鷺沢萠さん

鷺沢さんの本を、熱に浮かされるような
浮遊感で追い求めた時間が学生時代の記憶の中に歴然とある。
惹きつけられて、何度も言葉を反芻するような、そんな読み方をしたので、鷺沢さんの本は、一気読みすることとは違ってた。

一文読んで、はあ…と広がっていくイメージの波に、頭に広がる映像に酔うような
静かでアツい時間だった。

毎年のように、鷺沢ブームが自分の中にまいおこり、繰り返し作品を手にとってきた。
彼女がいなくなってしまったとき、どうして…の想いのあまり、彼女の作品を手に出来なかった時期を除いたら、ほぼ毎年
ちょっとしたブームは起きていたし、図書館で読んだままになっていたものなど、手に入るだけの作品を買い足していた。

そうして、何度目かの鷺沢ブームが来たのが三年前。テレビも映画も、ちょっとした
流行りの作品も全てが自分の今現在には
響いてこない、余計に哀しみを浮きだたせるだけだ…と感じていた時。

何を手にして、行き場のない苦しい気持ちを諌める事が出来るか、そればかり考えてい時に、もしかしてと思って手にしたのは
鷺沢さんの 「失恋」だった。

ものすごくビックリした。あんなに何をみても聞いても、悲しさを上塗りしていくだけだった他の何かとは、まるきり違ってた。ああ、鷺沢さん あなたも…
あなたも決して忘れられずに、そんな自分を持て余しながら、もがいて、俯瞰して
何とかやり過ごす、そんな人だったわ…そう思った。この人なら決して私を責めたり、笑ったりせずにいてくれそうだ、と
ほんとに思った。

それから三年かけて、鷺沢さんの作品の
ほぼ全てを読もうと探し続けている。
まだ、全てには達していない。
鷺沢さんが、作家生活の17年余りに
書くことをやめていた時期を除いてみたら
15年くらいの間に膨大な数の著作を遺し、戯曲も、幾つもの翻訳作品も形に
していたのだと知った。

知れば知るほど、多面体でなんて複雑な魅力の人なんだろと、心から感嘆した。

たぶん、一生好きだろう。「アイダを探して」ならぬ、鷺沢を探して生きていく
んだろと思う。