見出し画像

重箱の隅をつつく-8           コブラ・サーティーン

 最近、SNSで知人が「コブラの巣」と題して、マニアが結構な台数のFord車(本物)の写真を載せていた。そこに「いいね」を付けて自分の収集したCobraを提示しようとして全体の写真が無いのに気付き、それならと全部で13台あるモデルを供覧する。

全部で13台の1/43モデルカー、この写真に沿って語る

☆ AC-Cobra
 元々は英国で製造されていたAC AceにCarroll ShelbyがFordエンジンを載せようと企てたことが切掛。ライバルのGMがChevrolet Corvetteで当時のアメリカのレース界を圧倒したのに対抗したもの。スプリングをリーフからコイルの独立懸架、ラックアンドピニオンのステアリング、シャーシ剛性を強め、ラジエータを含めたフロント周りを一新、全幅を拡大しエンジンの排気量を260から427立方インチまでに拡大しレースに及んだ。これにより1963年から数年はかなりの数のレースカーが活躍した。

 後陣で、ここに供覧するのは6台、左から1台目は緑の車、これはミニカー販売では大手のKid Boxが記念のためにメーカーのSparkに依頼して300台限定で販売したその128台目、緑のCobraは珍しい。

特注モデル 128/300

 その隣は青いモデル、今は小売のみだが、かなり昔Rubicon名でミニカーを作っていたKOJIMAの製品、eBayの海外での落札、かなり古いが馴染みのミニカー屋さんの品、落札は嬉しい。

Rubicon製の古いモデル、フロントの塗料の剥げが歴史を物語る
箱はさらに古さを物語る

 その隣はNo.98、Nassauに参戦したKen Milesのフリップトップ、フロントにボンネットがなく、フロントカウル全体が前ヒンジでガバッと開く、またノーズが他のCobraより長いのも特徴だ。フロントカウルにエアアウトレットが開いている、しかし白のラインがこの形はみたことがない。多分63年か64年の参戦だが結果は不明である。Marsh Models製

これも古いモデルKen Milesに惹かれてポチッ、白いラインはエアアウトレットも同じ色で塗装されているモデルは見たことがあるが、この形のラインは初めてだ

 その隣は同じNo.98ながらRacing Screenと別名が付いた車、Kyosho製でCobraマークのエンブレムが付随したモデルで出来は非常に良い。

No.98を並べてみた、Kyoshoのモデル(奥)は作りが細かい

 その隣、青いフロントに白い帯のNo.11は1964年のSebring 12hを走ったDan Gurny / Bob Johnsonの車、出走1時間では6位、8時間から11時間までは4位を走っていたが結果は10位でClassified finishersとなっている。TSM製の1/43

Dan Gurnyフリークだから購入は当然

 一番右の赤いNo.16は1963年のSebring 12hを走ったKen Miles(/Lew Spencer)の車で結果はDNF、この2台はTSM製でこれらの中では1番の出来か!

映画Ford vs Ferrariの主役がKen Miles、当然彼の運転するCobraは沢山でてくる

☆ Daytona Cobra & Daytona Super Coupe
 中陣の4台はDaytona Cobra、左の2台は65年のLe Mans 24hを走ったモデル、No.9はD.Gurney / J.Grant (TSM)、No.11はSears / Thompson (Marsh Models)で同じレースを走った。
No.9は予選12位で決勝はDNF。No.11は予選20位で決勝8位の成績であった。

出来は甲乙付け難いがTSMの台座は結構良い

 右の2台はDaytona Super CoupeまたはDaytona Type 65あるいはKing Cobraとの別名もある。いずれもPete Brockの設計によるもの。
 No.無しは探しに探して最初に購入したMarsh Modelsの製品、No.65は大分経って購入したMatrix scalemodels製。Daytona Cobraのエンジンを427立方インチ(7ℓ)に拡大しボディを更に低く幅広くした。本戦に参加する前の段階まで行ったが参戦できず(結構操縦性が悪いとも書かれていた)、当時のCar Graphic やAuto Sportsでは確かにKing Cobraと書かれていた(遠い記憶だが、これこそと心に刻んだ覚えがある)。

操縦性が悪かった様だが、それこそKing Cobra名が相応しい、車が人を選ぶ典型だから市販は無理か
自分的には後ろ姿が良いと思っている
実車は迫力が素晴らしい、熟成させれば結構な結果を残せたとも思うが

☆これぞKing Cobra?
前陣にある3台の内、右2台がKing Cobraと言われたモデル。

 まずは真ん中の青いNo.114。Pro Sports car Racing in Americaの中で1964年のUSRRC Driver’s Championship raceの第4戦Laguna Secaのレース。スタート直後でNo.114 King CobraのBob HolbertはNo.366と367のChaparralを引き離しトップを快走、このレースにはChaparralのJim Hall(このレースの勝者でシリーズChampion)とRoger Penske、No.9 Cooper ChevroletのSkip Hudson、No.8 ScarabのJohn Cannon、No.97 Cooper FordのDave MacDonald等々結構なドライバーの中でも素晴らしいダッシュで写真に残っている。なおこの車は第5戦のPacific North West Grand PrixでNo.14(114の1を取り除いたもの)のDave MacDonald(同じShelby Americanチーム)が駆って優勝している。

有名なPro Sports car Racing in Americaをバックにモデルを提示、
写真の中のChaparralのNo366・367も珍しい
これらのNo.からこのレースが第4戦Laguna Secaと判明した
これがShelby AmericanのKing Cobra
参考文献の書籍

 このKing Cobraは1963年頃Cooper Monacoを改造し、Fordエンジンを積んだ車をCarroll ShelbyがKing Cobraと名付けた様だ。
 モデルはMidlantic Models製、青山のメイク・アップで購入したもの。

 De Tomaso Sport 5000 (Ghia De Tomaso)Avenue 43製
 前述、King Cobraは8台が作られ、その内の1台はCraig Langによって改造されLang Cooper(設計はPete Brock)として数々のレースに出走した。その後あるレースでクラッシュし、ボディは修理不能となり残されたエンジンとギアボックスを使って、Pete Brockの設計したもう一方のDe Tomasoに載せたことからKing Cobraと名付けられたとの資料があった。ただ出来上がったのが遅く、1964年に2戦のみの参戦で大した成績は残していない。

Pete Brockの設計した3台、赤いNo.3は日本GPに参戦したがDNAとなった日野サムライ

 その昔、スロットカーがまだモデルカーレーシングと言っていた頃、タミヤからこのDe TomasoをKing Cobraとの名前で発売されたが、その所以が今回調べてやっと理解できたのでKing Cobraを書くことにしたのだ。

付録の写真はタミヤのスロットカーの外箱の写し

☆おまけのCobra
 TSMのモデル予約時に1963年のAC Cobraと同じCobra名の車が書かれていた。Cobra好きなので一緒に予約し同時に届いた。その1台はFord Shelby GT 500、予約案内ではCobraと命名されているが、本体はMustang、Shelby Super Snakeと名付けられている案内文もある。
 最初は購入予定では無かったが、予約案内のCobraの名前とカラーリングから購入となった、フロントグリルの中に小さなCobraのエンブレムが有る。一寸心を擽る製品も一服の清涼になる様だ。

大学後輩アメ車好きの原くんが購入しないかなぁ

                               2022.08.14
2023.09.11に1/64 TSMのトレーラー付きのモデルを購入した。

1/64 TSM製

                          2023.09.15 追加掲載

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?