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4.27通知

 文科省の「4.27通知(20220428-mxt_tokubetu01-100002908_1.pdf (mext.go.jp))」に対しては、既に国連から撤回を求めらているのである(障害者教育、国連が日本に突きつけた厳しい課題 「特別支援教育の廃止」など6項目について勧告 | インクルーシブって何だろう みんなにやさしい社会のかたち | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net))が、文科省は撤回しないと応じた(永岡桂子文部科学大臣記者会見録(令和4年9月13日):文部科学省 (mext.go.jp))。そこで、大阪居住の児童及び保護者の申立てがあり、弁護士会が同通知に撤回を求める勧告をした(特別支援児童の授業制限、撤回を 大阪弁護士会が文科相に勧告 | 毎日新聞 (mainichi.jp)文部科学省が初等中等教育局長名義で発出した令和4年4月27日付「特別支援学級及び通級による指導の適切な運用について(通知)」(4文科初第375号)のうち、特別支援学級に在籍している児童生徒について、原則として週の授業時数の半分以上を目安として特別支援学級において授業を行うことを求めている部分を撤回するよう勧告した事例 (osakaben.or.jp))。

 問題となっているのは、同通知第2の「特別支援学級に在籍している児童生徒については、原則として週の授業時数の半分以上を目安として特別支援学級において児童生徒の一人一人の障害の状態や特性及び心身の発達の段階等に応じた授業を行うこと。」という箇所である。

 同通知で文科省は、「交流及び共同学習には、相互の触れ合いを通じて豊かな人間性を育むことを目的とする「交流」の側面と、教科等のねらいの達成を目的とする「共同学習」の側面があり、この二つの側面を分かちがたいものとして捉えて推進していく必要があ」り、「『交流』の側面のみに重点を置いて交流及び共同学習を実施することは適切ではありません。」と述べている。

 文科省は、「交流」と共同「学習」を分けている。これは、「学ぶ」ということを教科を理解することであると考えていることを意味する。授業で教師が説明したことを正確に記憶し、試験でそれを正確に吐き出してよい点数を取ること、ひいては有名校に進学することが目的ならば、文科省の説明にも一理あることになる。こうした教育のおかげで人間には能力の高い人間と能力の低い人間がいて、能力の低い人が不幸になっても自業自得であるといったおよそ人権を無視した人間観が社会的地位の高い人にまで浸透することになる。

 しかし、「学ぶ」というのは、各人が置かれた境遇が違っても同じ人間であるということを前提として、各々の境遇の違いに理解を示し、自分とは異なる発想、考え方、価値観に触れ、問題を発見し、それを共に解決していくことであり、「学ぶ」とは「生きること」そのものであり、生きるための手段ではない。したがって、交流が減れば、学びの機会が減ることになり、人間としての成長も妨げられる。これは障害のある者だけではなく障害のない者にとっても言える。


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