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鬱病になるきっかけ5と本来の私達。

全ての大切なものがなくなったとき。

本当はあるんですけどね。
なくなったと思ってしまうんですよね。


私は彼に見放されたと憎む。
憎む事で彼への愛を無理やり消して生きる。
その事で必死に生きる。

離婚してされるがままなすがまま状態の私でずっと過ごして。
たまに心配して会いにきてくれる知人達もいた。
彼の状態をきくけど。
私には何もしてあげられないし
離れる事を決断したのは彼だったから
私がいくことで苦しめるならば
彼の違う幸せを願う事しか私はできないと思った。

彼もきっと私がここでこう生きていく事で
苦しみから解放させてあげられると思ったんだと思う。そんな人だから。本当は。
もう一つは自信がなかったんだとも思う。

でも、本当はさ。
スーパーマンみたいに。
ここから助けてほしかったの。
ここから連れ出してほしかったんだよ。

でも私といることで彼を苦しめるなら
それは望んではいけないし。

鬱病が治る。
そのきっかけは自分。

あくまでも。私はなので。
鬱病の方全てではないって事は理解して下さいね。誤解のない様に読んでください。

そして本人よりも支えている周りの方達が
もしも今苦しみの中にいるならば。

少しでも参考になればと思います。

必ずきっかけがありますから。
そこは人それぞれです。
あくまでも本人にとって耐えがたい出来事。
私や俺は大丈夫だとしても本人にとったらなので主観的には見ないであげて下さいね。

段々と少し自分の気持ちが落ち着いてきた時
今度は周りを見る事があります。
客観的に。
そして自分がしてきたことで心配や迷惑をかけた事を今度は責めます。自分を。

だから病気扱いで腫れ物に障るみたいにせず普通に過ごして下さい。

本人が笑わなくても会話に入らなくても
そこに居る居場所がある事がとても大事だったりします。

育ってきた環境や今ある環境、人それぞれ違いますが。

私はですが。

普段あまり人に甘えないのですが。
強くいなきゃとかこういなきゃいけない姿があった場合、鬱になった事で本当は甘えたかった事を病気を通して病気をきっかけとし、病気だからとそこに理由をつけて甘えられる自分がいます。

本当はこんな事できませんから。

変わったのではなく。
本当は甘えたかった。
でも普段の私はそれを出来なかったから。
そこを病気になったきっかけで大きな壁を無理矢理壊して甘えてみた。
そんな感じでした。

私は今こうやって生きていますが。

そして甘えさせてくれる存在がいた事で救われました。

彼に対しても彼は本当に性格にクセがあってまともにはいきません。

今そこをつくとまた違う話になりますが。

ここに今綴るとしたら。

あの時、離れて意味があったのならば。

今、私と共に生きて14歳の娘がいる。
この子を私に与えてくれた。
それだけです。

それでも何とかあんな状況にしたのは旦那達でもあるけど。
そこを一度、切り離し考えたとき。
こんな私を受け入れてた旦那。
卑怯だとも思うけど。
毎日、必死に私の機嫌をとり
何もやらない私を責めもせず。
身の回りの事をしながら仕事もして
お給与をもらい、必死に私を幸せにしようとしました。

だから。
ありがとうとも思いました。

本当はそこから逃げ出して彼の所へ。
でも彼といると虹汰の命を奪った側の人達の情報もはいる。

私が苦しい。

強くならなきゃ。
思い出しても心が折れない強さを身につけなければ。
そう思って時間が必要だった。

その間に全てわかって私に暴言はかれて嫌な態度も取られてもそれでも側を離れなかった旦那が現実にはいて。

私は酷いなぁと思って。
旦那の事、見捨ることできるかな。
そう思っていながらも。
勝手に婚姻届を出された事への怒りが勝つ。
ずっと葛藤して。

記憶が薄れ、旦那との暮らしが当たり前になっていく。
そんな中。
彼を遠くから見れるそんなきっかけがあった。
再会だった。

彼も私と離れる事で
自分を取り戻し、彼なりに過ごしてきたのだと思う。
私と離婚しても。
私じゃない人と結婚して子供を授かりパパにもう一度なって幸せになってほしかった。
唯一それ位しか願う事が出来なかった。

それにだって彼が私を手放して旦那に託したんだから。

そう思ってきた。

思い出すと辛い事は忘れなきゃ。

だからだろうか。

彼との人生は1番幸せで1番辛い。そして苦しいのに私の守りたいモノなのだ。

記憶をなくす時は。
必ず彼なのだ。

私の人生で1番守りたいもの。
娘とは別で。

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