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水俣病懇談会

 水俣病懇談会で被害者の発言が遮られたことに関して大臣と室長が謝罪する事態になった(KAB 熊本朝日放送 » ニュース)。

 このような事態に至った原因は、懇談会を開催する意義について環境省と被害者との間に齟齬があったことにあるのであろう。

 被害者の生の声を直接聞いて政策に反省させることが目的ならば、一人3分は短すぎる。単に被害者の話を聞いたという事実があればよく、環境省にとっては話の内容はどうでもよかったのであろう。

 我が国で優秀といわれる人は、上司を煩わせない人である。したがって、被害者の話の内容はどうでもよく、時間通りに進行することのほうが遥かに重要である。

 また、上司は、優秀な部下に任せてただ座っていればよい。それゆえ、大臣は、被害者の発言が遮られても黙認することになる。

 これは大きな組織ほど顕著である。各人は自分に与えられた仕事を淡々とこなすだけであり、その意味を考えることはない。それを考えることは時間の無駄のように思える。

 今回のような問題が生じないようにするには、組織が全体として実現すべき価値は何なのかについて全員が理解を共有し、それぞれの役割がその価値との関係でどのような意味を有するのかを考えることが必要であるが、考えると優秀な人ではいられなくなる。

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