうかだった。


いつも、大学病院の医師は真剣に向き合ってくださった。
私は、トンチンカンな哲学的な質問をして

人の生き死にを決めるなんて
神の領域では?

とか、そんな事ばかり言っていたのに、お医者様は、真剣に答えてくださった。

医学は、ある意味、神に逆らってるのかも知れません。                  

結果的に、延命はしないとサインしたが
それが正しかったかは未だに答えが出ていない。
春の桜が満開の頃、私は生まれた。
最近は開花が早くなったが、

その年の、誕生日は春の嵐だった。
面会に行けず
心残りだった。
次の日面会に行き、ごめんね昨日は、と
言って帰って来たものの何か引っかかる。
部屋の掃除を私は始めて、掃除機をかけた
途端、携帯が鳴る。

T大学病院

ご主人が危篤です。

私は、何社も、タクシー会社を登録していたので
タクシーで、すぐに向かった私が着いたら
愛しい人はもう眠りについていた。
私を待ってたかのように、
始めてみる、お医者様、
担当医療チームのトップのお医者様か
よくわからないけど、
私が到着に合わせるように

4月4日午後3時30分御臨終です。

終わったな、
と、思った。
私の全て。
愛した全て、夫であり、1番の親友で、理解者。
優しくて、みんなに優しくて、
それをいつもヤキモチ焼いて
愛嬌があって、生きてるのが楽しそうで。

でも、悩んでたんだよね、
好かれたくて、愛嬌良くしてたんだよね
寂しがり屋さんだったよね、
だからって、私を、一人にするのは
残酷だよ

   そしたら、昔読んだ漫画の、
   ラストのセリフが浮かんで来て

それでも、世界は美しい 


だから、今も生きているのかな。
世界は本当美しいのかな?

  享年49歳でした。

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