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虚像の賞味期限

 中学の英語教科書に紹介される予定だった通訳について内容の変更が検討されていることが話題になっている(乙武洋匡氏が苦言「水原さんといい乙武さんといい教科書に載りそうな人に限って…」のX投稿に - 社会 : 日刊スポーツ (nikkansports.com))。

 本件については、教科書の作り方に問題があるように思われる。マスコミを通してよく知られている人を取り上げたほうが生徒に興味を持ってもらえると考えているのであろうか。人には色々な顔がある。マスコミがフォーカスするのはその一面に過ぎない。つまり、有名人を教材に使うということは、よく知らない人を取り上げるということである。マスコミに取り上げられているからといって立派な人とは限らない。

 この件に関連して、「持ち上げる時は散々上げて、叩く時は一気に叩き潰す」という指摘がある(スマイリーキクチ 水原一平氏へのネット上の総攻撃に苦言「叩くときは一気に叩き潰す「怒気依存も問題」/芸能/デイリースポーツ online (daily.co.jp))。

 確かにネット上のコメントには目に余るものもある。しかし、そうなるように仕向けられている面がある。前述のようにマスコミはある人の一面のみにフォーカスした報道をする。そうすると、その人が何か特別な存在に思えてくる。芸能人であればファンが増えるきっかけになる。ブランド化といえるかもしれない。ただ、これはメッキに過ぎない。いずれメッキが剥がれるときが来る。なぜなら、個性があるという意味で特別な存在というのであればすべての人が特別な存在であり、その他大勢とは異なる存在という意味ならばそのような人は存在しないからである。バッグや洋服のブランドであれば、品質やデザインにおいての優位性を維持することは可能であろうが、人は多面的でありその一面だけを見て評価すれば、いずれ違う面を見るときが来る。そのとき裏切られたと感じることになる。つまり、人のブランド化というのは賞味期限付きでしかない。マスコミに悪意があるわけではなかろうが、マスコミに取り上げられることでビジネスのチャンスが広がる反面、失敗したときの反応も大きくなる。

 教科書を作る人に限らず、マスコミが取り上げているのは、その人の一面に過ぎず、その他大勢とは異なる存在という意味での特別な人はいないということを理解することが必要ではないか。もっとも、そうなると芸能人に関してはビジネスに支障をきたすかもしれない。

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