エピローグ(3) 心の問題
心身一如の言葉通り、膝痛が心を蝕んでいる事はあり得る事でした。孫の世話で1週間自宅を離れ自由を奪われた事は、旅の終わりを意識付けるには十分でした。しがらみから離れたくてハイキングをしてきたので、終われば元通りになって当然です。
気持ちが落ち込むのは『荷下ろし鬱』というもので、目的を達成したからこその結果です。何もしなくても膝痛が消えない不安が強くなってきました。見通しが持てない中で、すがる気持ちで手術を希望しました。それで楽になるならいいかなと思いました。冷静になってネットで調べると、手術する程でもないように思うようになりました。
痛みが少しずつ減って、セカンドオピニオンも手術しない事が決定した時点で、不安はある程度解消され前向きになることが出来ました。膝痛に対しては従来から患っている腰痛と同じように、一緒に付き合っていくしかないと思えるようになりました。
それでは、心の問題が解決したかというと、まだそうではありません。アメリカのトレイルを歩こうと考えたのは、7、8年前に遡ります。それからどんどん心の中の大きな部分を占めてきました。それがぽっかり空いている訳ですから、落ち着かないのは当然です。
帰国後に友人と話した時、「穴の空いた状態を楽しめ」と言われました。確かになかなかそういう経験もできないですからね。無理に空いた穴に何かを突っ込む必要もないでしょう。次のトレイルを目指す人もいるでしょう。ただ、他のトレイルを歩くにしても初めての体験ではないので、穴を埋められる大きさではないと思います。
私の場合は、『ハイキング前の身体ではない』ので、そこに近づけることが心の問題を解決するために必要だと思います。やはり心身一如なのですね。