The Heart Part 5について

 
 アメリカのラッパーであるKendrick Lamarの楽曲”The Heart Part 5”について。 Kendrick Lamarはグラミー賞や、優れたジャーナリズムを讃えるピューリッツァー賞の受賞歴を持ち、現在世界中の若者から大きな支持を得ているアーティストだ。ヒップホップというカルチャー、音楽形式独自の物語り方、言葉遣いによって、Kendrickが描き出す社会や人々の姿に、世界中から注目が集まっている。今回はKendrickが昨年発表したアルバムの最後に収録される曲を考察する。以降本楽曲作品を分析するため、楽曲の歌詞を私自身で和訳したものの一部を、必要に応じて鉤括弧を用いて引用したい。

「少し歳をとってから 人生は物の見方だと気がついた 俺は君たちとは異なる見方を持っている」
「俺は苦痛の世代の人間で 殺人なんてよくあることだった」

Kendrickは何かを示唆して説教をするような語り口で曲をスタートさせ、自身の育った環境やコミュニティについて前のめりなリズム感でラップを始める。

「歴史は繰り返され 修正される そして同じ肌を持つやつを見つけてやってしまう」
「けれどそれがカルチャーだ ボトルを空けて シラフになれば苦痛と向き合わなければならない」
「明日になれば残ったものは忘れられてしまう 俺たちはまた始める それが問題なんだ」

Kendrickは、アメリカにおいてアフリカ系アメリカ人同士が殺害を繰り返し、人々が課題や苦痛と向き合わず現実逃避している現状に言及する。さらに、そのような現状を「カルチャー」として語ってしまう人々を皮肉る。
この楽曲は、コミュニティの悲惨な現状、または繰り返される日常が「カルチャー」として記号化されてしまうことに対して、異を唱えていると私は考える。冒頭に述べられたKendrickの持つ「異なる見方」とはこのことではないか。
 ヒップホップの楽曲では、暴力やドラッグ、セックスにまつわる荒廃した日常が色濃く描かれる。それらの話題は、ラッパーが歌詞を紡ぎ出す際の共有された主題のようなものであり、ヒップホップのカルチャーでは定まった形式として形成されてきた。この形式によって日常を多彩に表現する素晴らしい詩が生み出され、さらにコミュニティが抱える現状や社会問題への関心が作品の描写を通して集まっている。
 ところが、この文化は一方でコミュニティ内に根深い問題を植え付ける恐れがあり、これがKendrickの指摘する点である。社会の不条理によって生じるコミュニティの悲惨な生活は、ヒップホップが世界の音楽市場で消費されることを通して、金や宝石といった物質的なもの、あるいはセックスやドラッグのような刹那的な快楽などの記号へと変えられてしまう。このような記号化によって、アフリカ系アメリカ人の主体性、個別性が記号に飲み込まれ、損なわれてしまう。また、人々が記号を介して負のアイデンティティを形成し、コミュニティの抱える問題はさらに深く根付いていくことが考えられる。Kendrickは、アフリカ系アメリカ人が現在抱えている現状を以上のように考え、作品を通して問題提起を行なっていると、私は考える。

「敵と和解した 君とはまた会えるはずだ 不平等こそが君の平等 そういう土地で」
「傷つけられた人がさらに人を傷つける そういう土地だ」
「それをカルチャーと呼ぶのはクソだ」

 「人間は皆平等である」を掲げるアメリカという国 (土地)において、Kendrickは「平等」の意味を問い直し、そこにあるコミュニティの複雑な日常を色濃く描き出す。日常の記号化によって問題がさらに複雑化され、負の連鎖が生まれることを指摘し、そのプロセスを「カルチャー」として肯定することに対して憤りを表す。
 また、本楽曲は、Marvin Gayeの”I Want You”という楽曲のメロディ、歌詞をサンプルとして参照している。ラブソングである原曲の「君にも僕を欲して欲しい」という歌詞は、Kendrickの楽曲の上では異なるメッセージを帯びる。Kendrickは、先に説明した負の連鎖を嘆き、自分のメッセージを聞いて現状を抜け出す努力をして欲しいと、コミュニティに対して訴えかけているのだ。
 本楽曲の最後の部分では、2019年に殺害されたNippsey Hussleというロサンゼルス出身のラッパーの視点から、Kendrickが擬似的な代弁としてのラップをする。公開された本楽曲のミュージックビデオでは、ディープフェイクの技術を適用してNipseyの顔をKendrickの顔面に当てはめる演出をしている。Nipsey Hussleは生前、Kendrickと同様コミュニティを鼓舞する作品を制作して大きな評価を受けた人物だ。また、コミュニティへ金銭的な支援を行うだけでなく、独自のビジネスモデルを確立し、その定着の手助けなどを行なっていた。コミュニティに身を捧げて活動したNipseyが、結局荒廃した日常の中で殺されてしまったことは、まさにKendrickが本楽曲で指摘する点を象徴しているだろう。

「俺は自分の全ての可能性を試せなかったことに憤りを覚えるべきか」
「俺は自分が貢献してきたことを後悔するべきなのか」
「それが物事のあるべき様だ 必然だったんだ」
「兄弟たちよ 子供たちよ 俺は天国にいるよ」
「俺はお前を許すよ お前の魂を疑ってはいるけれど」
「お前がトリガーを引いた時 瞳の中にお前の苦悩を見たから」

 Kendrickは、Nipseyの視点に立って、残された人々を安心させる言葉を投げかけ、Nipseyを銃殺した相手を赦す。Kendrickが本楽曲全体を通して主張する、コミュニティが抱える複雑性は、Nipseyの言葉として語られる中で、負の連鎖を断ち切ろうとするポジティブな意志へと変わる。
 悲惨な事件の犠牲者であるNipseyの存在を、Kendrickが自分のメッセージを発信するために楽曲の中で利用する様は、惨劇の当事者や遺族への配慮や表現の倫理の観点から疑問視されるかもしれない。しかし、アフリカ系アメリカ人コミュニティの複雑な日常を、他の誰よりも力強く、賢明に表現するKendrick Lamarの言葉であるからこそ、私たちはその言葉を彼個人のメッセージとは捉えず、数々の犠牲者の上に成り立つ「カルチャー」が語るものとして受け取ることができるのではないか。

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