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原子力村は昔「原発は炭酸ガスを出さない」などと世間に向けて愚昧な虚説を喧伝した(5)

 ※-0 2023年9月26日更新するに当たって補訂のための記述

 a)「大正時代後期,関東大震災・朝鮮人虐殺が記録された時代,旧大日本帝国下の国民精神の異様な状態」『現代日本社会の諸相』(本ブログ),2023年8月8日,https://note.com/brainy_turntable/n/n2391a0e32af6 が正力松太郎に言及した段落を,以下に再度紹介しておきたい。

 その前に以下の断わりを記しておく。

【断わり】「本稿(5)」は,2022年12月31日の旧ブログにおける記述を再構成し,かなりの補述もくわえて再掲している。

 敗戦後,正力松太郎という読売新聞社主が登場していた。この正力がまだ国家官僚だった時期,この関東大震災直後に発生した「朝鮮人虐殺事件に特定の関与をしていた」点は,当人がのちに反省の弁を披露したところからも確認できる。

 大正時代の正力松太郎は,警視庁官房主事として1923〔大正12〕年6月の日本共産党に対する大規模な一斉取締り(第1次)や,特別高等警察などにもかかわっていた。さらに同年9月に発生した関東大震災のさい,社会主義者の扇動による暴動に備えるための警戒・取締りを指揮した。

 しかもそのさい,「朝鮮人の暴動説」を新聞記者を通じて流布させ,関東大震災朝鮮人虐殺事件の一因を作った。直後,警務部長となるが,摂政宮狙撃事件(虎ノ門事件)の責任を問われ,懲戒免官となる。恩赦により懲戒処分を取り消されたものの,官界への復帰は志さなかった。

 補注)この「摂政宮狙撃事件(虎ノ門事件)」とは,1923〔大正12〕年12月27日,第 48帝国通常議会の開院式へ向う摂政宮裕仁親王の車を,虎ノ門外において難波大助に狙撃された事件を指す。

b)「正力松太郎はなぜ日本に原発を持ち込んだの」『マル激トーク・オン・ディマンド マル激トーク・オン・ディマンド (第532回)』2011年06月25日公開,https://www.videonews.com/marugeki-talk/532 「概要」から。

 「原発の父」と呼ばれる正力松太郎は,独占的な通信網欲しさから原発を日本にもちこみ,田中角栄は利権目的で原発を利用した。こうして日本の原発は,その本来の目的とは乖離した,いわば不純な動機によって増殖をつづけ,そしていつしかそれは,誰も止めることができないものとなっていた。

 正力松太郎に詳しい早稲田大学の有馬哲夫教授によると,読売新聞の社長で日本初の民間放送局日本テレビの社長でもあった正力の真の野望は,マイクロ波通信網と呼ばれる国内通信網の実現だった。

 これを手にすれば,当時将来有望な市場と目されていた放送・通信事業のインフラをみずからの手中に収めることができる。正力はそのための資金としてアメリカからの1000万ドルの借款,それに対する日本政府の承認,そして通信事業に参入するための公衆電気通信の免許が必要だった。

 正力は野望実現のために,当時の吉田 茂首相やアメリカとの交渉に奔走した。しかし,正力はほどなくひとつの結論にたどりつく。それは,野望を実現するためにはみずからが最高権力者,すなわち日本の首相になるしかない,というものだった。

 そして,正力は同じく当時将来が嘱望されていた原子力発電は,そのための強力なカードになると考えた。しかし,正力の関心はあくまでマイクロ波通信網であり,原発そのものは正力にとってはどうでもいい存在だった。

 当初はアメリカも,弱小紙だった読売新聞を大新聞に育て上げた正力のビジネスマンとしての才能や政治的コネクション,そしてなによりもそのアンチ共産主義的な思想を評価していた。

 さらにアメリカは,1953年〔12月8日〕のアイゼンハワーの国連演説以降,核の平和利用を推進し,その恩恵を西側陣営に広げることを対ソ戦略の柱のひとつにしていた。アメリカにとって正力は十分に利用価値のある人物だった。

 補注)この段落では,原文に出ていない日付「12月8日」を挿入しておいた。あえていうまでもないこの月・日であるが,国際政治の世界ではこういう日付の〈利用の仕方〉がよくなされる。アメリカだけでなく日本もそうしてきた。

 ▲-1「満洲国」建国は1932年3月1日だが,朝鮮における独立運動が起きた日付が1919年3月1日。

 ▲-2 敗戦後,A級戦犯7名が絞首刑にされた日が1948年12月23日で,その日は明仁(のちの平成天皇 1933年生まれ)の15歳の誕生日。

〔記事に戻る→〕 日本で初の原子力関連予算が成立した翌年の1955年,正力は衆院議員に当選するやいなや,原発の導入を強力に推進する。新人議員ながらすでに70歳と高齢だった正力は,限られた時間のなかで,みずからが首相になるための実績作りを急がなければならなかった。

 そのために,読売新聞や日本テレビを使った大々的な原発推進キャンペーンをつぎつぎと打ち,当時第五福竜丸の被爆などで高まりつつあった反米,反原子力の世論の懐柔に奔走した。こうして正力は初代の原子力委員会委員長,同じく初代の科学技術庁長官の座を手にし,権力の階段を着実に登りはじめたかにみえた。

 しかし,そのころまでにアメリカは正力の権力欲を警戒し,正力から距離を置きはじめていた……。それでも正力はあきらめず,ついに1957年8月,茨城県東海原発実験炉に日本で初めて原子力の灯がともった。

 しかし,正力の首相になる夢は叶わず,マイクロ波構想も通信・放送衛星の登場によって,意味のないものとなってしまった。

 夢のエネルギーであるかに思えた原子力発電にも問題が起きる。その年の10月,イギリスのウィンズケールの原子炉で大規模な事故が起こり,原発のリスクが顕在化したのだ。

 正力が科学技術庁長官ならびに原子力委員長を退任したあとの1961年,原子力賠償法が成立したが,その内容は事業者負担の上限を定め,それ以上は国が負担するといういびつな二重構造だった。ここにも,民間といいながら実際は国が保証しているという原発の二重性の欺瞞をみてとることができる。

 しかし,原発は正力の手を離れたのちも著しい成長をみせた。1970年の大阪万博には敦賀原発から電力が送られ,未来のエネルギーとしてもてはやされた。オイルショックも原子力の推進を後押しした。

 そうしたなかで登場した田中角栄首相のもとで,1974年,電源三法が制定され,原発は高度経済成長の果実をえていない過疎地の利権としての地位をえて,さらに推進されることになる。

 補注)「電源三法」とは,電力会社から税金(電源開発促進税)を徴収する「電源開発促進税法」,これを歳入とする特別会計を設けて交付金や補助金を交付する「特別会計に関する法律」,この特別会計から発電用施設周辺地域において公共用施設等を整備する交付金を地方公共団体等に交付する「発電用施設周辺地域整備法」を,併せたもの。

〔記事に戻る→〕 正力が「首相になるための道具」として日本に原発を導入してから,半世紀が経つ〔この引用がなされた次元では60年が経つ〕。1人の男の不純な動機で始まった日本の原発は,原発に利権の臭いを嗅ぎとった希代の政治家田中角栄の手で,やはり本来の目的とは異なる別の動機付けによって推進されるなど,つねに二重性の欺瞞に満ちているようだ。(以下,後略)

 c)「東芝TOB成立の意味-森永卓郎出演」『大竹まこと ゴールデンラジオ!』2023年9月25日,https://www.youtube.com/watch?v=sHf7lxEQX4c が解説する「東芝救済策」としての「岸田文雄『原発再稼働と新増設」といったトンデモナイ「反・人類史的かつ非・人間的な発想」

 このユーチューブ動画サイトは現物を紹介するので,またそれほど長くはない森永の解説である。できればこれを視聴してほしいと希望する(住所⇒リンクは前段・上の題名中のもの)。

 かつて東芝が誇っていた栄光の日々は,2010年代になると原発事業の導入・大失敗が原因となり,いまでは,実にみすぼらしい中身:実体に変貌した。

 ところで,東芝において主要な事業部門で残っていたのが,その原発事業部門であった。ということで,岸田文雄が経済産業省の官僚たちのいいぶんを鵜呑みしたかっこうで,その「日本の原発の再稼働」を積極的におこないつつ,さらには新増設までする」といった,奇想天外に映るほかなかった,

 しかも首相の立場から決めた,そのきわめて「手前勝手な采配」は,「経済産業問題には完全に無知でありつづけている〈当人の原発理解〉」をめぐってみるまでもなく,実際には,まともな経済人の立場からは嘲笑しかありえない程度にまで稚拙であった。

 そもそも,2010年代において東芝の経営が,一気に下降線をたどるほかなくなった経営事情とその背景については,たとえば,つぎの解説が参考になる。ここでは2つの記事を挙げておきたい。

 要は「東芝は,アメリカ側の巧妙な策に引っかかってとんでもないババを引かされてしまった」に過ぎない(▲-1の5から引用)。とりあえずはリンクのみの表示である。

 ▲-1 https://www.mag2.com/p/news/253234

 ▲-2  https://www.nippon.com/ja/currents/d00296/

 以上,ここまでの本文の記述はとくに,本日 2023年9月26日に補述したものである。

 本稿はこの(5)の記述をもってひとまず完了することになるが,ここでも,いつも触れていた「原発は炭酸ガスCO2 を出さない」という言説の基本的な錯誤について,繰り返し言及しておきたい。

 昔はよく「原発は炭酸ガスを出さない」などと原子力村側から喧伝されていたものだが,この意図された広告的な誤説については,異論が明確に提示された。すると,こんどは原発は「稼働中に炭酸ガスは出さない」だけで,ともかく炭酸ガスの排出は少ないのだ,という主張がもちだされた。

 だが,原発が建設段階から稼働期間へ,さらに廃炉工程を経て,その全期間を通してとなったら,はたしてどのくらい炭酸ガスを排出していくのかについて事前に計算することにしたら,原発は炭酸ガスをあまり出さないのだといういいぶんじたいが,本当は異様なまで粉飾をほどこしていた修辞でしかなかった事実を,ただちにばらしてしまうのである。

 その種になる「原発は炭素を “出さない” 」という点に関した「説明」は,基本的には,原子力ムラ的な単なるご都合主義に寄せたデタラメ言説であった。    

 原発が廃炉になってから大量に出す放射性物質に汚染されたその廃棄物は,なかでも高度に汚染されたそれの後始末は,なんと10万年の単位で議論されているように,炭酸ガスを少しは出すとかいや出さないとかいった議論の領域に収まるような「原発がその後に発生し,持続させていく問題」ではなかった。

 d)【参考記述】 東芝の問題が2010年代半ばに世間を大きく騒がせる話題になっていたとき,この会社が当時みせた行動については,本ブログがつぎの記事を公表していたので,こちらからいくらか紹介しておきたい。

 東芝の問題に関して書いた本ブログの題名は,「経営学者の現実認識をめぐる根本的な吟味(1)」『現代日本社会の諸相』2023年2月19日 12:41,https://note.com/brainy_turntable/n/nc67c6cb4bd99 であった。

 その記述はもと,2015年中に書かれていたものを再掲していたが,東芝の経営の社外取締役として参画した有名な経営学者の立場・利害をとりあげ議論・批判していた。

 その経営学者は,本ブログ筆者の場合,つぎのようにとりあげていたが,ここでは,若干の段落のみ紹介したうえで,さらに比較的最近に公表されていた『ダイヤモンド』の記事を,そのあとにつづけて引用することにしたい。

 とても饒舌でありつづけてきた経営学者の,それも理論的武装を装ったかたちの発言のなかに散見された『一定の危うさ』は,ほかの学者たちも薄々は気づいていた。

 それゆえ,当時,東芝の臨時株主総会の舞台において発生した伊丹敬之をめぐる一件は,それほど驚くような事態ではなかった。

 それよりももっと「驚いていいことがら」は,この種の経営学者が「企業経営の理論と実践」に対する発言者として,あたかも「本物の権威筋」であったかのように処遇されてきた事情にみいだせる。

2015年中に本ブログ筆者が書いていた文章の一部
当時,渋い表情の伊丹敬之

 東芝の問題に関連した記事として,本日のこの記述を改訂作業をおこなっているところで,以下のごとき『ダイヤモンド』の記事に出会った。

 学者先生のそれも経営学者が会社の役員になって,いったいなんの役目(その本来の使命・任務)をはたしえていたのかという点に向けて,重大な疑問が投じられていた。

 名古屋和希:ダイヤモンド編集部副編集長「東芝,東レ,曙ブレーキ…不祥事企業で検証,『学者社外取』は本当に役に立っていたか」『ダイヤモンド online』2022.6.14 5:25,https://diamond.jp/articles/-/304213 が,問題となっていた「経営学者の伊丹敬之」をこう批評していた。

  ★ “大家” が「先進的」と自慢も不正会計でトップが引責辞任 ★

 「極めて先進的で健全なコーポレートガバナンスの仕組みができている」

 一橋大学教授を経て当時は東京理科大学教授だった伊丹敬之氏は,みずからが社外取締役を務めるある企業の2014年3月期の年次報告書で,そう誇ってみせた。

 日本企業の実証研究を専門とする伊丹氏は,経営学の第1人者で,現在は国際大学の学長を務める。“ 大家” がそこまでいい切るのだから,さぞ素晴らしい企業に違いない。しかし,驚くなかれ,その企業とは東芝のことなのだ。

 伊丹氏の発言からわずか1年後に東芝を激震が襲う。2015年5月,1500億円もの利益を水増しした不正会計が発覚したのだ。調査に当たった第三者委員会は「経営トップを含めた組織的な関与」と結論付けた。

 同年7月には,当時の社長だった田中久雄氏のほか,副会長や相談役ら歴代3社長が引責辞任に追いこまれることになった。実は,伊丹氏は経営トップを選定する指名委員会のメンバーを務めていた。年次報告書では,みずらの仕事の一端をこう明かしている。

 「私自身も昨年(ダイヤモンド編集部注:2013年)は新しい社長の指名に参画し,今年は新しい会長の決定でも意見を述べる立場にあった。今後もこの仕組みが前向きに機能しつづけるよう貢献していきたい」

 つまり,伊丹氏は不正会計で引責辞任した田中氏をトップに据える選定にかかわっていたということである。不正会計の発覚後,社外取3人が退任する一方で,伊丹氏は留任する。東芝関係者からは「不正会計を見抜けなかった伊丹氏が残るのはおかしい」との批判の声が上がった。

 伊丹氏の公私混同ぶりも関係者の間で評判が良くなかった。「伊丹氏はゴルフなど私用に東芝のハイヤーを使うことさえあった」(別の東芝関係者による話)。

 東芝ではいまも社外取締役が経営の暴走を止められない「持病」が繰り返されている(本特集#8『東芝が “物言う株主” 推薦の社外取を籠絡? 経営陣が暴走を繰り返す「持病」の根深さ』参照)。

 伊丹氏が自慢してみせた「先進的で健全なガバナンス」とはなんだったのだろうか。東芝は,学者社外取絞役が経営への「重し」の役割を果たすことができなかったケースといえるかもしれない。(引用終わり)

 ウィキペディアにはもちろん,ご進講の実績まである伊丹敬之の解説がなされている。だが,以上に指摘されているごとき伊丹の業績(行状)には一言も言及がない。誰がその内容を書いているのかしりたい……。

 なお,伊丹敬之は最近まで国際大学学長職に就いていた。同大学のホームページをのぞくと,現在(2023年度)は,橘川武郎が学長として挨拶をしているので,伊丹敬之はその学長職からは退いた点のみは確認できる。橘川がいつ学長になったか,同ホームページでは確認できない。自己紹介の箇所にもその明記がない。

 

 ※-1 この「本稿(5)」の前稿「本稿(4)」は,日本原発史に関連する文献,それももっとも早い時期に公刊されていた本として,読売新聞社編・東大助教授理学博士中村誠太郎校閲『ついに太陽をとらえた-原子力は人を幸福にするか』読売新聞社,1954〔昭和29〕年5月を挙げていた

いまから70年近くも前に公刊されていた
原子力・原発を解説した啓蒙本  

 この文献をもじっていうとしたら,21世紀の現時点であるゆえ人類・人間は『ついに原発に捕らえられた-原子力は人を不幸にした』という題名をかかげる本こそが,書かれてよい時代だといえる。もちろん,そのたぐいの書籍は,すでに数多く制作・公表されている。

 いまから69年も前に公刊された読売新聞社編『ついに太陽をとらえた-原子力は人を幸福にするか』1954年の狙いは,時代を先取りできるエネルギー源だとして原子力について,大衆の意識を狙い,啓蒙することにあった。

 同書は,原発がその原子力を燃料に焚いて生産する電力は,エネルギー生産の方法としてたいそう有意義なものだと宣伝していた。

 本日のこの「本稿(5)」がまずとりあげるのは,原発・原子力問題に関してきわめて上っ面だけのその「理解にもなっていない理解」,もっと端的にいうと無理解同然であった「原発必要論」の実例が,『日本経済新聞』2022年12月31非朝刊の5面「ビジネス」に掲載された,つぎのインタビュー記事のなかにまたもや登壇していた。

原発はCO2 を出さないという発言
そして
LNG輸入増大の心配という発言は
いずれもエネルギー問題を現象的にのみ
話題にしたもの

 この記事の題名は「三菱商事社長中西勝也氏そこが知りたい2023年を見据えて(10) エネルギー自給率どう高める?  再生エネ開発競争で先手」であるが,そのなかに原発に関連する言及となると,例によってまたもやというか,得意でもあったお決まりの文句が登場する。 

 問題となる段落のやりとりはこういうものであった。

【記者】 日本のエネルギー情勢の課題はどこにありますか。

 【中西】 「日本はエネルギー自給率が低く,CO2 排出量の多い石炭火力への依存度が高い。解決には再生可能エネルギーを早く拡大すること,安心安全が確認できる原発の再稼働を住民理解のもとで急ぐことだ。原発はCO2 を出さず,燃料もLNGのように追加する必要がない。再稼働できないとLNGをいまより多く輸入することになる。エネルギー自給率の向上が不可欠だ」

【記者】 どう取り組みますか。

 【中西】 「〔20〕50年をみすえていまから手を打つ。再生エネ開発に継続して力を入れる。当社はオランダの再生エネ大手を買収し,ノウハウや知見を生かしている。オランダの案件では洋上風力で発電した電気を使い水素を作ることも検討中だ。再生エネは制度や補助が整った欧州で進んでいる。似たような波が日本にも来る」

 「水素やアンモニアもリスクマネジメントを講じ,日本に導入する。商社には先兵機能としての役割がある。しっかり貢献したい」

 付記)なお,「なかにし・かつや」は大阪府出身,62歳,1985年東大教養卒,三菱商事入社。2016年執行役員,2019年常務執行役員を経て,2022年4月から社長を務めている。

『日本経済新聞』より

 以上のごときに,中西勝也の口から出てきた原発:原子力「観」は,原子力ムラ側の人たちから常套句として,いつも用いる文句になっていた。しかし,最近は同じ決まり文句を繰り出すにしても,いくらか用心したものいいをするように変化している。

 つまり,「安心安全が確認できる原発の再稼働」とは,なにを基準にいわれているものなのか,原子力規制委員会の認定・許可のことなのか,それともこの委員会とはまだ別様に原子力工学の技術的な観点から決めうるものにせよ,もっと厳格・厳密・厳正な評価・判断がどのように必要なのかまでについては,明確に言及できていない。

 また,原発の再稼働は「住民理解のもとで急ぐことだ」というさい,その理解とはどのようなものに現実的にはなっていたか,財界人側からはしごく抽象的な一般論で,しかもアイマイに語られていたに過ぎない。

 「住民は原発に理解を示す」とか,あるいは「原発は住民の理解をえて」とかいった原子力ムラ側の発言様式は,原発の立地する地域「住民の理解をえられるものとする」路線での発想しか念頭になく,反対する住民はもちろん厄介者であり,犯罪的な妨害者として排斥するばかりでなく,ときには社会的次元で邪視さえするあつかいまでしてきた。この点は「歴史の事実」として記録されてきている。

 原発反対派に対する原子力ムラ側から返されてきた反発・圧力は,実質「抑圧・弾圧」「排外・差別」に類する,いわば敵意的な反動まであって,しかも国家権力側との共働行為であったがゆえ,それはたいそう権柄尽く一辺倒の性格をもっていた。

 またとくに,なんどでも反復されてきた意見であるが,「原発はCO2 を出さず,燃料もLNGのように追加する必要がない。再稼働できないとLNGをいまより多く輸入することになる。エネルギー自給率の向上が不可欠だ」と断われたとき,この意見には「けっして誤解などではなくて,特定で具体的な間違い」が含まれていた。

 しかもその意見には,もともとはしっていながらあえてしらぬ振りをしていたというべき,悪質だと形容されてよい「意図された〈誤解の構想〉」が含意されていた。

 「原発は炭酸ガス(炭素)を出さない」わけではなく,稼働中にも原発はCO2 を出す。外部から電力供給がないと「非常用電源」にその電力を求めるというのは,原発に特有の奇妙さである。

 とりわけ,原発が廃炉になった「あとの工程」の運営は,それこそ半永久的に炭酸ガスを発生させつづける「廃炉作業」となる。

 そのような,むしろ将来に向かってだが,より具体的な困難な課題が「原発の問題」として待ちかまえている。にもかかわらず,そのあたりの難題はなにも問題がないかように触れていない。

 なぜ,そのように不自然な言及のされ方が,原発の問題になるといつも反復されるのか? いまだにまともな回答が与えられないではないか。

 現状において日本の原発体制は「トイレのないマンション」だといわれているが,この問題とて,なにひとつ解決していない。放射性物質に高度に汚染された核のゴミに関しては,その最終処分場どころか,そもそも中間処理場の1箇所すらまだ確保できていない。

 なぜか? この処分場の問題を論じないで,原発の有用性ばかりを強調する原発擁護・推進論は,新築住宅でいえば,トイレのない家を売りに出す住宅販売会社などありえない事実(たとえ話)を,まさかしらないでそう強調しているわけではあるまい。

 さらには,核燃料サイクルの成立が不可能である問題も併せて考えるとき,その処分場についてなにも語らない「原発推進論」は,マヤカシの議論にしかなりえない。

 ※-2 東電福島第1原発事故の後始末(と廃炉)の問題が,そのなにも片付いていないのに,原発の再稼働や新増設を決めるというおぞましい「原発中毒国家:日本」

 2020年7月であったが,一般社団法人 日本原子力学会・福島第一原子力発電所廃炉検討委員会『国際標準からみた廃棄物管理:廃棄物検討分科会中間報告』「国際標準からみた廃棄物管理」という論稿が公表されていた。

 この論稿の内容は原発の廃炉問題に関して絶望的な展望を,事実として解説していた。

 ここでは手っとり早く,吉野 実『「廃炉」という幻想-福島第1原発,本当の物語-』光文社,2022年2月のなかに,「東電福島第1原発事故の廃炉〔というよりは後始末〕の問題」の方途に関して,理解しやすく表にまとめているつぎの頁があったので,その箇所を画像資料に借りておく。

吉野稔の見解 

 事故を起こしていない原発の「後始末ではない廃炉」工程であってもこのように,半世紀から1世紀単位をもってする覚悟で事後の整理をしていかねばならない。しかしながら,チェルノブイリ原発事故の場合,実際には,地域社会の崩壊・抹消となる事実を残した。その特定地域は反半永久的に人間が住めない場所になった。

この指示は不徹底というか大甘

 東電福島第1原発事故の場合もその跡地として人間が住めない地域は残る。しかも日本の場合は旧ソ連(現在はウクライナ)の場合よりはかなりいいかげんに,緩い,低い「放射性物質・残存率」基準の運用でもって,その避難指示区域(帰還困難区域,居住制限区域,避難指示解除準備区域)の設定および「その後の避難指示解除」が実施されている。

 前段で触れた文献,吉野 実の『「廃炉」という幻想-福島第1原発,本当の物語-』2022年2月は,東電福島第1原発事故が「21世紀・以降」に残した日本の国土「破壊」を,単行本(新書版)として公表していたが,さらにネット上には,吉野の同書と同じ問題意識をもって議論・批判する論稿がいくつでも閲覧できる。

 なかんずく,東電福島第1「原発事故の問題」このこの「ひとつ」についてすら,満足に今後の展望を提示できていない現状において

 「原発は炭酸ガス(炭素)を出さない」などと「原発に対する全・定義」的には,不適切どころか,誤導しかありえなような偏った独自の解釈をもちだして,原発はまだまだ有用であるといったり,

 それも「ロシアのプーチン」が始めたウクライナ侵略戦争のために発生した化石燃料価格の高騰に目を奪われて,またぞろ性懲りもなく「原発,原発・・・」と声高ににも叫んだりする風潮が再興している実情は,

 営利企業(前段で登場させたのは三菱商事社長・中西勝也)というものは当面する金もうけのためとなれば,なんでもかんでも「原発を擁護し,弁護し,その再稼働をともかく促進をしたがる」立場しかなく,なんといっても目先の利害一辺倒の発言になっていた。

 その社長は「50年をみすえていまから手を打つ。再生エネ開発に継続して力を入れる」とも語っていたが,これもあくまで商売の見地,利益最優先の立場からの発言であった。原発の関連を語るときもまったく同じ話法となっていたところに,根源的からの理解の不足・限界がみてとれる。


 ※-3 東電福島第1原発事故「廃炉」問題の「処理・解決」の未来展望(予測?)すら,実はろくになしえていないこの国が「原発の新増設」を決めていた(2022年8月)

 この国のなかではいまだに,まことに末恐ろしいエネルギー用のイデオロギーがまかり通っている。しかし,現在首相を務めている岸田文雄政権のエネルギー政策についてはすでに,根本的な批判が提示されていた。

 以下につづく段落では,そうした原発批判に関する論稿を3点紹介したい。できれば,それぞれの全文を引用したいところが,文字数がだいぶ増えてしまうので,

 以下では,本ブログ筆者なりに割愛を挟みながら,それらを紹介することにしたい。あとは住所(そのアドレス)を付記しておくにとどめる。興味ある人はさらに自分で除いてほしい。

 1)「【検証・廃炉】定義,あいまいなまま 宙に浮く『最終形』議論」『福島民友新聞』2021年05月04日,https://www.minyu-net.com/news/sinsai/sinsai10/serial/FM20210504-611866.php

 この記事は,東電福島第1原発事故現場のある福島県の「地方紙による報道」であった。あの原発事故の後始末問題が「あいまいなまま宙に浮く」状態に留め置かれている」と指摘,報道していた。まったくお話にもならないその後始末をめぐる現状が,現在も継続中である。

 この記事はインタビュー記事であるが,これに登場した「日本原子力学会で福島第1原発廃炉検討委員長を務める宮野 広(73歳)=流体振動,システム安全が専門= 」が,いまだにその「廃炉の最終形について議論が進まない現状に苦言を呈す」という内容になっていた。

 廃炉問題についてその議論が進まず停頓しているというのに,岸田文雄政権は,原発の再稼働のみならず新増設まで決めていた。通常に平静に考えてみて,その決定の中身は「狂気の沙汰」になっていた。

 1945年8月の6日と9日に,それも敗戦直前であったが,米軍のB29機がそれぞれ広島と長崎に原爆を落とした。2011年3月11日に東電福島第1原発事故が,東日本大震災とこれによって惹起された大津波の襲来を受けて起きた。こちらの原発事故を,なぜかだとしてもごく自然に「第2の敗戦」と呼ぶ者たちがいる。

 その東電福島第1原発事故の後始末の見通しすらついていない現時点である。どれほど原発が素敵で素晴らしい電源だとしって,そのうえでいかほど惚れこんだのかしらぬが,「あばたもエクボ」からははるかに超えた「原発好き事情」が披露されているこの日本は,はたして正気でいるのか,と尋ねる人がいて当然であった。 

 2) 笹川平和財団研究員・小林 祐喜「事故から11年,福島第一原発の廃炉の最終形態を明示せよ」『国際情報ネットワーク分析』2022/03/10,https://www.spf.org/iina/articles/yuki_kobayashi_06.html

 この小林祐喜稿は,各「小見出しの文字〔と注目すべきそのの文節〕」だけ拾いつつ,途中で引用されている「一般社団法人 日本原子力学会・福島第一原子力発電所廃炉検討委員会『国際標準からみた廃棄物管理:廃棄物検討分科会中間報告』などを参照に筆者〔小林が〕作成」した表(とその前段の付近)のみ紹介しておく。 

これは前段に紹介した吉野稔の廃炉に関した
年数別の分類と基本的には同類・同質の整理

 a) 転機を迎える廃炉作業

 ロードマップは……〔その〕「廃炉の完了」がなにを意味するのか,すなわち廃炉後の福島第1原発跡地がどういう姿になるのかを,必らずしも明確にしていない。

 これまでの世界における原子力関連施設の廃止措置においては,放射性廃棄物がすべて取り除かれ,施設跡地が全面開放された事例はほとんどない。さらに,福島第1原発には事故を起こした原子炉という特殊事情もある。

 デブリの取り出しが始まるのを機に,「廃炉の完了」が意味することについて,東京電力,政府は国内外に明示するべきではないだろうか。

 「廃炉の完了」の定義を明確にしておくことは,今後の廃炉作業の透明性を確保するとともに,核兵器不拡散条約(NPT)第4条にかかげられる原子力平和利用の権利をもっとも享受してきた国として,核物質や放射性廃棄物の適正な管理と処分に責任をもつ姿勢を世界に示すことにもつながる。

 b) 事故後の廃炉作業―デブリとの闘い

 福島第1原発事故後の廃炉作業はデブリとの闘いである。しかし,原子炉の燃料棒内で通常に燃焼した核燃料と異なり,デブリの取り出しは困難である。

 これまでひとかけらのデブリも取り出せていないだけでなく,2号機から始める取り出し作業は数グラム単位からになる。取り出したデブリなど高濃度放射性廃棄物の最終処分場をどこに設置するのかも決まっていない。

 また,デブリを冷却するために注入された水は,原子炉や格納容器の一部破損によって,デブリに触れたあと,あちこちに漏れ出し,同原発の下部を流れる地下水にも接触して,汚染水の大量発生を招いている。(後略)

 c) 廃炉の完了とはなにか

 こうした状況から,福島第1原発の「廃炉の完了」はどのように想定されるのだろうか。廃炉の定義については,IAEAが1990年代後半から2000年代初頭にかけて各国に提示した。 

 前掲してあった「その表1の内容」もで明らかなように,方式によって,「廃炉の完了」がなにを意味するのかは変わってくる。これまでの廃止措置の事例をみると,日本国内で唯一,廃炉作業を完了した,旧日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)の動力試験炉(茨城県東海村)の場合,跡地を更地にし,除染も終えて再利用できる状況になっている。

 しかしながら,施設の基礎部分のコンクリートなど一部の構造物は現地に保管している。海外においては,核燃料製造工場の跡地の一角にビジターセンターが設置された例(米国)はあるものの,この製造工場を含め,大半は敷地の一部をそのまま放射性廃棄物の処分場にしている。

 そのため,人びとがアクセスできない管理区域を設けており,前段のその表1に照らせば,原位置処分か遅延解体に該当する。

 d) 廃炉の完了に関する議論の開始を

 「廃炉の完了」がどういう形態になるのかは,地域復興に直結するが,福島第1原発の現状および,現行の技術水準を考慮すると,不確定要素が多く,デブリの取り出しがロードマップに定められた期間を超え,長期に及ぶことは十分に考えられる。

 それどころか,数世紀に渡ってデブリをはじめとする放射性廃棄物を福島第1原発内で管理しなければならない事態も想定される。

 こうしたことから,東京電力や政府は,すべての放射性廃棄物の福島県外処分という目標は維持しつつ,IAEAの定義を参照しながら,複数の可能性を提示するべきではないだろうか。

 核物質利用について,最後まで過程を透明にすることは,戦後一貫してIAEAに協力し,原子力の平和利用に徹してきた日本の責務である。そのうえで,どういう場合に,廃棄物の施設外処分という目標を変更する必要があり,どのように地域住民や国民に説明して合意をえていくかのプロセスを明確にしておく必要がある。

 たとえば,米国では,エネルギー省が環境管理プログラムを策定し,廃炉について事業者や当該自治体,地域住民が協議する場を設置して原子力施設跡地の形態を決定する方法が採用されている。日本においても,いまのうちに,国,自治体,地域住民が,福島第1原発の「廃炉の完了」について話し合う公式の場を設置するべきだろう。

 補注)この「廃炉の完了」という表現は,概念じたいの問題として吟味するとしたら,はたして文字どおり〔本当?〕に「その完了」という地点にまで到達できるのか,基本からして疑問が残る。その完了とは,一時的・臨時的・過渡的な処分や処置であっても,けっして問題の解消や無化を意味しない。
  

 ※-4 大島堅一龍谷大学政策学部教授「【論文】『廃炉時代』がやってきた-原子力発電の後始末」月刊『住民と自治』2021年9月号より,2021年12月2日,https://www.jichiken.jp/article/0253/

 a)永久に続く終わりの始まり」

 原子力発電開始後55年〔ここでは2021年から〕経った日本は,原子力発電施設の廃炉と放射性廃棄物処分の課題に直面しています。(中略)

 福島原発事故後,原子力発電は大きく衰退し,発電電力量に占める原子力の割合は2018年度に6.2%にまで急落しました。もはや原子力発電は基幹電源でもベースロード電源でもありません。(中略)

 福島原発事故後,再稼働を進めるとしたものの,追加的安全対策に1基当たり約2200億円の費用がかかっており,運転期間が少なくなっていることもあって既設炉すら経済性がなくなっています。

 好むと好まざるとにかかわらず,原発はつぎつぎと廃炉になり,原発ゼロ社会は近い将来必らず到来します。原子力発電の後始末事業の始まりです。

 b)「後始末事業の区分」

 原子力発電は,放射性物質を大量に使用するという特徴をもっています。それゆえ,運転中だけでなく,運転前のウラン採掘,核燃料製造過程,さらには運転後の放射性廃棄物処分が必要です。

 原発がすべて運転終了したとしても,原子力発電による問題が終息するわけではありません。その後,廃炉と放射性廃棄物処分が適切におこなわれなければなりません。

 原発廃炉には20~30年の期間を要し,その後も放射性廃棄物処分には非常に長い時間がかかります。もっとも深刻な問題として取り上げられるのが高レベル放射性廃棄物処分です。高レベル放射性廃棄物がウラン鉱石なみの放射能レベルになるまでの期間は約10万年です。

 期間の長さからすると,発電そのものではなく,後始末事業こそが原子力発電の本体事業です。後始末の観点からみると,短期間の運転とわずかな電気と引き換えに,過酷事故が発生したうえに,超長期の手間と膨大なコストを要します。原子力発電の不合理さと無責任さを表わすのが後始末事業です。 

 c) 事故を起こしていない施設での後始末事業

 廃炉は,原子力発電所であろうが,核燃料サイクル施設であろうが,必らずおこなわなければなりません。原子炉の場合,廃炉に要する期間は20~30年程度とされています。たとえば四国電力伊方発電所1号機の場合は30年計画です。

 再処理工場解体は困難を極めるでしょうし,放射性廃棄物処分も解体後の2100年代以降になるでしょう。再処理を含む核燃料サイクルは1960年代に構想されたものです。

 60年近く前に構想し,後始末を含めて今後100年以上かかるような事業は,日本国内に再処理以外に存在しません。再処理計画は,荒唐無稽としかいいようがありません。

 事故を起こしていない原子力発電施設の後始末事業の制約は,政府の原子力政策そのものです。現在,つぎの2つの制約がある結果,根本的対策がとれないまま,時間と費用が浪費されています。

 第1に,日本政府は,いまだに原子力発電を進める方針をもちつづけています。原子力発電により事故が現実に引き起こされ,さらには経済性もありません。今後,民間企業としての電力会社が原子力発電への投資を大規模におこなうとは考えられません。

 にもかかわらず,政府が方針を変えないために原発廃止に向けた建設的議論ができないでいます。原発がどの程度維持されるかによって,放射性廃棄物の処分量は大きくかわります。このままでは,後始末事業についてまともに検討されないまま,つぎの世代に先送りされてしまうでしょう。

 第2に,使用済核燃料の再処理計画が続けられています。問題は,再処理が維持される場合と維持されない場合とでは,日本全体の放射性廃棄物の種類や量が大きく異なることです。技術的にも経済的にも再処理が行き詰まるのは明らかです。

 本来であれば,再処理を前提とせず,使用済核燃料の直接処分が具体的に検討されるべきです。ところが,ここでも再処理政策の変更がおこなわれないために先に進めなくなっています。このまま推移すれば,再処理政策の破綻が現実化する数十年先に問題が先送りされます。

 d) 事故を起こした施設の後始末事業

  (前略)  現時点で総額21.5兆円(賠償を含む)とされている事故費用は今後青天井になるでしょう。なぜなら放射性廃棄物の量が膨大であるからです。

 日本原子力学会福島第1原子力発電所廃炉検討委員会(2020年)によれば,事故由来の放射性廃棄物量は,重量ベースで,事故を起こしていない大型原子力発電所を廃炉するケースの1000倍以上あります。この処分費用は計算されていません。

 サイト外も同様です。除染で発生した除去土壌や汚染廃棄物の多くは,中間貯蔵施設に送られます。国の方針では,中間貯蔵開始後,30年以内に福島県外で最終処分するとしています。しかし,最終処分の具体的方針はなく,費用計算もされていません。そこで,環境省は本末転倒な方針を示しています。

 すなわち,最終処分場を県外に整備することが困難であるため,最終処分量を減らすとして,福島県内で除去土壌(汚染された土壌)を最大限再利用しようとしています。つまり除染で剥がした土壌を再び土壌として埋め戻すというわけです。この件は,なし崩し的に既成事実化が進められており,除去土壌を用いた農作物栽培の実証事業が環境省によっておこなわれています。
 
 e) 廃炉の時代に

 原子力発電の負の遺産の処理には,高レベル放射性廃棄物を含めれば10万年を超える時間と,最低数十兆円の費用を要します。原子力発電による利益を享受した主体は,その利益とはまったく関係のないつぎの世代に,みずからが解決できない課題を引き渡そうとしています。原子力発電によってもたらされた負の遺産は取り返しのつかないものばかりです。

 原子力発電は,後始末事業という観点からみれば,きわめて不公正で倫理に反しています。負の遺産処理は,広範な人びとに超長期にわたって影響を与えつづけるだけに,公正かつ透明な民主主義的意思決定にもとづき決定される必要があります。

 【参考文献】(後略)

 

 ※-4 む  す  び

 実質,「原爆=原発」である。その双方の面倒さかげんが同じ性質に由来する点は,説明するまでもない。むろん,ただ瞬時にその損害(危害)を戦争用に行使する原爆と,一定期間は電力生産に利用する原発との間には,それなりに特定の違いはある。

 だが問題は,原爆はむろん無条件に,そして原発は電力を生産してもこちらもまた無条件にやっかいな,後始末問題を残す点にあった。いずれにせよ,どっちもどっちという感じがあった。

 人類・人間の「立場・存在」からみて,理工学技術として「殺人用」であるならば大成功した原子爆弾に対して,またその「エネルギー生産用」であっても大失敗を犯してきた原子力発電は,ごく自然に対置できる。

 要するに,双方の由来からして,当然も当然の対比である。しかし,少しも面白くない対照・比較にしかなっていないが……。

 最後に触れておきたい本がある。

 金森絵里『原子力発電の会計学』中央経済社,2022年3月は,会計理論の枠組,その期間計算の概念規定からは,なぜか特別に「逃亡状態」を許容されてきた「原発という装置・機械の費用問題」に関して,特有の課題をとりあげ議論していた。

 そのいままで「逃亡状態にあった原発会計」の「問題の領域」に対する解明は,「原発は否」を宣告するほかない立場を確実に明示した。原子力ムラの人びとは,いったい,いつまでどこまで,その「原発技術が編み出した巨大迷路」のなかを現状のごとき暗中模索状態のまま,未来に向かい突きすすむつもりなのか?

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