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政倫審とコンプライアンス

 政倫審で西村氏が弁明をした(「帳簿、通帳、収支報告書見たことない」 政倫審での西村氏発言 | 毎日新聞 (mainichi.jp))。

 同氏の「知らない」という弁明に対しては、そんなはずはない、嘘をついているとする見方もある。しかし、もしかすると本当かもしれない。なぜなら、賢い人ほど危ないことには近づかないからである。問題は、それが責任を逃れる根拠になっていることである。

 同氏は、2021年10月から翌年8月までの約10か月間、幹部として清和会の運営に関わったことを認めている。また、「安倍会長は22年4月に現金での還付をやめると言われ、幹部でその方針を決めた。」と述べている。
 これは重大な発言である。なぜなら、少なくともこの時点で問題あることを認識することが可能だったからである。

 また、「私は同年8月10日の経済産業相就任を機に事務総長を退任したため、その後のことについては現金での還付が継続された経緯を含め、全く承知していない。」と述べている。
 これも重大な発言である。問題があることを認識しえたのであれば、幹部でなかったとしても自分が所属している派閥の行為を放置してよいことにはならないから、何がどのように問題なのかを調査し、問題を解決するためにできる限りのことをすべきである。
 同氏も「今になって思うと、少なくとも22年については還付を行わない方針を徹底すればよかったと反省している。」と述べている。この発言も重大である。なぜなら、当時本来すべきことを怠っていたことを本人が自ら認めているからである。

 同様の内容は、「いじめ」や会社の不祥事が発覚した際も耳にする。「いじめ」が発覚した際に、学校の責任者が被害者の訴えがあったにもかかわらずまともな対応をしていなかったり教育委員会に報告していなかったりすることがある。明らかな職務怠慢であるにもかかわらず、知らなかったと言えば済まされると思っている。

 コンプライアンスや人権尊重を重視するとする企業は少なくないが、それを実現することは難しいことは既に述べた(文春が報道した松本人志氏の件に対する吉本興業の対応について|precious time (note.com))。

 なぜ難しいかといえば、コンプライアンスが「〇〇をすることは違法なので気を付けましょう」という形で語られることが一般的だからである。
 しかし、これではコンプライアンスは向上しない。自らが違法な行為をしないようにすることは必要であるが、それだけでは足りない。各自が問題を発見し、それを解決しようとすることが必要である。さらに、組織としてそのよう行動を支援する仕組みを作ることも必要である。

 偶然倒れいている人を見かけたが急いでいたので放置したという場合は倫理的に問題があるとしても職務上の責任を問われることはない。しかし、問題があることに気づきながら放置した者が、問題を解決することを求められる立場にいる場合には、当該立場にふさわしくないとする非難を免れない。
 同氏は、自らが政治家としての資質に欠けることを認めているのであり、その意味では起訴されなったとしても政治生命を失いかねないところまで来ている。後は有権者次第である。

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