気が付いたら一人になっていた。

最近、ソロ活という本を読む。
いや、読むようにしていた。友人だと信じている友人はいつも何かしらで忙しそうだ。気が付いたらぼっちになっていた。
なのでソロ活という本を読めば自分も救われる…ような気がしてならなかったのだ。

もちろん昔は友人とお酒を飲んだり、一緒にイベントに行ったり、温泉に行ったりと様々なことをしていた。だけれど、今はそんな友人からのラインの返信すらままならない。
自分はひとりになったのではないのか、そう思う。
もしかしたら、友人と思っている人は友人ではないのではないのか?そう思うことも多々ある。
ソロ活という本は大抵ソロ活をお勧めする本ばかりだ。
私のように気が付いたらぼっちになっていたという人には合っていない。

救われる。そんなことを考えたけれど、最終的に私はぼっち、ということが好きなのかもしれない、という予感がした。
そう思うのも、Twitterで上げられているちっぽけな、なんでもない写真を何も考えないでただ見ることが好きだからだ。誰にも邪魔されない、だから何も考えなくていい。
あと趣味も1人映画、1人読書、1人温泉…と、とにかく1人行動するのが好きなものばかりだ。あ、あと1人ディズニーも大好き。落ち着いたら行きたいなあ。

告白するが、大抵私は人と喋る時色々と考えて喋ることが多い。
この人は何に悩んで、何が楽しくて、何を目指していきたいのか、などなど。悩んでいつ人には共感する。どうすればこの人に寄り添った形での解決策が提示できるか考える。母親に対してでもだ。
うつ病が酷くなって入院した時、だいたい3カ月程度の入院になるだろう、と言われていた。けれど現実は違った。私はグループのコミュニティに入って、この人は何に悩んでいるのだろう。どうすれば快適に過ごして退院できるのだろう、そんなことを考えてしまっていた。
結果、入院は伸びに伸び、1年の月日が経ってしまっていた(もちろん他にも理由はあるが、それはさておき)。
コンサルという仕事をしていたこともある。その時もこの人は何に悩んでどうしたいのかを頭を巡らせて考えていた。結果、様々な課題が私の元に集まってきた。あまりの仕事の量の多さと、定時で帰ってくれ、という要求に私は身体を壊した。うつ病と闘うことになったのは、そこからだ。
うつ病になりやすい身体だ、と思う。それでも今は入院だけはしたくない。その想いで今は生きている。だから病状も安定した。安定するように今は必至に努力をしている。

何も考えなくていい時間はとてつもなく好きだ。ほっとする。例えば朝起きて紅茶を淹れている時とか。何も考えずに3分何となく、何もしないでぼうっとキッチンの前に立って、紅茶が出来上がる時を待つ。
そして紅茶が出来上がって、コップに入れて、茶葉を入れていたコップに紅茶の残りがあるからそれをなるべく残らないように水滴をカップに揺らして入れる。その瞬間も、何も考えずに済むから、私は好きだ。
そういえば。私が一番幸せだと思った時もぼっちだった。

先述したが、私はよく1人で温泉に行くことが好きで、結構1人温泉が多かった(今は金銭的余裕がないので行かないけれど)。ある日の旅行で、別にコロナでもなんでもないのに旅館は空いていて、旅館の人は私に2人部屋をあてがってくれた。
その頃の私は仕事魔で、仕事をどこでもする=悪と考えられている会社ではなかったから、当たり前のように旅館で仕事の提案資料を作っていた。
資料を作り終わって、買っていたビールでも飲むか、と思って、プシューとビール瓶を空けてどでかい窓の外を見たら。そこには満月があった。
いつも仕事に追いかけられていて、必死に仕事をしていて、どうすれば書類の先のお客様を幸せにすることができるだろう、そんなことを考えていたら、頭が結構重くなっていたことに初めて気付いた。
あっ。って思って、満月を見ていた。ただひたすらに満月を見ていた。
満月がたまには何も考えずに私のことを見ればいいんじゃない。
そう言ってくれているような気がした。
気が付いたらビール瓶を消費するのに2時間経っていた。

結婚もした。けれどなんだかんだで自由になりたい。そう思って(他にも色々な理由があるのだが)、結局離婚をしてしまった。
今思うと、私には結婚は向いていないのかもしれない。でも、もしかしたら何も考えずに一緒にいられる人がいるのかもしれない。そう思って、何となく、婚活をゆっくりとしている。

って思うと、気が付いたらぼっちになっていた、というのは正しい表現なのだと思う。
私がこれから先も1人でいて、何かを熱心に考え、時にはぼうっと何かを見つめてほっとしたりして。そんな人生があってもいいと思う。
もし、気が付いたらぼっちになっていた。そんな人がいるのだとしたら、私はこう言いたい。
私も気が付いたらぼっちになっていた。けれど、そんな人がいてもいいじゃないか。
そういう人たちには何かぼっちになっていても幸せだな、と思う瞬間を見つけられたらいいと思う。そんな人たちに幸あれ。

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